2004/5/21

Their Room
(by aleximoon)

Translation by Nessa F.


第 29 章 ルシウスのもてなし

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 ひんやりとしているのに、焼け付くように感じられる何かが、口の中に注ぎ込まれた。咳き込みながらそれを飲みくだすと、喉にアルコールの刺激が染み渡って、いきなり意識が完全に戻った。


「これなら効くかと思った」
 ルシウスは尊大な手つきでハーマイオニーの顎を持ち上げた。
「わたしの言ったことのせいで、こうなったのではないとよいのだがね。わたしはふだんから、どうも自分が上手く会話ができているかどうかが気になっていてね」
 よこしまな冷笑によって、彼の顔が歪んだ。それを見たハーマイオニーは、心のどこか遠くのほうで、冷笑を浮かべるドラコと冷笑を浮かべるルシウスとが、似通っていないと分かってホッとしていた。


 ルシウスの手から自分の顎を引き離すと、相手を睨みつける。頭にズキズキと響く痛みは無視していた。
「わたしがあなたなら、自分の社交術のことなんか心配しないわ。ダンブルドア校長先生は、ホグワーツで起こることなら何もかも承知していらっしゃるのよ。生徒を誘拐しておいて、先生に隠しおおせると思う?」


 ルシウスはクックと笑いながら、一歩うしろに下がった。
「たしかに、たしかに。ダンブルドアは言うなれば、万能の厄介者だ。しかしわれわれにとって幸いなことに、彼は今、マグル事情の現状に関する会合があってリヨンに足止めされている。戻ってくるまでには、少なくともあと一時間はあるはずだ。つまりね、お嬢さん」
 ルシウスはハーマイオニーの頬を手のひらで包むと、彼女の顔をじっと覗き込んだ。
「わたしとあなたが話し合いをする時間は、充分にあるということだ」


 ハーマイオニーの唇が震えた。本当に万事休すだ。
「じゃあ、どうしてさっさとわたしを殺してしまわないの? 礼儀正しい挨拶なんて、あなたの正体を知らない人のためにとっておけばいいじゃない」
 そうは言いつつも、ハーマイオニーの声には揺らぎがあった。もっと強くありたいのに。
「ハリーの仲間の一人を殺したことで、きっとあなたは大々的に褒めてもらえるんでしょうね」
 果敢に付け加える。


 ルシウスはもう一度くつくつと笑うと、立ち上がり、テーブルに戻ってデキャンターを置いてから、ふたたび戻ってきた。
「言っておくがね、ミス・グレンジャー。あなたの死は、ハリー・ポッターとはなんの関係もない。とは言え、ポッター少年の脆弱な心に揺さぶりをかけてやるというのは、付加的な特典にはなるとは思うが」


 ハーマイオニーは自分の耳が信じられない思いだった。これまでずっと、ハリーの友人でいることは危険と隣り合わせだという覚悟を抱いてきた。それなのにハリーとはなんの関係もないことを理由に死んでいくなんて、笑えると言ってもいいくらいだ。希望のない状況を直視したくなくて、ハーマイオニーは目を閉じた。そのとたん、ルシウスに殴られた。


「目は開いておきなさい、お嬢さん。育ちの悪さは、無作法の言い訳にはなりませんぞ」
 彼の声は、これまでとまったく同じように冷静さと気軽さを保っていた。


 ハーマイオニーは相手をキッと睨んだ。そして気が付くと衝動に突き動かされて、とても勇敢であると同時に極めて愚かなふるまいに及んでいた。ルシウスはその端整な引き締まった頬を血液混じりの唾で汚されて、彼女から身を退いた。


「穢れた血の売女め」
 彼は鋭くささやいた。ローブから白いハンカチを出して、顔からハーマイオニーの侮蔑の証を拭い去る彼の物腰からは、これまでの冷静さがわずかに失われていた。しかしハンカチを持つ手を下ろした時点で、その顔つきは客人をもてなす機嫌のいい主人のものに戻っていた。ただ、彼の両の目は、笑っていなかった。
「なのに考えてもごらん。わが息子は、あなたのような小娘のために、定められた道に背を向ける気でいたのだからね。しかし彼もまもなく、目が覚めるはずだ。人生における反抗期というやつに入っていたのだろう、わたしにも理解できるよ」


「ドラコは一度だって、あなたたちの仲間になりたいなんて思ったことなかったのよ」
 ドラコの本性を弁護しなければと感じて、ハーマイオニーはささやいた。
「わたしを殺したくらいで、それを変えられるつもりでいるの?」
 挑みかけるような声で言いつつも、内心では、言い表せないほどの恐怖で慄いていた。自分を殺そうとしている男を相手に、飄々とした口を利き続けるのは、どう考えてもどんどん困難になってきている。実のところ、目を開いておくことすら、困難になってきていた。


「お嬢さん、本当のことを言えば、あなた自身はどうでもよいのだよ。ドラコが学ばねばならぬのは、あなたのような使い捨てのものに対してくだらない感情を抱いても、得られるのは一時的な快楽に過ぎないということだ。真の充足は、力によってのみ得られるものだ。息子の人生から、あなたという魅惑的な存在が取り除かれさえすれば、彼もふたたびわたしと意見を同じくするであろうことを、わたしはほとんど疑っていない」
 ルシウスは傲慢に言った。


 ルシウスの背後にある、小さなテーブルにハーマイオニーは視線を投げかけた。自分の杖が、こちらをからかうかのように置かれている。あれに手が届きさえすれば。しかし磔の呪文があとを引いて、頭がどくどくと脈打ち、まだ身体が断続的に震え続けていた。そしてテーブルは、気が滅入るほど遠いところにあるように感じられた。


 まるでハーマイオニーの思考を読んだかのように、ルシウスは彼女の杖のほうに振り返り、その後、冷酷な笑みを浮かべて見下ろしてきた。
「たどり着けると思うかね? どうぞ、やってごらん。わたしは止めないよ」


 ハーマイオニーは、これまで一度も感じたことのなかったほどの激しい憎しみを込めて彼を睨み、いきなり立ち上がろうと試みた。自分はもうすぐ死ぬのかもしれないけれど、おとなしくルシウスの足元に転がって殺されるのを待つ気はない。しかし決意の固さにもかかわらず、身体が意志に従うには衰弱しすぎていた。テーブルに到達する前に、足が立たなくなった。床に崩れ折れ、脇腹を下にして倒れ込む。痛みが薄らぎ始めた。非常におかしなことだ。磔の呪文による苦痛は、術をかけられたあとも、かなりのあいだ継続するはずなのだ。しかし関節の痛みは、意識から乖離されてぼんやりとしか感じられなかった。


 ルシウスは、ハーマイオニーが倒れると楽しそうに鼻で笑った。しかし彼の笑い声は冷たく、そこには心からの喜びはなかった。彼女の馬鹿げた行動はたしかに面白くはあるが、あまりにもくだらない、とでも言うように。


 ハーマイオニーは、足音よりもむしろ気配によって、彼が自分の周囲を歩き回っているのを感じ取った。彼はほとんど音を立てずに歩いていたが、身体の重みが移動することで、古い床板が揺らいでいた。恐怖を感じていなければおかしい、という自覚はあった。しかしハーマイオニーは、本当に疲れ果てていた。


 ようやく、ルシウスはハーマイオニーの前にしゃがみ込んだ。
「そろそろ――
 彼は静かに言った。
「終わりにする頃合だろうな」
 彼が立ち上がったとき、何もかもおしまいだとハーマイオニーは悟った。


 ルシウスが杖の先を向けてきたが、ハーマイオニーは死の呪いに備えて身構えることすらできなかった。しかし彼が呪文を唱える前に、部屋の外のどこかで叫び声がして、ルシウスはハッとドアのほうに顔を向けた。


「今のはなんだ?」
 憤怒を込めてささやくと、彼は廊下に出て行った。


 ハーマイオニーはそちらを見たかったが、目に髪の毛が入っていた。そろそろと手を上げて、力なく顔から髪を払う。べたべたした巻き毛が指にまとわりついた。それをうしろにやろうとしたとき、指先が真っ赤なことに気付いて、吐き気をもよおすような恐怖が襲ってきた。まだその指に気持ち悪くへばりついている巻き毛は、血液でぐっしょりと濡れていたのだ。


 さらに叫び声が聞こえてきたが、ハーマイオニーはそれを意識していなかった。ルシウスが部屋の中に倒れ込んできて、そのすぐあとにドラコが入ってくるまでは。取っ組み合いの末、ドラコが父親を殴りつけ、ルシウスは膝をついた。


「彼女はどこだ?」
 ドラコは怒鳴りながら、ルシウスのローブの襟元をつかんで彼を引きずり上げ、その後ふたたび床に叩きつけた。


 ルシウスはドラコの手を逃れると杖を掲げ、この夜二度目の磔の呪文を唱えた。


 ハーマイオニーは、身体を引きつらせて床に倒れるドラコを、ぞっとする思いで見つめた。


 ドラコの目が裏返って、乳白色の白目が見えた。ハーマイオニーは、彼の悲鳴を頭から追い出そうと、両目を固くつむった。わずか数分前に自分も経験した苦痛を、頭の中によみがえらせないようにしようとしていた。

 そして、ルシウスが術を解いた。彼の姿勢は先ほどと同じくつろいだものに戻っていた。ローブの乱れを整え、ひとふさの金髪をもとどおりに撫でつける。動けなくなった人体が二つ、床に転がってさえいなければ、傍目からはまるっきり何事も起こっていないかのように見えるだろう。


「ドラコ、ドラコ、ドラコ」
 ルシウスは、感心しないという口調で静かに呼びかけた。
「武装した魔法使いを、自分のこぶしだけで攻撃するとは。わたしの教えを忘れたのか?」
 息子がまだ磔の呪文の余韻で意識を朦朧とさせていると思った彼は、ドラコに背を向けてグラスをふたたび満たし始めた。


「たぶん、ウィーズリーと一緒にいる時間が長すぎたんだ」
 ドラコは吐き捨てるようにささやくと、父親に飛びかかった。不意打ちで相手を床に突き倒す。あまりにも激しく打ち据えたので、ルシウスは血を流し始めた。


 ハーマイオニーはテーブルの近くで横たわったまま、二人を見つめていた。呼びかけることができずにいた。目に涙が染みると、胸の奥深くから、痛みによるか細い声がもれた。


 ドラコはハッとして、ハーマイオニーのほうを見た。彼は軽率にもそのままルシウスから手を放して、彼女のほうに急いだ。途中にあったテーブルを突き倒したため、デキャンターが粉々に砕け、中に入っていた酒が床に染みを作った。


「ハーマイオニー?」
 目が勝手に閉じてしまっていたので、ハーマイオニーはドラコの姿を見ることができなかった。しかし、傍らにひざまずいた彼にそっと抱き上げられ、彼の腕が背中に回されると、その微妙な圧迫感は分かった。


「ハーマイオニー、目を開けてくれ」
 彼は必死にささやいた。ルシウスの身体が横たわっているのには目もくれないまま、彼はもう片方の手でハーマイオニーの顔を自分のほうに向けた。
「ハーマイオニー、おねがいだ……」
 自分の手が血で汚れていくのに気付いたドラコの声に、動揺が混じった。


 ハーマイオニーはまぶたを震わせながら目を開き、弱々しく微笑んで見せた。
「ドラコ……」


「ドラコ」


 硬い声が、二人の注意を互いから引き離した。ルシウスが、起き上がっていたのだ。彼の杖が、二人に向けられていた。もう先ほどまでのような無造作な構え方はやめて、息子と対峙していた。ハーマイオニーは、自分を抱きしめるドラコの腕に、痛いほど力が込められるのを感じた。しかし、痛みを感じられるのは、ありがたかった。痛みがあれば、意識を手放さずにいられる。


「ドラコ、その血の穢れたクズから離れろ」
 ルシウスが唸るように言った。冷静な態度はかなぐり捨てていた。


 ドラコの杖もまた、ルシウスに突きつけられていた。指先についた血が、握り締めた木の棒に緋色の染みを生じていた。
「彼女をそんなふうに呼ぶな」


 ルシウスは下劣な笑みを浮かべたかと思うと、可笑しそうにクスクスと笑い出した。
「正直、このささやかなゲームは、どんどん面白みが失せていくな、ドラコ。もう終わりにしよう」


 ドラコは杖を握る手にさらに力を込め、ルシウスを睨み返した。ハーマイオニーは、恐れながらも目を離すことができないまま、ルシウスの顎の筋肉がぴくりと痙攣するさまを見つめた。部屋の外から、またしても叫び声が聞こえて、ルシウスは敢えてドアのほうにちらりと視線を投げかけた。


「ぼくは、一人で来たんじゃないんだ」
 ドラコが言った。


「彼女から離れろ、ドラコ。もう二度と言わん」
 叫び声が近づいてくるにつれ、見せかけの冷徹さがひび割れ始めていた。ルシウスは、非常に落ち着かなさげな表情になってきていた。


「地獄に落ちればいい」
 ドラコは、父親に向かってささやいた。


「それがおまえの答えならば――
 ルシウスは一瞬、悲しげと言っていいほどの口調になったが、すぐに呪文を唱えた。ハーマイオニーがこの夜、ずっと覚悟していた、呪文。
「アバダ・ケダブラ」


「アルマ・インメリトゥス!」
 即座に、ドラコが叫んだ。こうなることは分かっていたのだ、というように。


 ハーマイオニーの目に、こちらに向かってくる緑色の閃光、そしてわずか数日前にドラコが見たのと同じ、かすかに光る雲のようなものが映った。ドラコが、必死に抱き締めてくるのが感じられた。彼は自分の身体を盾にして、ハーマイオニーを守ろうとしていた。それから、緑色の死の衝撃が、何度も何度も感じられた。意識が暗闇に押し流されていった。