2004/4/30

Their Room
(by aleximoon)

Translation by Nessa F.


第 26 章 ハーマイオニー、呪いを習得

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 ホグワーツへと戻っていく二人の周囲で、雨はまだまだ降り続けていた。荒れ模様の天候のせいで、校庭に出ている者はおらず、このちょっとした幸運にドラコは感謝した。すでに流れている噂だけでも充分大変なのに、渦中の二人がまるで一緒に湖に転がり落ちたんじゃないかというような格好で校庭を歩いているところを見られでもしたら。考えたくもない。実際には湖に落ちたわけではないが、このびしょ濡れの姿では、そう思われても仕方がなかった。二人とも、乾いているのはそれぞれの鞄だけだ。


 これまで接してきたほかの大半の魔女たちとは違って、ハーマイオニーが時間のかかる脱水魔法を、流行を取り入れたローブだのスタイリッシュな靴だのではなく、まず自分のリュックにかけたことで、ドラコは改めて嬉しい気持ちになっていた。


 ドラコの視線に気付いたハーマイオニーが、微笑み返してくる。彼女の目は明るく輝いており、頬はほんのりとバラ色だった。目を合わせ続けているうちに、火照った頬の色が赤みを増してゆき、鮮やかに染まる。ハーマイオニーは唇を噛みながら、目をそらした。ドラコは一人、笑みを浮かべた。彼女の手を引いてこのままきびすを返し、さっきの場所に戻ってもっといろんなことをしてみたら、という考えが頭に浮かんだのだ。彼女がそんなことをさせるわけがないけれど、想像することはできる。


 大きな扉の前まで来ると、ドラコは足を止めて彼女のほうに振り向いた。
「きみが先に入れよ。一緒にいるところは、誰にも見られたくないだろ」


 ハーマイオニーの瞳に宿っていた暖かいきらめきが、弱まったように思えた。しかしドラコがどうしたんだと尋ねようとした瞬間、彼女はドラコの横をすり抜けて前へ出た。
「あなたの言うとおりよね。当然だわ。分かってるべきだった」
 つっけんどんに言うなり、中に入ってドアを閉じる。


 雨がさらに勢いよく降り始め、雷鳴が耳に届いた。ドラコはうろたえてドアを凝視したまま、立ち尽くしていた。パンジーが相手のときなら、こんなふうに不器用な物言いをしてしまったことは、今まで一度もない。そしてそれを言うなら、ほかのどんな女の子が相手のときだって。


「マグル出身者だからかもしれないなあ」
 示し合わせたと思われないよう、ハーマイオニーが入ってから充分な時間を置いたあと、ドラコはぶつぶつとひとりごちながら、ようやく校内に足を踏み入れた。


 スリザリンの地下牢へと下りていく最中、何人かが奇妙な視線を投げかけてきた。しかし、声をかける度胸のある者はいなかった。クラッブとゴイルが一緒でないにもかかわらず、ドラコは少々、恐ろしげな雰囲気をかもし出していた。低学年の生徒たちは、できるだけドラコに近づかないようにしていた。


 地下牢にはひとけがなかった。今日のうっとうしい天気のせいで、ほとんどの生徒たちが、校内のもっと上のほうにある乾いた場所で過ごすことを選択していたのだ。ドラコにしてみれば、願ったり叶ったりだった。今は正直、社交的にふるまう気分にはなれない。とにかく、身体を洗いたかった。


 湯気の立ち込めるシャワー室で、ドラコは熱いお湯が身体から泥を洗い流していくなか、思考をさまよわせた。大半は、茶色い髪をしたグリフィンドールの少女についての考え。特に楽しかった空想は、彼女がどうにかして地下牢に忍び込んできて、シャワー室にいるドラコのところへ……。


 切ないため息とともに、ドラコはシャワーを止めた。彼女のことを考えるのは、もうやめなければ。ハーマイオニーに対して今、抱いているこんな執着は、心から取り除かなければならない。本気で、非常に厄介なことになってきている。彼女の存在は、常にドラコの思考をさいなんでいるようだった。彼女について考えることのうち、半分は、まるっきり罪のないものだ。そんなおとなしげな想いが、きわどい空想と同じくらいの割合で、浮かんでくるのだった。それがドラコにとっては、おかしなことに思えた。今までなら、女の子について空想をめぐらせて楽しむとき、浮かんでくるのは、きわどいものばかりだったから。


 ルシウスに、一度言われたことがある。何かに対してこだわりを持つのは、悪いことではない、と。こだわりは、それを抱く者を支える原動力となる。みずからの意志で方向づけることができる。しかし、それがなんであろうと、自分で制御できないところまでつのらせてしまってはいけない――とも、ルシウスは警告していた。欲していた何かが、なくてはならぬものと転じてしまうのは、たやすいことなのだから、と。


 これ以上、この状態を進行させてはならないのだということが、分かっていた。すでに彼女は、夢にも思わなかった方向へと、彼を変化させ始めている。今の彼は、以前よりも魔法界の置かれた状況に気を配るようになってきている。彼女に近づく前はヴォルデモートのことなど考えていなかったと言えば嘘になるが、それでもかつては、自分自身の身の安全を保つことばかりが頭にあった。なのに今の彼の頭を占め始めているのは、彼女の身の安全だ。本人が見るからに自分を守ることに無頓着なんだから、誰かほかの者が気にしてやるしかないじゃないか。そして完全無欠なポッター殿には、自分の友人たちに危険が及ばないよう気を付けるという分別さえないんだ。まったく、今年彼女が、ドラコと一緒にこれだけ長い時間を過ごしているのは、幸運なことだったかもしれない。そばについていれば、彼女に危害が及ばないように見ていられる。でも、一緒にいないときには、どうすればいいんだろう? ポッターのせいで、彼女が事件に巻き込まれたりした場合は? ほかにもいくつか、汚い手を教えておくのはどうだろうか。彼女は磔の呪文を、見事にこなしていたじゃないか。闇の魔術のレッスンを受けろと言われたハーマイオニーがどんな反応を示すだろうと想像してみたドラコは、かすかな笑いで口元を歪めた。


 清潔な乾いたローブを身に着け、濡れた髪に指を差し入れて、うしろに撫でつける。浮かんでいた笑みが消えた。手遅れになる前に、彼女とのあいだに距離を置かなければ。ただの欲情ならまだよかった。しかし、それよりずっと大きな何かが芽生えつつあるという気がしてならなかった。意識の裏側で、ルシウスの声がありありと聞こえた。


「なくてはならぬものがあると、人は弱くなる」




 またしても、ルシウスからの手紙が届いていた。これまでと同じく、曖昧なことしか書いていない。母の容体は悪化しているが著しい悪化ではない、重症ではあるが医師たちは望みを捨てていない、云々。しかし、果たして聖マンゴ病院に、ルシウスに面と向かってあなたの妻は死にかけていると宣告できる医師が、一人でもいるのだろうか、とドラコは思った。


 本当に久しぶりのことだったが、ドラコは本気で家に戻りたかった。母が本当に臥せっているのかどうかを、たしかめなくてはならない。そしてその目的を果たすには、ルシウスに連絡を取る以外にないのではないか。今回の手紙は簡潔な要点のみのもので、これまでのどの手紙にも負けず劣らずの、注意深く選択された言葉で記されていた。ドラコはただひとこと、母の顔が見たいので家に戻る手配をしてもよいかどうかを尋ねる返信をしたためた。急ぎの手紙を書き終えると、フクロウ舎に向かう。


 配達は、くすんだ茶色の羽根をした学校のフクロウにやらせることにした。自分のミミズクの姿は見当たらなかったが、それはそれでよかった。ホグワーツ入学の日にルシウスから与えられたワシミミズクは、いつもドラコの手紙を配達することに少々熱心であり過ぎた。ドラコは今まで何度も、あのミミズクは屋敷に引き止められてルシウスに息子の最新情報を提供しているのではないかと疑ったことがあった。そう、学校のフクロウを使うほうがいい。


 手紙をしっかりと託すと、ドラコはフクロウが学校を取り巻く黒々とした嵐雲の中へと消えて行くのを、窓辺から見つめた。ちょうど身をひるがえして戻ろうとしたとき、聞き慣れたフクロウたちのホウホウという鳴き声の向こう側から、別の音がした。暗い室内を見渡して、何か異質なものはないかと探す。そのとき、戸口のところに、制服のローブを着た若い女性の姿が現れた。気まぐれに吹き込んだ風で飛ばされてしまうのではないかと恐れてでもいるように、手紙を強く握り締めている。人影が近づいてきたので、それが誰なのかが判明した。


「パンジー」
 ドラコは、ぼそりと言った。


 もう一人のスリザリン生は、警戒するような悲鳴とともに、うしろに飛びすさった。誰もいないと思っていたのだ。


「ド……ドラコ」
 パンジーは、持っていた手紙を素早くポケットの奥深くに突っ込みながら、もとの場所に戻ってきた。
「今朝はどうしたの? 朝食にも最後まで来なかったじゃない」


「用事があったんだ」
 ドラコは用心深く答えた。


 パンジーはわずかに目を細くしたが、その後暖かい微笑を浮かべ、冷たい印象を与える顔つきを一変させた。
「気持ちは分かるわ」
 さらに微笑みが深まる。
「あなた今、大変ですものね。お母様のこととかで。実を言うとわたしの母も、自分まで具合が悪くなるほど心配してる。これまでにもう四回、聖マンゴ病院にお見舞いに行って、そのたびに前回よりも取り乱した状態で帰宅してるの」


 ドラコは、何も反応を示さなかった。パンジーからの同情を、少々厄介なものに感じていた。


「前にも伝えたことだけど」
 パンジーは歩み寄って来て、ドラコの腕に手をかけた。
「話し相手が必要なら、いつでも言ってね」
 にっこりして、ドラコの腕をつかむ手に力を込める。
「話をするのが嫌なら、それでもかまわない。二人でもっと別のことだってできるわ。あなた次第よ」


 パンジーは物憂げにドラコの腕から上のほうへと手を滑らせ、彼の髪を指先で梳いた。そしてその指先に力が加わったかと思うと、頭が下に引き寄せられて、唇が触れ合っていた。パンジーの唇は、いつも何かが塗ってあって、ぬめぬめと艶やかだ。かつては、それに強い魅力を感じていた。でもハーマイオニーとキスするときの、酔ったような抑えのきかない情熱は、どこにもない。ハーマイオニーとのときは、二人のあいだの距離をどれだけ縮めても、まだまだ足りない気がしていた。しかしパンジーとのキスは、以前とまったく同じだ。予定調和の、冷たいキス。


 突然、暗い部屋の中で、場違いな物音がした。ドラコはパンジーを押し返して、フクロウ舎を満たす暗闇の奥に目を走らせた。単に、ドアがカチリと閉じた音に過ぎなかったのかもしれない。でも確証は持てなかった。パンジーはもう一度、ドラコの身体に腕を回そうとしたが、ドラコは彼女を押し戻した。


「触らないでくれ、パンジー」
 きつい口調で言う。


 パンジーは憤怒の表情で後方によろめきながら、吐き捨てるようにささやいた。
「どうしたの? 穢れた血に見つかるのが怖い?」


 ドラコは身をこわばらせた。なぜなら、彼は実際に、このことがハーマイオニーの耳に届くのではないかと懸念していたからだ。
「彼女をそんなふうに呼ぶな」
 断固とした、冷たい声を出した。この声で、ドラコはクラッブとゴイルを押さえつけ、低学年の生徒たちを怯えさせ、年長の者たちの一部を威圧してきたのだ。にもかかわらず、パンジーはただ、微笑みを浮かべただけだった。


「あなた、わたしが思ってたよりずっと、ひどい状態になってるみたいね?」