Their Room
(by aleximoon)
Translation by Nessa F.
第 26 章 ハーマイオニー、呪いを習得
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ハーマイオニーは杖を持ち上げてドラコに向けた。その先端が震えている。湿った空気のせいで、もとからまとまりにくい彼女の髪はますます広がって、巻き毛の先からは、水滴が落ち始めていた。目は、大きく見開かれ、怯えた表情が浮かんでいた。
「ドラコ、わたし、できない」
「早く、グレンジャー!」
ドラコは苛立たしげに言った。
ハーマイオニーは言い返そうとして口を開いたが、、結局また閉じた。杖を握る手に力を込めると、顔に決意の表情を浮かべる。ドラコはすぐさま、頭の中で反対呪文を復唱し始めた。彼女は、きっとやる。
「クルーシオ」
こんなにも汚れのない声でこれを唱えられると、ものすごい違和感があった。しかし、そんなことを考えていられたのは、ほんのわずかな一瞬だった。次の瞬間には、自分の身を守ってくれるかもしれない、唯一の呪文を叫び返していた。
「アルマ・インメリトゥス!」
磔の呪文が自分に届いたことは分かった。強い衝撃を感じた。後になってから、ドラコはこの衝撃を思い返して感嘆したものだ。ハーマイオニーの魔女としての潜在能力が、ここまで高いとは予想外だった。しかしこのときは、ただ一つのことだけが、頭の中を占めていた。苦痛が襲って来ない。ドラコの周囲を、かげろうのようなものが取り巻いていた。透明だが、鈍い朝の光が、いくつかの筋になってそこから反射している。ハーマイオニーがまだこちらに杖を向けて、呪文の効力を継続させていることが、おぼろげに分かった。しかしそのとき、自分の身体から急速に力が抜けていくのを感じた。虹色にきらめく光の盾が、段々と揺らぎ始めていた。かすかに、焼け付くような感触が生じ始める。あとほんの少しで、自分がふたたび完全に磔の呪文の影響下に入るだろうことが分かった。
ハーマイオニーが、杖を下ろした。
終わったのだ。膝ががくんと折れて、ドラコは泥のなかに膝をついた。数千ものディメンターとすれ違った直後みたいな気分だ。すべての肯定的な感情が、呪文によって最後の一滴まで絞り尽くされていた。目を閉じて大きく息を吸う。しかし吸い込んだ空気は、即座に肺から叩き出された。ハーマイオニーが、ぶつかるようにして抱きついてきたからだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ドラコ、ほんとにごめんなさい」
ドラコは彼女の顔を見た。両目に、いつものきらきら光る涙が宿っている。彼女の涙なんか、見たくないのに。
「やりたくなかった。やっちゃいけないって、分かってたのよ」
ハーマイオニーはわっと泣き出して、ドラコから身体を離した。まるで、手を触れることを怖がっているようだ。
ドラコから一フィートほど離れた場所にひざまずいたハーマイオニーは、うつむいて顔を手で覆い、泣きじゃくっていた。何か支離滅裂なことをつぶやいているようにも思えたが、同時にしゃっくりをし始めたので、ドラコのところからはよく聞こえなかった。
ドラコは息を吸って気持ちを落ち着け、いくらか体力を回復させようとした。片手を伸ばしてハーマイオニーの手を取り、彼女の顔から引き離す。
「ハーマイオニー」
静かに、声をかけた。
「大丈夫だ。きみのせいじゃない」
激しいすすり泣きが徐々に鎮まって、ハーマイオニーの口から小さな声がもれた。
「ほんとに?」
ドラコは彼女の顎を持ち上げ、顔を覗き込んだ。目はまだ涙で曇っているが、今たちまちは、泣きやんでいる。
「そう。苦痛はなかった。防御の呪文が効いたんだ」
ハーマイオニーは目を見張って、完全に泣き止んだ。
「本当? 本当に、効いたの?」
ドラコはぼんやりとした笑顔で応えた。疲れきっていたのだ。
「ああ、効いた。唱えた魔法使いから、かなり体力を奪うが、効力はある」
ハーマイオニーの下唇が震え始めた。彼女はドラコの首に両腕を巻きつけ、ぎゅっと抱きついてきた。その目からは、涙がとめどもなく溢れ出していた。
「わたし、あなたを痛めつけてしまったと思ったの」
つぶやくように、彼女は言った。
ドラコは、彼女の頭をぎこちなく撫でた。
「気を悪くしないでほしいんだが、グレンジャー。きみはここ最近、どうもやたらとピリピリしてるんじゃないか」
「ピリピリしてる? わたしがピリピリしてるんじゃないかですって?」
ハーマイオニーは身体を離した。
「もうすぐ期末試験なのよ。OWLのことは言うまでもないわ。加えてわたしたち、今週ずっと闇の魔法がどうだの、邪悪な魔法使いがこうだのって話ばっかりしてたのよ」
ハーマイオニーは立ち上がると、怒りの表情で霧雨の中を歩き回り始めた。小さな雲の雨傘が追いつけないほどの勢いだ。
「あげくの果てに、あなたにこんなところに引っ張り出されて、闇の魔法を使うように無理強いされたのよ。それも、違法な呪文! それからもちろん、なんだか分からないけど、わたしたち二人のあいだに起こっている何かのこと。何を言ってるのかさっぱり意味不明、みたいな顔はしないで! マーリンの髭にかけて! わたしがちょっとくらい神経を高ぶらせてたからって、なんの不思議があるのよ」
ドラコは、つい笑いを堪えそこねて、鼻からかすかに音を出してしまった。
「あら、可笑しいの?」
彼女の色の濃い髪は、雨に濡れたせいで今はほとんど黒に見えた。顔や首筋に貼り付き始めている。
「もし、わたしがあなたを、痛めつけてしまってたら? わたし、きっと耐えられなかったわ」
長広舌を終えると、ハーマイオニーはドラコの横に座った。その瞳に、もう怒りはなかった。
「どうして、耐えられなかった?」
ドラコは段々と気分がよくなってきていた。ハーマイオニーが怒り狂ってわめき散らすのを見るのは、いつだって面白い。たとえその怒りの矛先が自分でも。しかし、ドラコが今、口にした問いかけは、危険なものだった。ドラコの声からは、面白がるような調子はまったく消え失せていた。二人のどちらも、まだこの問いの答えに対する心の準備ができているかどうかは怪しいように、ドラコには思えた。
「どうしてって……わたしは、あなたが苦しむのが嫌だから。そして当然、あなたを苦しめる人間になるのは嫌だから」
ハーマイオニーの言葉は、注意深く選択されたものであるように思われた。
ドラコは木の幹に背をもたせかけた。今日のところは、これ以上はっきりした話にはならなさそうだ。きっと、そのほうがいいんだ。もし彼女のほうから同じ質問をしてきていたとしたら、自分はどのように返答したのだろうか。強風が吹いて木の枝が一気に揺れ、水滴が小さな滝のように落ちかかってきた。顔にそれが当たるのを感じて、ドラコは目を閉じた。本当は、そろそろ城に戻ったほうがいいのだということは分かっていた。ハーマイオニーのおめでたい友人たちが、彼女の不在に気付く前に。しかし、降りしきる雨は勢いを強めてきていた。そして驚いたことに、ハーマイオニーが二人のあいだの距離を詰めて身をすり寄せてきた。その瞬間、心が決まった。たとえポッターとウィーズリーが、闇祓いの集団を送り込んできたとしても、かまうものか。
「じゃあ、本当に、効き目があったのね?」
しばらくのあいだ続いた沈黙を破って、ハーマイオニーはもう一度、訊いた。
「うん」
ドラコは、眠そうな声で答えた。
「ほんとに、アバダ・ケダブラも、これで食い止められると思う?」
ハーマイオニーの声には、一抹の不安が混じっていた。
「経験則から言って、食い止められるはずだ。オリアリーの言葉は、これまでのところ、すべて正しかった」
「すごく楽観的ね」
ドラコは彼女に視線を向けた。
「いつも、ぼくが悲観的過ぎると文句を言ってるのは、きみのほうじゃないか。証拠が欲しいなら、この呪文をポッターに教えてみるか。ヴォルデモートが次にあいつを殺そうとしたときに、効力の有無がはっきり分かるさ。もしかしたら、一週間かそこら待つだけですむかもしれないぞ。ポッターには、まさに適切な時に適切な場所に居合わせる才能があるから」
ドラコは笑って見せたが、ハーマイオニーは睨み返してきた。
「それ、面白くない」
ドラコはニヤリとして、それから身体を傾け、彼女に口づけた。そうしながら片方の手を彼女のうなじに回して、軽く支える。そして一、二ミリほど顔を離した。
「うん、分かってる」
そう言うと、もう一度キスをする。
ハーマイオニーは唇を触れ合わせたまま微笑んで両腕を彼の身体に回し、自分のほうに引き寄せた。それから、唇を離した。
「あとでちゃんと怒るから、思い出させてね」
「心配するな。もしきみが忘れても、どうせ結局ぼくは、同じくらい気の利いたことを言ってきみを怒らせる羽目になるから、絶対」
ドラコは身体の位置をずらして、ハーマイオニーを見下ろす体勢になった。少しのあいだ、彼女を観察する。濡れた髪が、しっとりと滑らかにうねりながら、彼女の顔や肩を縁取っていた。同じくらい濃い色の瞳が、ふだんにも増して深い色合いを帯びている。きっと――と、ドラコは思った――ここしばらくで流した、たくさんの涙のせいだ。時々、ハーマイオニーはあまりにもきれい過ぎるくらいだった。本人には、絶対に言うつもりはないけれど。ドラコは彼女に微笑みかけると、もう一度キスをして、彼女のぬくもりに我を忘れた。
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