2004/4/23

Their Room
(by aleximoon)

Translation by Nessa F.


第 25 章 何があっても

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 ハーマイオニーは、できるだけ静かに肖像画の穴に這い上って通り抜けた。驚いたことに、談話室の暖炉にはまだささやかな火が入っていた。ほとんどの生徒たちが就寝しているはずの夜遅い時間なのに。しかし羽根ペンを走らせる音が聞こえた。そして、その音を立てているのが誰なのかを見てとったハーマイオニーは、微笑みを浮かべた。


「ロン」
 そっと、声をかけた。


 赤毛の少年は、肩越しに振り返って、ニッと笑った。彼は、羊皮紙の散乱したテーブルの前に座っていた。その手元には呪文学の教科書が開いて置いてある。また、腕を載せたところの近くに、サンドウィッチを盛った皿があった。


「やあ、ハーマイオニー。手の具合はどうだい?」


「よくなってきたと思うわ」
 ハーマイオニーは両手を暖炉の炎にかざして、ロンのところからよく見えるようにした。
「お腹減ってるの?」
 目配せで皿を指し示して尋ねる。


「これは、きみの分。昼も夜も食べに来なかっただろ。いつか図書館から出てくることがあれば、きっと腹ペコなんじゃないかと思って、ハリーとぼくとで持ってきておいたんだ」
 ロンはふたたび自分の宿題に向き直って、暗い表情でため息をついた。


 ハーマイオニーはロンの隣の椅子に腰を下ろし、盛られたサンドウィッチの中から、好みに合うものを探し始めた。
「チーズ・サンドは左側だよ。ぼくは、きみがチーズのやつしか食べないって言ったんだけど、フレッドとジョージが、きみは実はひそかにツナとピクルスが好物だってハリーを言いくるめたんだ。まったく、ハリーって時々、不思議なくらい騙されやすいよな」


「ありがと、ロン」
 ハーマイオニーは感謝を込めて言うと、またしてもツナとピクルスだったサンドウィッチを下に置き、無難に美味しそうなチーズのサンドウィッチを探し出した。 「夕食をすっぽかすつもりじゃなかったの。つい、別のことで頭がいっぱいになっちゃって」


 ロンは、今突然、呪文学の教科書が史上最高に興味深い文学作品になったとでも言うように、手元の本に目を落とした。
「また、マルフォイ?」
 ハーマイオニーのほうを見ないまま、静かな声で尋ねる。


 ハーマイオニーは食べるのをやめて、ロンに強い視線を向けた。彼はじっと静止して、一生懸命、さりげない口調を心がけていた。
「いいえ、ちょっと勉強で。例の数占いの課題よ」


「聞けよ、ハーマイオニー」
 ロンが言いかけた言葉を、ハーマイオニーはさえぎった。


「ロン、わたし喧嘩はしたくないの。おねがい、疲れてるの」


「ぼくが喧嘩しかしないって言うのか?」
 こう言いながらハーマイオニーを見たロンの目が、一瞬、憤りに満ちて光った。彼は大きく息を吸うと、言葉を続けた。
「ぼくが言おうとしたのは、ただ、その……」
 ふたたび言葉を切って、本を見下ろす。
「ハリーとぼくは……ぼくたちは、きみがあの嫌味ったらしいろくでなしの、いったいどこを気に入ってるんだか、さっぱり分からないんだけど、でもさ……」
 ロンはごくりと唾を呑んだ。
「ビルが言うには、女の子なんてものはよく、とんでもなく馬鹿なことをやらかすものだから、あんまり気にしないほうがいいって」


 ハーマイオニーは、激怒と憤慨、対応としてはどっちが適切かしら――と考えている自分に気付いた。そのまま立ち上がり、食べかけのサンドウィッチを下に置く。


「おい、ハーマイオニー、悪く取らないでくれよ!」
 ロンが席を立ってハーマイオニーの腕を取り、引き戻した。
「なあ、ぼくがこういうの、苦手だって知ってるだろ。ジニーを引き止めといて、代わりに説明してもらうんだった」


 ハーマイオニーはふたたび腰を下ろし、腕を組んでロンを睨みつけた。


「言いたかったのはさ、その、ぼくらはきみがあの――
 ハーマイオニーの視線がさらに怒りを強めたのを見て、ロンはいったん言葉を切った。
――マルフォイの、どこがいいんだかはさっぱり分からない。それでも、ぼくらはきみの友達だよ。そのことを、きみに知っておいてもらうことが大事なんだ。何があっても、ぼくらは友達だ。そうだろ?」
 彼は少しのあいだ、ハーマイオニーが何を思っているのかを量りかねて、ハーマイオニーの顔をうかがうように見ていた。


 ハーマイオニーが硬直したようになって座っているのを、ロンはびくびくしながら見つめていた。彼女がゆっくりと立ち上がると、ロンはうしろに退いた。ハーマイオニーが、何かを投げつけてくるんじゃないかと恐れてでもいるように。それは、なかなか当を得た予想ではあった。なぜならハーマイオニーは、ロンに自分の両腕を投げかけると、抱きついてわっと泣き出したからだ。


「ハーマイオニー?」
 ハーマイオニーがロンの胸に泣き濡れた顔を押し付けると、ロンは心配そうに声をかけた。


「あなたとハリーは――
 震える声で、ハーマイオニーは言った。
「世界中で一番、素敵な友達よ。わたし、あなたたち二人が、ほんとに大好き」
 声をかすれさせながら、彼女は鼻をすすり上げた。


 ロンはぎこちなくハーマイオニーの背中をぽんぽんと軽く叩いた。彼の耳の先端は、段々と赤くなってきていた。
「おいおい、ハーマイオニー。落ち着けって。ぼくたちもきみが大好きだよ」
 彼はハーマイオニーをなだめられるのではないかと思ってこう言ったが、ハーマイオニーは、ますます激しく泣き出しただけだった。
「ちょっと待てよ。きみ、あいつに何かされたんじゃないだろうな?」


 ロンの期待を込めたような声音に、ハーマイオニーは赤く充血した目で彼を見上げた。


「い……いや、何かされてればいいと思ったわけじゃないんだ、もちろん。ただ、その、とにかく、ぼくとハリーがあいつをぶん殴りに行ける理由ができたら、いつでも言ってくれよな?」
 ロンは慌てて言った。


 ハーマイオニーは声をたてて笑い、ロンから手を放した。ロンは、泣きじゃくる女の子に抱きつかれた状態から解放されて、ものすごくホッとしているようすだった。
「言うようにするわ」
 慎重に、返答する。


「あのさ、あいつ、魔法薬学の授業のとき、きみをかばったんだ。スネイプに反抗して」
 ロンは、もごもごと言った。見るからに、マルフォイについてちょっとでも肯定的なことを口に出すのは嫌なんだが、という風情だった。


「そうなの?」
 ハーマイオニーはびっくりして訊き返した。


「うん、そうなんだ」




 ハーマイオニーは真面目な顔で、呪文学の教室で着席したまま、開いた教科書をわびしい気持ちで見下ろした。今日の課題は、ずっと楽しみだった結合の呪文。しかしフリットウィック教授が嬉々として机のあいだを移動しながら、皆の手の動きや発音を訂正している今、ハーマイオニーは自分の興味がどんどん薄れていくのを感じていた。


「違うわ、ハリー。そうじゃないの」
 ハーマイオニーは机の上から手を伸ばしてハリーの手首をつかみ、心持ち下に向けた。
「さあ、もう一度やってごらんなさい。今度は、もっと胸の奥から声を出してみて。そうそう、そんなかんじよ」


 ロンとハリーは、ハーマイオニーが手助けをし始めたので、呪文の練習を再開した。ハーマイオニーは授業に来る前にこの呪文を予習してあったので、フリットウィック教授が配布した品々を難なくつなぎ合わせることができた。教授は、ハーマイオニーがテディ・ベアの真ん中に読み古した『クィディッチ今昔』を配置してくっつけたものを、模範例としてみんなに紹介することさえした。ロンもハリーも、あんないい本を駄目にするなんて、と不平たらたらだった。


 正直、朝食のときドラコの姿が見えなかったのは、残念だった。ハーマイオニーのほうは、間接的に反対呪文を思わせるものさえ、まったく発見できなかったのだ。ページをめくってもめくっても、内省的な内容が続くばかりだった。結局、ドラコのほうが正しかったのか。独りよがりな惨めさを綴った文章を受け止めるのが、ちょっとつらくなってきていた。


 図書館を出て行ったあとのドラコが、自分よりも幸運に恵まれていはしなかったかと、ハーマイオニーは望みを抱いていたのだった。それはもちろん、彼があのあと、なんらかの作業をしたと仮定しての話だけれど。昨晩、彼はあまりにも唐突に出て行ったので、いったい何が気に食わないのかと尋ねる機会さえなかった。訊いても答えてくれたとは思えないけれど。彼があまりに自己中心的なので、何か投げつけてやりたくてたまらなかった。以前、実際に投げつけてしまったこともある――そう思い至ると、わずかに笑みがこぼれた。


「ミス・グレンジャー?」


 フリットウィック教授の声で考え事を中断されて、ハーマイオニーは飛び上がった。


「はい、先生?」
 慌てて返答する。


「授業を受けもしないうちから呪文を会得していたきみになら、お願いしてもかまわないかと思ったのですが、これをフィッグ先生のところに届けてもらえませんかな?」


 ハーマイオニーはうなずいて、フリットウィック教授が指し示した本の山を抱え上げた。ハリーが素早く動いて、ハーマイオニーのためにドアを開いた。
「授業が終わるまでにきみが戻って来れなかったら、きみの教科書は夕食のときに大広間に持っていくよ」


「ありがとう、ハリー」
 教室を出ながら、ハーマイオニーは肩越しに振り返って言った。


 ほとんどの生徒たちがまだ授業に出ていたので、闇の魔法に対する防衛術の教室には、かなり早くにたどり着けた。フィッグ教授は、今年度からこの教科の担当になった教師だ。彼女は、ルーピン先生にも負けないくらい楽しい先生だった。シリウスは、フィッグ先生とはかなり親しかった。ハリーは、この二人がホグワーツ在学中から友人同士だったのに違いないと推測していたが、シリウスからはっきりと聞いたことは一度もなかった。


 教室のドアが閉まっていたので、本の山で手がふさがっていたハーマイオニーは、爪先でドアを蹴った。応答する声がかすかに聞こえて、ドアが開いた。ハーマイオニーは注意深く入っていって、教卓に向かった。周囲を見回すと、フィッグ教授は教室の真ん中に立っていることが分かった。五年生のスリザリン生の授業だ。


「フリットウィック先生のご指示でこれを届けに来ました、フィッグ先生」
 ハーマイオニーは、こんなにたくさんの敵意に満ちた注目を向けられていなければいいのに、と思いながら、小さな声で言った。


「そう、ありがとう、ミス・グレンジャー。フリットウィック先生には、今週に入ってからずっと、お願いし続けていたのよ。ミスター・マルフォイ、ミス・グレンジャーを手伝ってあげて」
 フィッグ教授は教室の反対側の端に行って、奇妙な黒っぽい箱をしっかりと抱えていた。箱からは、ぶーんという低い音が出ているようだった。


「いえ、いいんです、先生。わたしは大丈夫……」
 しかしそのとき、ドラコの手がハーマイオニーの手に触れて、彼女は言葉を切った。両腕にかかっていた本の重みが、なくなった。ドラコはくるりと背を向けて、本を教卓の上に置いた。それから、こちらを振り返った。その銀色がかった両目に浮かぶ表情は、読み取れなかった。教室中の生徒たちが、ものすごい好奇のまなざしを二人に向けているように思えて、ハーマイオニーは落ち着きをなくして息を詰まらせた。


「じゃあ、これで失礼します、フィッグ先生」
 そそくさと挨拶すると、大急ぎで教室を出た。


 ちょうど廊下の端まで来たとき、ドアが開いて、こちらに駆けてくる足音が聞こえた。一冊の本を手にしたドラコが、速やかに近づいてきた。


「フィッグが、フリットウィックに返しておいてくれって。これはもう持っているそうだ」
 彼は簡潔に言った。氷を思わせるような淡い色合いの髪が乱れて、片方の目にかかっている。


「分かった」
 はにかんだ声で返事をすると、ハーマイオニーは差し出された本を受け取った。

 ドラコはきびすを返して教室に戻って行った。残されたハーマイオニーは、その後姿をじっと見つめた。彼はとてもよそよそしくふるまっている。そしてハーマイオニーは、なんだかおかしなかんじに頭がくらくらし始めている。しかし彼は、数歩行ったところで、立ち止まった。


「見つけたものがあるんだ」
 彼は不明瞭な声でつぶやいた。


「えっ?」
 とっさに彼がなんの話をしているのかを理解できなくて、ハーマイオニーは尋ね返した。


「見つけたものがあるんだ。きみは耳が聞こえないのか?」


「あの本で? ちょっと待ちなさいよ」
 ハーマイオニーは前に出てドラコの腕をつかみ、彼を自分のほうに向かせた。
「反対呪文が見つかったの?」
 ハーマイオニーの声は、抑えきれないほどの興奮に満ちていた。


「そうは言ってない。ただ、見つけたものがある、と言っただけだ」
 ドラコのはっきりしない声音に、ハーマイオニーは眉をひそめた。


「じゃあ、何を見つけたっていうの?」


「とにかく、あとで図書館に来いよ」
 ドラコは、ハーマイオニーの手から自分の腕を引き剥がした。


「なんですって? そんなに待てないわよ! 今、教えて!」
 ハーマイオニーはきつい口調で言った。


 ドラコは振り返ると、ハーマイオニーを引き寄せた。唇がすぐ近くまで寄せられたが、彼はキスはしなかった。唇が触れ合う直前で彼が静止すると、ハーマイオニーは、自分がキスを受け止めるために身を乗り出していたことに気付いて、ギョッとした。そして彼が身を引くと、さらにショックを受けた。


「知ってるだろ」
 ドラコは、やさしい手つきで彼女を押し返した。
「ぼくは、きみをやきもきさせておくのが、好きなんだ」


 ハーマイオニーは目を見開き、愕然としてドラコを見つめた。彼は、ニヤリと笑い返してきた。


「あなた……あなたって……信じられない!」
 ハーマイオニーはくるりと身をひるがえし、ものすごい勢いで廊下を突き進んでいった。


「からかっただけじゃないか」
 うしろから、ドラコの楽しげな声が追いかけてきた。