2004/4/09

Their Room
(by aleximoon)

Translation by Nessa F.


第 23 章 森の中の監視者

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 一陣の風が吹いて、うしろで肖像画がばたんと閉まったとたん、ハーマイオニーはたじろいだ。おかしなことだ。彼女は自分のことを、決して神経質なたちではないと思っていた。いや、もしかしたら勉強に関することでは、神経質と言えるかもしれない。でも、それだけだ。しかし今日は一日中ずっと、卵の殻の上を歩いているような気分だった。さっきハグリッドの小屋から戻ってきたとき、学校の廊下は妙にがらんとしていた。明るい日差しも、校内の廊下には届いていないようだった。いつもなら眩しいほどの松明や陽気なロウソクの光も、今日はハーマイオニーに向かって飢えたように指を伸ばしてくる深い影が延びるのを促しているだけに思えた。


 背後できしむような音がして、ハーマイオニーは息を呑んだ。肩に手が触れると、心の奥底から激しいパニックが込み上げてきた。さっと振り返り、渾身の力を込めて殴りかかる。悲鳴が聞こえて、肩の手が離れた。


 フレッドが、よろよろとハーマイオニーの傍らから退いた。ハーマイオニーの手が当たった脇腹を押さえている。そのうしろでは、ジョージが肖像画の穴の中に立ち止まったまま、明らかなショックの表情でこちらを見つめていた。


「あうう、ハーマイオニー!」
 フレッドがぶつぶつと言った。
「なんなんだよ、いったい?」


「フレッド?」
 ハーマイオニーは一瞬、何が起こったのか把握できずにいるかんじだった。
「まあ、大変。フレッド、ほんとにごめんなさい」
 フレッドのほうに、ハーマイオニーは足を踏み出した。


 ジョージが忍び笑いをし始めた。ハーマイオニーとフレッドは二人とも彼を睨みつけたが、ジョージはさらに大きな笑い声になっただけだった。
「いい気味だよ、フレッド!」
 ジョージは、息も絶え絶えに言った。
「こそこそと女の子に忍び寄ったりするなよって、言ったじゃないか。前におまえがやたらと気に入ってたハップルパフの子たちなら大丈夫だったかもしれないけどさ。我らがグリフィンドールの女の子は、全然違うんだって!」


「黙れよ、ジョージ」
 フレッドは弱々しく抗議した。少しずつ、顔色がもとに戻ってきていた。


「本当に悪かったわ、フレッド。あなただとは思わなかったの。わたしてっきり……なんだと思ったのか、自分でも分からないわ」
 とにかく、最悪の気分だった。ハーマイオニーは、自分のことを暴力的な人間だとは思っていなかったのだ。


 肖像画の穴がまた開いて、ロンとハリーが入ってきた。呪文学の宿題のために図書館から借り出してきた大量の本を運ぶのに苦労している。


「何がそんなに面白いんだい?」
 ロンが、恐々と尋ねた。


「なんでもないよ!」
 フレッドが即答した。


「どうしてそんなふうに脇腹を押さえてるの?」
 ハリーが疑問を表明すると、フレッドは顔をしかめた。


「なんでもないんだ」
 ジョージも一緒になって言った。
「今ちょうどフレッドが、ハーマイオニーは大人になったら英国立競技場のボクサーになるつもりだと知ったところだってだけだよ」


 ハリーとロンの視線を浴びて、ハーマイオニーは赤面した。
「だってフレッドったら、うしろから忍び寄ってくるんだもの」
 深く後悔した面持ちで言う。


「いいんだ、ハーマイオニー。そのうち、許してあげるよ。長いことかけて苦しみながら立ち直った頃になるかもしれないけど。その頃には、おれもこの些細な出来事を水に流せるくらいの気力を取り戻して……」
 ハーマイオニーが睨みつけると、フレッドは言葉を切った。そしていきなり、ひざまずくと胸の前で両手を握り合わせ、ハーマイオニーのほうににじり寄ってきた。
「おねがいです、もうぶたないでください、ハーマイオニー。なんでもします! だからおねがいです」
 と、懇願する。


「もう、何を言ってるんだか」
 どっと笑い出した四人の少年たちに背を向け、ハーマイオニーはふたたび肖像画の穴を抜けた。友人たちに足止めされる前の自分は女子寮の部屋に向かっていたのだと思い出したのは、もう少しで図書館というところまで来てしまってからだった。




 膨大な本の山にさえぎられて、ほかの人々のささやき声が聞こえなくなると、ハーマイオニーは大きく息を吸った。淀んでいるというわけではないが、明らかに古さの感じられる空気。ハーマイオニーはここが大好きだった。書籍や文献の匂い。多数の生徒たちが勉学に励んでいる、しんとした空間。差し出がましい視線を浴びせてくるマダム・ピンスの姿ですら、見れば心が休まった。


 小部屋には誰もいなかったが、もともとドラコがいるだろうと思ってはいなかった。彼がここにいないと、妙にホッとした。ただ座って作業して、彼のことで気を揉まずにいられる。もっとも、包帯を巻かれた手では、何もできはしないのだけれど。ハーマイオニーは、むっつりと腰を下ろした。物悲しい思いで、積み上げられた本のほうを見やる。あくびが出そうになったのを堪えた。昨晩は、あまり寝ていないのだ。ドラコやその他もろもろのせいで。


 ドラコ。ハーマイオニーは、ぼんやりとため息をついた。彼はいつだって悩みの種だ。彼になんらかの感情を抱いてしまうなんて、とんでもないことだと分かっていた。彼はスリザリン生、自分はグリフィンドール生。彼は望み得る最高の血筋を誇る純血の魔法使い、自分はマグル出身者として蔑視されている。ハーマイオニーの友人たちは彼を嫌っているし、彼のほうはむしろ嫌われて楽しそうだ。ドラコ・マルフォイを好きになってはいけない理由なんて、すべて承知している。ハーマイオニーの論理的思考力は、いつも真実を見てとることができる。なのに、理屈ではどれだけ自分に言い聞かせても、強い幸福感が生じるのを抑えられないときがあった。ハーマイオニーが気付いていないと思っているときにドラコが向けてくる視線を感じた瞬間。小馬鹿にするような冷笑が和らいで、やさしい微笑みに変わる瞬間。あるいは、彼がハーマイオニーの顔にかかった髪の毛をうしろに撫でつけたときの、心地よさ。彼の手が触れたときの、不思議なうずき。


 ハーマイオニーはうめき声をあげて、できるだけ意識の裏側に、記憶を押しやった。なんでもいいから、ドラコ以外のことを考えようとむりやりに意識を曲げると、さっき湖のそばにいたときの不安な気持ち、そして廊下を歩いていたときにもずっと続いていた、落ち着かなさに思考が戻って行った。ホグワーツやその周辺で、あれだけハリーの身に恐ろしいことが起こったあとでも、ハーマイオニーはいまだに、ホグワーツはイギリス全土の中でも一番安全な場所の一つだという信念を捨ててはいなかった。それでも潜在意識には、懸念の痕跡がまだ、まつわりついていた。湖のそばで感じた、誰かに見られているという絶対的な確信が、ハーマイオニーを怯えさせていた。本当に、あそこには誰かがいたのだろうか?


 暖炉の中の火が燃えるパチパチという音で、ハーマイオニーは飛び上がった。
「もう、馬鹿みたい!」
 きつい声を出して、ひとりごちる。あまりにも静か過ぎる部屋の中に響いたその声で、気持ちが落ち着いた。


 猛然と包帯を引っ張り始めて、とうとう片方の端を緩めることに成功した。注意深く、怪我をした手から包帯をはがしていく。少なくともあと一時間は巻いておかなくてはならないはずだが、気にしないことにした。何か考えをそらすものが必要だ。両手は赤剥けになっていたが、開いた傷口はなかった。何度か指を曲げたり伸ばしたりしてみて、こわばりを緩和しようとする。それから、ためらいがちに羽根ペンを取り、試しにそっと握ってみた。刺すような痛みが走って指が引きつった。ハーマイオニーは歯を食いしばり、断固として、自分がやらせたいことに手を従わせようとした。数分のあいだは、無理なのではないかと思えた。しかし頑張りが効くのがグリフィンドール生の特質だ。しばらくすると、指から広がる鋭い痛みは緩和され、ハーマイオニーは作業に没頭できるようになった。


 研究はドラコとハーマイオニーの尽力により、着々と進んではいた。しかし例の魔術の本を発見して以来、二人の関心はその中に書いてあった呪文を解釈して試してみることに、ほぼ集約されていた。その他の本をないがしろにしてしまっていたため、学年が半分以上も過ぎてしまった今、ハーマイオニーは二人が作業を完了できないのではないかと心配していた。ベクトル先生は、学年末までにすべてを終わらせてほしいとは、一度も言っていない。夏休みに入ってからも作業を続けることはできるかしら、とハーマイオニーは考えた。フローリアン・フォーテスキューのアイスクリーム・パーラーで自分がドラコの隣に座って、ラテン語で書かれたのちに数占いの暗号を使って変換された古文書を綿密に検討している光景を想像してみる。なんだかデートみたい。ハーマイオニーは一人で苦笑した。


 そのとき、別の考えが浮かんだ。ドラコは夏休みになったら、どうするんだろう? 父親と決裂していて、しかもルシウスがそんなに危険な人物なんだったら、屋敷には戻れないんじゃないだろうか? どこかに誰か、彼を引き取ってくれるような親戚がいるのかもしれない。しかしドラコが "引き取ってもらう" という案を嬉しがるとも思えなかった。それに、ルシウス・マルフォイの息がかかっていない親戚がいるかどうかも疑わしい。ドラコの母親のことなど、考える気もしなかった。ハーマイオニーは、ドラコの母が重病だという話は、ドラコを動揺させるための茶番に過ぎないとほぼ確信していた。


 ため息をついて、ハーマイオニーは机の上を片付け、ずっとないがしろにしてきた古書を何冊か、取りに行った。足の先で木箱を一つ、机に向かって押しやる。できるだけ、手は使いたくなかったのだ。頑張りのあまり顔をピンクに紅潮させながら、さらに力をかけて、大きな箱を移動させようとした。きしむような音がして、箱を構成している古い木の板が抜け、ハーマイオニーは積み上げたいくつもの箱のあいだに倒れ込んだ。


 少しのあいだ、ハーマイオニーは唖然としてそのまま横たわり、今日はなんて恐ろしく運が悪いんだろうと信じられない思いでいた。ハーマイオニーが床に倒れ込んだことでもくもくと立ち昇った埃が、今やそこいらじゅうに舞い降りている。そのおかげで、埃の苦手なハーマイオニーは、くしゃみをしてしまった。


「さっさと部屋に戻って寝てしまおう!」
 ハーマイオニーは小声で不機嫌に言った。


 立ち上がると、崩してしまった本の山を注意深くもとのように積み上げ始めた。転落(文字通りの意味で)の原因となった木箱にふたたび目を向けると、さっき開けてしまった穴から、薄い、今にも崩れそうな風情の折りたたまれた羊皮紙が覗いているのが見えた。


 最近はあまりにも数占いの暗号解読とラテン語の翻訳ばかりやっていたので、一呼吸置くまで、それが英語だとは気付かなかった。もちろん、古英語だ。でもハーマイオニーとしては、どう考えてもラテン語よりはこっちのほうがいい。羊皮紙を開いてみると、それはオリアリーのぞんざいな筆跡で書かれた手紙だった。



親愛なるマッケナへ


どこから話を始めればよいのだろう。故郷の古い家屋の周りを流れる河川を目にしたのは、もうずいぶんとむかしのことだ。そしてふたたび目にできるのは、さらに長い時を経たのちのことではないかとわたしは恐れている。おまえを心配させるつもりはない。ただわたしの年若い甥や姪たちが、わたしを忘れないようにしてくれることを願う。われわれの抵抗は、これまでのところ、成果を上げていない。この災いを退けるべく、すべての五体満足な魔法使いが戦わねばならぬことは承知しているが、おまえも知ってのとおり、わたしは決して戦いに向いた人間ではない。


わたしは、人を殺めた。愛しい妹よ、わたしは、闇の魔法使いたちの一人を、殺めたのだ。そやつは、わたしを探していた。そやつはわたしの住居が森の中にあること、そしてわたしの研究のことを知っていた。われわれの計画を、そやつがほかの者たちに知らせるのを、許すわけにはいかなかった。ただし、本当は殺すつもりはなかったのだ。誓って言う。命を奪う気はなかった。単に失神させるだけのつもりだった。わたしが作ったその呪文は、相手を失神させるだけのもののはずだった。しかしそのときのわたしは、あまりにも激しい怒りを抱いており、憎しみに捕らわれていた。そして呪文は、ひとりでに生命を宿した。おぞましい緑の光が消え去ったとき、わたしは、そもそもこの活動に身を投じなければよかったのだと思った。そもそも、この手に杖を握ったことですらも、間違いだったのだと。


そのとき、その場にはモルソンがいた。彼はわたしの罪の目撃者だ。しかし彼は、これを見て狂喜した。彼は、死んだ男の目にはっきりと浮かぶ恐怖の痕跡を見て、喜んだのだ。そして告白するのも恥ずかしいことだが、わたしは彼に、その呪文を教えた。彼はほかの者たちに、それを広めた。われわれは、魔法省に対して大いなる打撃を与えた。わたしの友人たちは、非常に喜び勇んだ。しかし、これほどまでのおびただしい死から、善なるものが生じることなど、あるのだろうか。


今の望みは、家に戻ることだけだ。この堕落しきった正義の探求を放棄し、故郷に戻ることだけが、わが望みだ。しかしそれが叶えられない望みであることを、わたしは恐れる。永遠に叶えられない望みなのではないかと。



 手紙は唐突に終わっていた。ハーマイオニーは、震える手で手紙をもとの場所に戻した。これがずっと見つからないままならよかったのにと思いながら。顔をそむけると、その他の文書の上に視線をさまよわせる。その目に、嫌悪を伴う決意を浮かべると、ハーマイオニーは捨て鉢になって、例の古い魔術の本をひもとき、あるものを探した。記されていてほしくはない、あるものを。しかし、それはそこに記されてあった。




 ふたたびキーッと音を立てて部屋のドアが開いたのは、放課後になってからかなりの時間が過ぎたあとだった。ハーマイオニーは、身じろぎもしなかった。ドラコはそっと室内に入ってきたが、たちまちは彼女がいることに気付いていなかった。片側にバッグを置いて顔を上げたとき、ようやくハーマイオニーが目に入った。


「どうした? まだ手が痛いのか?」
 彼女のようすがおかしいことに気付いて、ドラコは尋ねた。


 ハーマイオニーは顔を上げてドラコと目を合わせた。彼女が泣いていたことは、ドラコの目にも明らかだった。顔が紅潮しているし、鼻をぐすぐすさせている。


「彼だったの」
 彼女は、ささやいた。


「なんだって?」
 ドラコは歩み寄って、彼女の頬にそっと手を触れた。
「誰が、どうしたって?」


「わたし、見つけちゃったの。あの本で。そこにあるやつ」
 ハーマイオニーは机の一番端にある本を指差した。古びた、名状しがたいもので束ねられている。彼女は机から最も離れた椅子に座って、その本のほうを、不安と不信の表情で見つめていた。


「ハーマイオニー」
 ドラコは彼女の前に膝をつくと、彼女の顔を自分のほうに向かせた。
「何を、見つけた?」


 彼女の目にふたたび涙が込み上げた。痛ましいほどに弱々しい声で、彼女は答えた。
「アバダ・ケダブラ」