2004/4/09

Their Room
(by aleximoon)

Translation by Nessa F.


第 23 章 森の中の監視者

(page 1/2)

「さあ、さあ、いい子だから、もう泣きやんで。そんなにひどいことは、ないんだから」
 マダム・ポンフリーはラベンダーの顔の状態を調べながら、穏やかに舌を鳴らして言った。
「ほとんどはミス・グレンジャーのほうにかかったんじゃないかしら」


 ハーマイオニーは、気を揉みながらラベンダーの隣のベッドに座っていた。
「ラベンダーは大丈夫なんですか? わたし、自分があんなに馬鹿だったなんて、信じられない」


 マダム・ポンフリーは、少量の濃い青色のクリームをラベンダーの顔にやさしく塗り始めた。
「ほら、これでいいわ。ほんのちょっと炎症を起こしただけだから、お昼にはすっかりきれいになっているはずですよ。さて、ところであなたのほうはね」
 ここでハーマイオニーのほうを向く。
「この包帯は、明日の朝まで取ってはいけません」


 ハーマイオニーは意気消沈した表情になった。
「そんなに長いあいだ? でも宿題をやらないといけないんです」


 マダム・ポンフリーは、突き刺すような視線でハーマイオニーを見た。宿題ができないと不平を言う生徒なんて、滅多にいない。
「きっと、なんとかなりますよ」
 どうやら、校医をからかっているなどということはなさそうだと判断して、ようやくマダム・ポンフリーは返事をした。


 ハーマイオニーは、ふたたびラベンダーのほうに向いた。
「大丈夫? ほんとに、ごめんなさい」


 やっとなんとか泣きやんだラベンダーは、涙の残る赤い目でハーマイオニーを見て、震える声で言った。
「いいのよ、ハーマイオニー。あなたにぶつかったのは、わたしのほうなんだから」


「それはそうだけど、スネイプ先生の言うとおりだったわ。鍋の真上でハスの根を計ったりしてはいけなかったのよ。分かってたはずなのに」


 実際、分かっていたはずなのだった。魔法薬学に関する安全規則なら、知り尽くしている。そして、材料を計量するときに熱源の近くでやらないというのは、リストの最優先項目だ。それなのに、ぼうっとしていた。教室に入ったときからずっと、ぼうっとしていた。彼と目を合わせてしまったときから。その瞬間、もう手遅れだった。彼に気を取られてしまった。その後は、授業を受けていてもずっと頬はかすかに火照っているし、手は震えるし、胃の中で数千もの蝶々がひらひらと舞い躍っているような気分だった。


 確信はできなかったが、授業中ほとんどずっと、誰かの視線が感じられてならなかった。その視線の主を推測するのは、簡単だった。しかしハーマイオニーは、振り返ってたしかめる勇気がなかった。この目で見なければ、はっきりと知ることなくいられる。知らずにいるほうが、ずっと安全なように思われた。ドラコ・マルフォイがこちらを見つめて、昨夜のことを思い返しているのかもしれないと考えるよりも。


「さあ、これで二人とも治療は終わりましたよ」
 マダム・ポンフリーの声で、ハーマイオニーはひそかな物思いから我に返り、病棟に意識を引き戻された。
「さて、わたしの言ったことを、ちゃんと覚えておいてくださいね、ミス・グレンジャー。包帯はこのままに。ミス・ブラウンよりも膏薬がたくさん必要だったの。空気に触れると、浸透しないわ」


 ハーマイオニーは黙ってうなずき、立ち上がった。両手を見下ろす。白い包帯が分厚く巻かれていた。毎回、どうにかなるのは手ばっかりだ。運命の女神が、ハーマイオニーを本気で苦しめるには、勉強をできないようにするしかないと心得てでもいるようだ。ためらいがちに指を曲げてみたハーマイオニーは、今夜はどうやったって字を書くことは不可能だと悟った。指の周りの包帯からかかる圧力がなかったとしても、こわばった指を動かしたことで生じた痛みは、これ以上同じ動作を繰り返そうとは思えないほどだったのだ。




 ラベンダーとハーマイオニーは、玄関ホールに降りる階段の前で別れた。暇になった午後を、ラベンダーは "マヴィ魔法メイク用品" とハンナ・アボットが所有するマグルの頬紅を混ぜ合わせてみることに費やすつもりだった。これは、一キロメートル近く離れたところからも分かるような、かなり面白い組み合わせになるはずだとパーバティが断言していたのだ。個人的には、信号機みたいにピカピカ目立ってどうするの、とハーマイオニーは思っていたが、はっきり口に出してそう言うには、ラベンダーを知りすぎていた。ラベンダーが熱心に申し出てくれたイメージチェンジの提案を丁重に断りはしたが。そして、その代わりに湖の周辺を散歩することにした。


 かすかな春風が、澄みわたった湖面をかすめて吹き過ぎていく。もう寒くはないのが、嬉しかった。OWL(普通魔法使いレベル)試験まで、あとたったの数ヶ月だ。ハーマイオニーは渋い顔になった。この時間を有効に使ってOWLのために勉強することだってできたのに、大鍋を爆発させちゃうなんて。


 ハーマイオニーは湖のほとり近くで立ち止まった。禁じられた森が、またしても岸辺沿いの道に出張ってきている。『ホグワーツの歴史』によれば、数年に一度の割合で、魔法を使って森を元の場所に戻さなければならないのだった。木々は、まるで独自の意識を持っているかのように、時たま学校を呑み込みたがっているような動きを見せるのだ。太陽が雲に隠れて、暗く浮かび上がった木々から不気味な影がこちらに向かって伸びてくると、ハーマイオニーは身震いをした。そして、本当に突然に、自分が何者かに見られていると感じた。


 さっと振り返ってみたが、誰もいない。それでも、見られているという感覚はまだ続いていた。誰かがこちらを凝視しているという、背筋が冷たくなるほどの絶対的な確信。あまりにも強い視線だった。そして、この強さには、どこか馴染みがあった。

「ドラコ?」
 そっと、呼んでみる。思ったよりも遠くまで、声が響いてしまった。


 落ち着かない気持ちで、さらに森に視線を走らせていく。樹冠の奥深くに、一瞬、不吉な動きがあって、目を引かれた。束の間、人影が見えたような気がした。


「ハーマイオニー?」


 悲鳴をあげてくるりと振り向いたハーマイオニーのもとに、ハグリッドの胴間声が響いてきた。ハグリッドは、通路をこちらに向かって歩いてくるところだった。


「ハグリッド、あそこに誰か……」
 しかし、木々の生い茂る暗がりにもう一度目をやったハーマイオニーは、言葉を失った。誰もいなかったのだ。
「たしかに見たと思ったのに……」
 ハーマイオニーは当惑して眉をひそめた。


「授業じゃねえのか?」
 ハーマイオニーの隣まで来ると、ハグリッドは尋ねた。


 流れ雲のうしろから太陽が逃れ出て、通路はふたたび、暖かい春の光に覆われた。何かの先触れのように思えた木々は、日光のもとではまるで萎縮しているかのように見え、見られているという感覚はすっかり消え去っていた。不審な茂みを最後にもう一度ちらりと見ると、ハーマイオニーは質問の答えを待っているハグリッドのほうに向き直った。返事の代わりに、包帯を巻かれた手を出して見せる。


「どうした? またネビルが大鍋を吹っ飛ばしたか?」


「違うの」
 ハーマイオニーはむっつりと言った。
「わたしがやったの」


 ハグリッドは、クックと笑いそうになったのを堪えて、同情するような声で言った。
「まあ、どんな偉い人間にも、失敗はあるからなあ」


「宿題もできやしない」
 ハーマイオニーは不機嫌な声で言った。突然、片方の手がものすごく痒くなってきたことに気付いて、いささか自分が可哀想になったのだった。


「だったら、一緒にきておれを手伝ってくれたらええ。心配いらんよ、手は使わねえから」
 ハグリッドは歯をむき出して笑った。
「ちょうど今日、バイメストリスが何匹か届いたところでな。梱包を解くあいだ、おとなしくさせておきたいんだが、うまくいかんでな」


 ハーマイオニーは、やることができてありがたいのと、もう一人で歩かなくてよくなったのとでホッとしてハグリッドについて行った。


 バイメストリスなんて、聞いたこともなかった。魔法生物に関するハーマイオニーの知識はかなり広範にわたっていることと、ハグリッドが法律違反になるような授業課題を好む教師として知られていることを考えると、これは決していい兆候とは言えない。ハグリッドの小屋の前の空き地に近づくにつれキーキーと騒がしい音が聞こえてきたので、悪い予感はいやが上にも高まった。小屋にたどり着く頃には、騒音は耐えがたいほどになっていた。一千もの小さな声が、恐怖にかられて甲高く叫び続けているみたいだ。しかし、一瞥してハグリッドの言葉の意味が分かると、不安はすっかり消え去った。小屋の戸口付近に置かれた、蓋の開いたいくつかの木箱の中には、とても小さな、さまざまな色をした毛むくじゃらの動物が入っていた。ハーマイオニーの手のひら程度の大きさしかないこの動物は、怯えてキーキーと鳴きながら、どこへも逃げられないのに、お互いの上に乗り上げるようにしてもがき続けていた。毛皮で覆われた小動物たちの何匹かは、少しのあいだだけ死に物狂いにあがくのを止め、あからさまな興味を示して、ピンク色の鼻をぴくぴくさせながらハーマイオニーを見上げた。それからまた狂乱の発作がよみがえったらしく、大混乱の中に戻っていった。


「ハグリッド」
 ハーマイオニーは微笑みながら訊いた。
「この子たちには、どんな性質があるの?」


「そうさな、今みたいに物怖じしていなけりゃ、いろんなことができる」
 ハグリッドが彼らの一匹に手を伸ばすと、バイメストリスはみんな、まるで魚の群れのように、その手が届かないところまで退いていった。
「通常は、魔法使いの家の庭で、雑草駆除に使われとる。こいつらは新鮮な草だのをむしゃむしゃやるのが大好きなんだが、どうやら触れてはならん植物の見分けがつくらしい」
 ハグリッドは、ちょこまかと動き回る小さな生き物たちに向かって、愛しげに微笑みかけた。
「ああ、それから、見りゃ分かると思うが内気なやつらだからな、めったに人目に触れるところには出て来ねえ。スプラウト先生の温室に百匹くらい入れてやったとしたって、一匹だって誰かに見つかることはねえ。そういう意味では、屋敷しもべ妖精に似たところがあるかもしんねえ」


「あら、屋敷しもべ妖精が人目につかない存在だっていうみんなの思い込みは、わたし間違ってると思うの。もちろん、ほとんどの人たちが、魔法界の水面下での屋敷しもべ妖精の過酷な生活から目をそらしていられたのは、そのせいなんでしょうけど。人目につかないからって……」


「ハーマイオニー」
 ハグリッドは穏やかに言った。
「おまえさんの声にバイメストリスが怯えとるぞ」


 ハーマイオニーは声高な主張を中断して、ふたたび木箱を見下ろした。小さな毛むくじゃらのげっ歯類たちは、少し前までよりもさらに狂乱状態になっていた。
「まあ、ごめんなさい」
 急いで、ハグリッドに謝罪する。
「この子たちを怖がらせるつもりはなかったの。どうやったら落ち着かせることができる?」


「ああ、こいつらはいつも、上手な鼻歌を聞くと喜ぶようだ」


「なんて言った?」


「鼻歌。こいつらは鼻歌が好きなんだ。だが、どういうわけだか、おれの歌は好かんらしい」
 一瞬、ハグリッドの笑顔が曇った。
「おまえさんの歌なら、気に入るかもしれん」


 ハーマイオニーはバイメストリスをちらりと見てから、もう一度ハグリッドに目を向けた。
「どんな曲がいいの?」


「なんでも」


 ハーマイオニーは眉を寄せて、何かの歌を思いつこうとした。いきなり言われたので、その瞬間、頭の中にどんな歌も思い浮かばなくなってしまったのだ。一回、息を吸うと、ゆったりとした美しい旋律をハミングし始める。歌詞ははっきりとは覚えていなかった。しかし記憶をたどれば、ずいぶんと前、まだ雪が舞っていた頃に、校庭でダンスをしたときと同じ曲だと、思い出したことだろう。


 一匹、一匹とバイメストリスはやさしい歌声に気が付いて、その声に合わせてゆっくりと体を揺らし始めた。そのおかげで、ハグリッドは手を伸ばして彼らを抱き上げることができた。毛皮と目の状態を調べ、手馴れたようすでそれぞれの鼻先を軽く叩く。バイメストリスたちはもぞもぞしながら甲高い鳴き声をあげると、最後にくしゃみをして細かい埃を吐き出した。埃はきらきらと光りながら、空中に拡散していった。それからハグリッドは、彼らをみんな、やさしい手つきでそばに用意してあった大きな檻の中に放した。


 ハーマイオニーはその午後をずっと、ハグリッドが繰り返し繰り返しこの手順を行なって、バイメストリスたちが一匹残らず検査され、新しい家に入れられるまで、彼らの気をそらしておく手伝いをして過ごした。すべてが終わってハグリッドに別れの挨拶をし、学校に戻る頃には、心はかなり軽くなっており、気分も穏やかだった。宿題ができなくったって先生のお手伝いができたんだから。これはハーマイオニーにとっては、いつだって嬉しいことだった。ちょうどドアにたどり着いたとき、ふと肩越しにうしろを振り返りたいという衝動を感じた。森のはずれのあの場所に、人影が立っている。沈みつつある太陽の逆光に目を細めながら、ハーマイオニーはその人影がハグリッドかどうかたしかめようとした。しかしたしかめられる前に、人影は暗闇の中に戻っていってしまった。ハーマイオニーは、不安な気持ちでその場に立ったまま、もうしばらくそちらを見つめてから、学校に入っていった。