2004/3/20

Their Room
(by aleximoon)

Translation by Nessa F.


第 20 章 パンジーからの報せ

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 最後まで残っていた雪もついに溶けた。冬の季節が終わりに近づいており、誰もがためらいがちな春の到来を感じ取っていた。それでもまだ、冬はホグワーツの校庭を明け渡してはいなかった。木々のあいだから差し込んでくる光も、さほど空気を暖めてはくれていない。刺すような冷気が二人の周囲を取り巻いていた。しかしそれでも、ドラコは楽しいひとときを過ごしていた。


「そうだ、これならどうだろう」
 彼はハーマイオニーの杖が右を指すように、彼女の手首をつかんで向きを変えた。
「さあ、もう一度言ってみろよ」


 ハーマイオニーは戸惑った表情で、呪文を繰り返した。軽やかに快いその声が、ただ読み上げるというよりむしろ歌うほうが似合いそうな言葉を、唱えていく。その杖の先から、緑色の霧、いや霞としか見えないものが噴き出し、ハーマイオニーの足元の地面に染み込んでいった。二人がかたずを呑んで見守るうちに、彼女のブーツの周囲に、青々とした小さな草の芽が顔を出した。畏敬の念に打たれつつ引き続き観察していると、ささやかに育った草はやがてしおれて、生気のない茶色になった。


「悲しいわね」
 一呼吸置いて、ハーマイオニーは言った。
「わたしたちがむりやり芽を出させちゃったのに、まだ外は寒すぎたんだわ。なんだかわたし、この草を裏切ってしまったような気がする」


 ドラコは面白がるような表情で、ハーマイオニーを見た。
「ハーマイオニー。ただの草だよ」


 ハーマイオニーは気乗りのしない顔でドラコを睨みつけ、大きな岩の上に腰を下ろした。周囲には、何冊かの本と、何枚もの巻紙が散らかっている。ドラコが見ていると、彼女は手袋を外し、羽根ペンを出そうとバッグの中に手を入れた。うめき声をあげて失望を表明し、さらに奥まで探し始める。


 ドラコは自分のローブに手をやって、ポケットの一つから黒い羽根ペンを取り出した。
「ほら」
 ハーマイオニーに向かってそれを投げながら声をかける。
「そもそも、何に使うのか知らないけど」


「"有用な呪文" のリストにこれを追加するのよ」


「そんなに有用には思えないけどなあ」
 ドラコは手に持った古書と、自分が書いたメモを見下ろした。
「ちょっと草が生えただけじゃないか」


「まったく」
 ハーマイオニーはショックを受けた表情でドラコを見上げた。
「何かを炎上させたり爆発させたりするような呪文じゃないと、あなたにとっては無意味なのね。男の子って、ほんとにみんな、おんなじだわ。グリフィンドールだろうとスリザリンだろうと」


「それは違う」
 ドラコは言い返した。
「さっきの呪文はよかったぞ。ほら、きみのローブがそっくり吸い取られそうになったやつ」


 ハーマイオニーは険悪な表情で顔を赤くして、目をそらした。
「とにかく本当に、植物の成長を速めることのできる呪文だとしたら、すごく重要だわ。スプラウト先生がこの呪文を使えば、どんなにすごいことができるか考えてみなさいよ」


 ドラコはまだ、ハーマイオニーがローブを剥ぎ取られかけたことを思い返して微笑んでいた。
「そうかもしれないな。植物の成長を速めることができれば、きみだって二年生のとき、あんなに長いあいだ病室で寝ている必要はなかったものな」


 ハーマイオニーは驚いて顔を上げた。
「わたしが病室にいたこと、どうして知ってるの?」


「ああ、みんな知ってたさ。例の "スリザリンの継承者" のことでは、ほとんど学校中がパニック状態だったからな」
 ドラコの顔に、むかしを懐かしむような表情がよぎった。


 ハーマイオニーは不快感をあらわにして彼を見た。


「それに、いつだって敵の状況を把握しておくに越したことはない」


 ハーマイオニーは胸の前で腕を組み、ドラコを貫くような視線を浴びせた。


「おい、勘違いするなよ。その頃からきみが好きだったなんてことは、ないんだからな」
 ドラコは神経質に付け加えた。こんなふうに見られていると、非常に落ち着かなかった。


「じゃあ、今は?」
 ハーマイオニーは、まだあの、心の奥まで見通すような目を向けてきていたが、声はとても静かだった。


 ドラコは口を開けたまま、彼女を見つめ、言うべき言葉を思いつこうとした。このまますんなりと、好きだなんて言えるはずがない。自分でも、完全に確信を持ったことは一度もないのだ。しょっちゅう彼女のことを考えているという自覚はある。でも、ハーマイオニーが訊いているのは、そういうことか?


「今度は、こっちの呪文を試してみよう」
 そう言うとドラコは、手に持った本を固く握りしめて、唐突に立ち上がった。


 ハーマイオニーはさっと目をそらして、うなずいた。ドラコは彼女に背中を向け、頭の中で呪文を何度も何度も繰り返し始めた。この日、今まではほとんどハーマイオニーの顔に浮かびっぱなしだった微笑が消え失せて、開けっぴろげに輝いていた両の目が今では警戒の色を見せていることを、一生懸命、無視しようとしていた。


 内心では、ドラコは自分を蹴りつけていた。いつも、何を言ったらいいのか分からなくなる。ほかのほとんどの女の子の前では、冷静沈着そのものなのに、ハーマイオニーに対しては、失言ばかりしているような気がする。でも、そもそも彼女は、何を期待しているんだろう? ひざまずいて尽きせぬ愛を告白するとか、そういった類の馬鹿げたことか? パンジーがいつもやってほしがったような、その手のくだらないロマンティックな行動を取るくらいなら、尻尾爆発スクリュートにキスしたほうがマシだ。なのに、今度はハーマイオニーまで、そんなことを言い出すのだ。そうなんだろう? ドラコには、彼女の真意が分からなかった。もどかしい思いで、ドラコは小さくうめいた。


 ハーマイオニーは座りなおして、自分のメモに目を通し始めた。
「そうね、あなたがやりたいのなら、そっちの呪文でいいわ。説明の翻訳は、どうなってる?」


 ドラコはホッとして、自分のメモを読んだ。
「"植物を維持する"」


「それが、訳文?」
 ハーマイオニーは腕を組んだ。
「あんまり明解じゃないわね?」


「だって、あのページはインクが滲んでいたんだ」
 ドラコは自己弁護のために言い返した。
「それにどうせ、なんの呪文かは、すぐに分かるじゃないか」
 ハーマイオニーがちょっと嫌なくらいマクゴナガル教授そっくりの表情になったのを見て、慌てて言葉を付け足す。


 ドラコはポケットから杖を出し、辺りを見回して適当なターゲットを探した。ハーマイオニーがちょこんと座っている岩の横に、厳しい冬を越せなかった、小さな枯れた茂みがあった。ドラコはかすかにニヤリと笑うと、そちらに杖を向けた。


「インリゴ!」


 最初は、何も起こらなかった。杖から光が出ることもなく、閃光がほとばしることもない。何もない。ドラコは眉をひそめた。そのとき突然、何か音がして茂みがピクピクと動いた。ハーマイオニーは目を見開いて、茂みのほうをうさんくさげに見た。大変、賢明な反応だ。茂みはもう一度ピクピクと動いたかと思うと、ありとあらゆる方向に成長し始めた。葉のない枯れた枝が、四方八方に伸ばされていった。ハーマイオニーはハッと息を呑んで岩を這い上った。枝はのたくりながら彼女のあとを追い、足首を捕らえた。ハーマイオニーは足を自由にしようともがいたが、無理そうだった。さらに多くの枝が、渇望するようにハーマイオニーに枝を伸ばしている。彼女は、恐怖の悲鳴をあげた。


「フィニート! フィニート・インカンターテム!」
 ようやく我に返ったドラコは、叫びながら彼女を助けようと走り寄った。


 低木は壮絶な進攻を停止したが、退却はしなかった。そのまま静止して、ふたたび枯れ木に戻った。ハーマイオニーは捕捉された足を引き抜こうとしたが、いかにも脆そうな枝でありながら、逃れることはまったく不可能だった。


「ほら」
 ドラコはポケットから小さな黒い物を出した。小さな折り畳みナイフだ。彼はやすやすと乾いた枝を切り開き、ハーマイオニーが岩から降りるのに手を貸した。


「ナイフを持ち歩いてるの?」
 ハーマイオニーが尋ねた。


「ルシウスはいつも、何があってもいいように備えておくに越したことはないという考えだった。杖を持っていないときに、たまたま、またとないチャンスが……」
 ハーマイオニーが半目になったので、ドラコはすぐさま話題を変えた。
「まあ、今のはたしかに、大した呪文だったよな?」


「ええ、そうね。すごく。あの茂みがわたしを食べようとしたのなんか、素敵だったわ。とっても元気づけられましたとも」
 ハーマイオニーは噛みつくように言った。


「心配するなって。喰われたりするもんか。口がないんだから。単に中まで引きずり込まれたまま、風雨に晒されて朽ち果てることになるだけだよ」
 ドラコはニヤニヤ笑った。


「大した気休めだわ、ドラコ」
 ハーマイオニーはドラコを睨みつけたが、しかめ面を保てたのは少しのあいだだけで、すぐに微笑み返してきた。


 ハーマイオニーはローブの裾から乾いた小枝の残骸を払い落とし始めたが、ふと手を止めて眉をひそめた。遠くのほうから、近づいてくる人の声が低く響いてきていた。ドラコが見ていると、彼女はふたたび岩に上って、端のところからそろそろと向こうを覗いた。それから頭を引っ込めて素早く岩から下り、リュックサックを引き寄せた。


「何やってるんだよ?」
 ドラコは尋ねた。


「しーっ……聞こえちゃうわ」
 ハーマイオニーは、かなり手当たり次第に、持ち物を片付けていた。それが終わると、ドラコの腕をつかみ、自分の背後に押しやる。声は段々とはっきり聞こえるようになってきていた。


「誰に聞こえるって?」


「ロンとハリー。こっちに来てるの」
 ハーマイオニーは禁じられた森の中へ数歩入ったところにある大木のうしろにドラコを引っ張り込んだ。


「だからなんだよ? 神童ポッターにしてもあいつの友人にしても、ぼくらが一緒にいることがあるのは知ってるだろ。それとも、あいつらはそんなに鈍くて、まだようやく認識し始めたところだって言うのか?」
 ドラコは、妙に侮辱された気分だった。ポッターやウィーズリーから逃げ隠れする気にはなれなかった。


 太い木の幹の端から向こう側を覗いていたハーマイオニーは、振り向いてドラコを睨んだ。
「もちろん、あの二人は知ってるわよ。でも病棟でのあの一件があってからは、なるべく思い出させないようにしているの」
 彼女は言った。
「と言っても、ほんとのところ、ロンはあれについてはただ単に記憶を封印してしまってるみたいなんだけど」
 つぶやくように付け加える。


「あの一件? あの一件ってなんだよ? きみの言い方だとまるで、あれが宿題で間違った回答を書いてしまった程度のことにすぎないみたいだ」
 ドラコはムッとしてハーマイオニーを睨み返した。


「そこまで大変なことじゃないけど」
 彼女はささやいた。もう、足音も耳に届くようになっていた。


「そこまで大変なことじゃない? そうだろうさ。きみの驚くべき友人たちはしょっちゅう、きみが敵とキスしているところを目撃しているんだろうさ。きっと大喜びだっただろうね。もしかしたら、きみがみんなの思っていたような善良な小娘じゃなかったと分かったことを祝って、パーティでも開いてくれたんじゃないか」
 今や、ドラコはカンカンに怒っていた。


「ドラコ、おねがいよ」
 ハーマイオニーは必死にささやいた。
「彼らに聞こえちゃうわ」


「かまうものか!」
 ドラコはつっけんどんに言った。ハーマイオニーの腕をつかむと、彼女を木の幹に押し付ける。あまりにも怒りが激しくて、彼女のようすもほとんど目に入らないくらいだった。頭を下げて、むさぼるように唇を合わせる。彼女の上腕を押しつぶすようにきつくつかんで、乱暴に押しやるようにして、自分の身体を強く押しつけた。頭の片隅のどこか遠くのほうで、ポッターとウィーズリーがたった数フィートしか離れていないところを、会話しながら通り過ぎていくのを認識していた。しかしドラコは、それでもハーマイオニーを解放しなかった。さらに身体を押し付け、ずっと前の初めてキスしたときと同じようなやり方で、口づけた。彼女がドラコに向かってすすり泣くような声をもらすと、ドラコは突然、静止した。手を放す。ゆっくりとうしろに下がって、彼女を見た。


 ハーマイオニーはまだ木にもたれかかったままだった。両の目は大きく見開かれ、恐怖の感情を浮かべている。自分が何をしてしまったのかに気付いて、ドラコは呆然と口を開いた。ドラコは、彼女のローブの留め金をすっかり外してしまっており、黒い布は斜めになって彼女の肩に引っかかっていた。ローブの下に着ていた赤と黄色のセーターは、くしゃくしゃだった。ドラコは、自分の手が動いていたことに、気付いていなかったのだ。自分の手が、彼女の身体の上を這い回っていたことに。もう一度視線を合わせると、彼女の目からは涙があふれ出していた。ドラコは何かを言いたいと思った。この涙を止められるなら、なんでも。しかし、口の中が干上がってしまっていた。


 一滴の涙が、彼女の頬を伝い、きらきらと光る跡を残して流れ落ちていくと、ハーマイオニーは変色した唇から大きく、ぎくしゃくと息を吸った。木から身体を離して、注意深くドラコの身体に触れないようにしながら、ゆっくりと彼の周囲を迂回する。いったんドラコの横を通り過ぎると、彼女は警戒しながらバッグを拾い上げ、さらに数歩、遠ざかったかと思うと、くるりとうしろを向いて学校に駆け戻って行った。


 ドラコは、言うべき言葉を口から出せないまま、彼女が去っていくのを見つめた。すまなかったと、そんなつもりじゃなかったんだと、言うことができなかった。


 先ほど練習をしていた大きな岩のところまで戻ると、ドラコは意気消沈してその上に腰を下ろした。まだ彼女はここにいるのだ、さっきの数分間はなかったのだと自分を誤魔化してしまいたいくらいだ。彼女がどこか遠く、グリフィンドール塔の中で、ドラコへの憎しみをつのらせているだろうということを認識するより、そっちの空想のほうがよほど好ましい。ドラコは立ち上がると、その場を行ったり来たりし始めた。まったく、まるで恋に悶々とするティーンエイジャーみたいに、彼はハーマイオニーに対して狼藉を働いてしまったのだった。マルフォイ一族には、数多くの行動規範がある。恋愛に悶々としているようなふるまいも、ティーンエイジャーのようなふるまいも、禁忌とされていた。なのにたった今、女の子の身体にやみくもに手を触れてしまったのだ。他人にどう思われるかなどおかまいなく。それどころか、ハーマイオニーの気持ちさえ考えず。さらに悪いことには、ドラコはあの瞬間、あまりにも怒り狂っていたため、自分の行動を正確に思い出すことすらできずにいた。自分の手が、彼女の腕を押さえつけていたことは覚えている。その手を上にずらして肩に置いた。それから、また下に。ドラコは歩き回るのをやめて、遠くのほうに見える学校を、かすかな畏怖と驚愕の表情で見やった。


「もう絶対に許してはくれないだろうな」
 声に出して、彼は言った。