Their Room
(by aleximoon)
Translation by Nessa F.
第 18 章 アエクィトゥスの騎士
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翌朝、ドラコはのんびりと廊下を歩いていた。図書館での一夜は非常に長く感じられた。まだまだやることが残っている。いくら時間を費やしても、成果を出すには足りないような気がした。しかし昨晩、図書館を出たところでハーマイオニーと別れてから、ほんのわずかな睡眠しか取る暇がなかったにもかかわらず、気分は驚くほど軽かった。今、彼は図書館に向かっているところだった。ハーマイオニーと一緒の授業は、午前中の早いうちに行われた魔法薬学だけだった。ドラコはその時間のほとんどを、片方の目でハーマイオニーを、もう片方の目でスネイプを見て過ごした。スネイプ教授を無視するのは、得策ではない。彼はいつも、注意を払っていない生徒がいるとすぐに気付くようだから。
廊下には、ほとんど誰もいなかった。みんな、食事をとりに大広間に向かっているのだろう。突然、何かが動いてドラコの目を引き付けた。右手の階段の上の踊り場に、ハーマイオニーが現れたのだ。目が合うと、彼女は微笑みかけてきた。ドラコは引き込まれるような奇妙な力を感じて、彼女のほうへと足を踏み出しかけたが、そこで立ち止まって、周囲を見回した。
「でも、万が一……」
「大丈夫よ。あなたが穢れた血と一緒のところは、誰にも見られたりしないわ」
階段を降りてドラコに近づきながら、ハーマイオニーはさらりと言った。
ドラコは、彼女が "穢れた血" という単語を口にするのを聞いて、身をこわばらせた。彼自身がその言葉を使ったのは、もうずっと前のことだ。今、自分以外の人間の口から聞くと、それは耳障りで冷酷な響きのする言葉だった。
「そんなことを言おうとしたんじゃない」
鋭い口調で、ドラコは言った。しかしそれは、自分自身にさえも信じ込ませることのできない嘘だった。信じたくてたまらなかったのだけれど。ドラコは後ろめたい気持ちで、彼女から目をそらした。不思議なことだ。後ろめたさなんて、生まれてこの方ずっと感じたことがなかったのに。この学年が始まるまでは。彼女とこうなるまでは。
「いいのよ」
彼女は、静かに言った。
「気にしてないわ」
しかしこれもまた、二人のどちらもが気付かずにはいられない、嘘だった。
二人は無言で、肩を並べて図書館に向かった。どうやら、彼女は正しかったようだ。誰にも見られてはいない。不自然に思われるほど、校内のこの一画にはひとけがなかった。
「そうだ」
ハーマイオニーはバッグの中を探して、非常に太い巻物を取り出した。
「あなたも見たいんじゃないかと思ったの」
ドラコは巻物を受け取った。非常に重く、太い皮ひもで括られている。片方の端に、"魔法省の不運 講師:トビアス・グレイソン" という文字が印刷されていた。
「なんとまあ。聖ステファン校は、本物の教科書を発行することもできないほど貧乏なのか?」
ドラコは、穏やかにからかいの言葉を発した。
彼女が微笑み返してくると、ドラコは思わず廊下の真ん中で立ち止まって、そちらを見た。ハーマイオニーの微笑が深くなった。ドラコは手を伸ばして、彼女の顔にかかった一筋の髪を、耳のうしろに撫でつけようとした。
「ドラコ!」
耳をつんざくような、熱狂的な喜びにあふれた叫び声が、がらんとした廊下に響き渡った。ドラコのすぐ背後の教室のドアからパンジー・パーキンソンが出てくるなり、ドラコの首に抱きついた。あまりの勢いだったのでドラコは前方によろめき、ハーマイオニーにぶつかって突き倒してしまった。ハーマイオニーのバッグがぱっくりと開いて、本や羽根ペンが床の上を転がっていった。
「ドラコ」
パンジーは背後から猫が喉を鳴らすような声で言った。腕はまだドラコの首に回されたままだった。
「最近、どこに隠れちゃってたの? 寂しかったわ」
想像の余地を残さない口調だった。ハーマイオニーの目が、危険なかんじに色合いを深めた。
パンジーは、自分の身体ができるだけドラコと密接したままになるようにしながら、ドラコの前に移動した。それから、羽根ペンを拾い集めようとしているハーマイオニーに気付いて、意地悪く微笑んだ。
「まあ、まあ、まあ。グリフィンドール塔のチビで出っ歯の穢れた血じゃないの。どうしたの、グレンジャー。ポッターとウィーズリーはどこ? まさか、一人きりで放って置かれているなんて言わないわよね? マグル出身者が一人で出歩くのは危ないのよ」
パンジーは前に進んで、荷物が散乱したときに床の上を滑っていった、ハーマイオニーの杖を直角に踏みつけた。
「わたしに怖がってほしいの、パンジー?」
ハーマイオニーは果敢に問いかけた。
「彼女にかまうな、パンジー」
ドラコは、静かな声で言った。口に出してしまってからも、自分の言ったことに驚いていた。
パンジーはドラコの言葉を無視して、自分自身の杖をポケットから出した。ハーマイオニーは用心深く立ち上がって、廊下の先に目をやった。先生が通りかかってくれないかと思っているに違いなかった。
「彼女にかまうな、パンジー」
ドラコはもう一度言った。さっきよりも、少しだけ強い口調だった。
「あら、いいじゃない、ドラコ。ちょっと遊んでるだけよ。わたしなら、この女の歯を、以前の状態に戻してやれると思うの」
パンジーは悪意のある笑顔を見せた。
「分からないのか」
ドラコはパンジーの腕をつかんで、強い力で振り向かせた。
「かまうなと言った」
低く、物騒な声音で言う。
パンジーはドラコの手から自分の腕を引き抜いた。
「つまんないこと言うのね、ドラコ。ただの馬鹿な取るに足らない穢れた血じゃないの。かばってやるだけの価値なんて、ほんとにあるの?」
ドラコはパンジーを睨みつけた。気がつくと、こぶしを固めていた。パンジーのことを疎ましく思いこそすれ、ドラコは彼女を傷つけたいと思ったことはなかった――少なくとも、今までは。ハーマイオニーはドラコのようすに気付いたらしく、飛び出してきて彼の手首をつかんだ。
「駄目、ドラコ」
目が合うと、彼女の瞳の中に、ドラコが何か無分別なことをして問題を起こすのではないかと恐れているのが見てとれた。同時に、ドラコが自分をかばったことに対する、感謝の気持ちも。数フィート離れたところで、衝撃を受けたパンジーが、ぽかんと口を開けて二人を見つめていた。
「ああ……そう、そうだったのね。その穢れた血のせいだったのね」
ドラコは素早く振り向いて、パンジーを睨んだが、彼女は微笑んだだけだった。そのまま身をひるがえして、二人から遠ざかっていく。歩きながら、低く笑い声をあげていた。
「よりにもよって」
階段を下っていきながら、パンジーは言った。
「ドラコ?」
ハーマイオニーがそっとささやいた。
「なんだよ?」
ドラコは苛々と応じた。思った以上に、棘のある声になってしまっていた。
ハーマイオニーはドラコの腕を放して、用心深い表情でドラコから距離をあけた。膝をついて、バッグに持ち物を戻し始める。ドラコはそのうしろで、どうしていいのか分からずに、立ち尽くしていた。廊下の向こうに目をやると、パンジーが出てきたのと同じ教室から、生徒たちが少しずつ出てきていた。前にパンジーが言っていたことのある呪文学の自習グループだ、とドラコは気付いた。ハーマイオニーから、一歩遠ざかる。ハーマイオニーは一瞬、手を止めてわずかに首を回し、肩越しにこちらを見た。読み取りがたい表情。こんな顔で見られるのが、ドラコは嫌だった。ほかの人間の考えていることなら、ほぼ見て取ることができるのに。ハーマイオニー、彼女は時々、謎だ。
「あとで図書館に行く」
さらに幾人かの生徒たちが通りすがりに、何事だろうという表情を向けてくるのを感じて、ドラコはささやくように言った。
ハーマイオニーが黙ってうなずくと、ドラコは背中を向けて遠ざかった。図書館のドアの前は、急いで通り過ぎる。ここで立ち止まれば、絶対にそのまま中に入って、彼女を待ってしまうだろうということが分かっていた。待ちたくなかった。マルフォイたるもの、他人を待ったりすべきではない。それでも、心の奥では、もしも彼女がそうしてほしいと言ったなら、自分はいつまでだって待ち続けてしまうのだろうということを、不安とともに確信していた。それが意味することは、分からないままに。ドラコはうしろを振り返ることなく、進み続けた。抑えることのできない懸念が頭の中に影を生じていた。パンジーは、誰に言うだろうか? ドラコはスリザリン寮の中では、かなり人望がある。ドラコに関する噂を広める度胸が、パンジーにあるだろうか? おそらく、あるだろう。パンジーは、並外れて意地が悪い。ほかのスリザリン生たちは、ドラコがハーマイオニーに、マグル出身者に惹かれていると知ったら、なんと言うだろう? ドラコは、彼女に惹かれているのだろうか? 確信は持てなかった。ドラコは、自分がパンジーに対して、まったくなんの気持ちも抱いていなかったことを知っている。それでもそれほど遠くない過去において、パンジーのなまめかしい身体の曲線を思って眠れない夜を過ごしたことだってあるのだ。それに、どんな意味があった?
ドラコは階段を降りて、地下牢へ、スリザリン談話室へと向かった。自分があのグリフィンドール生の少女に惹き付けられているという事実を否定しても、本当は無駄なことなのだということは、分かっている。以前なら、この気持ちをポッターに打撃を与える手段にすぎないとごまかすことができたかもしれない。ポッター、そしてあいつの正義感あふれるふるまいを厭わしく思っているのは、本当だったから。あるいは、ルシウスを怒らせる手段と考えることさえできたかもしれない。しかし今、スリザリン談話室への入り口である肖像画の穴を抜けながらも、ドラコには、もうそんな段階はとっくに過ぎてしまったということが分かっていた。背後で肖像画がバタンと揺れて通路が閉じてしまってからでさえ、ドラコはきびすを返して図書館へ、彼女のところへ行きたいという気持ちと戦わねばならなかった。とんでもないことだ。彼女を想ったところで、絶対にうまくなんか行くわけがない。ハーマイオニーとのあいだに何があろうと、それが実を結ぶことはあり得ないということが見通せる程度には、ドラコは母親が時たま読んでいる魔法界を舞台とした悲恋ものの小説の内容を知っていた。しかし、なぜ頭の中から、彼女を追いやることができないんだろう?
ドラコはベッドの端に座って、床を睨みつけた。パンジーは、どんな騒ぎを引き起こそうとしているのだろうか? ほかの者たちに、何を言うつもりだろう? ホグワーツでの生活を滅茶苦茶にされるのだろうか? ドラコは立ち上がって、部屋の中を行ったり来たりし始めた。
(別に、彼女のことは、特に気になっているわけでもないんだ。単なる女の子の一人だ。しかもマグル出身者じゃないか)
しかし自分でも、それが嘘だと言うことは分かっていた。パンジーがハーマイオニーを脅しつけたときの、殺意に近い感情を覚えている。もっとも、ハーマイオニーが自力でパンジーに対抗できただろうことを、ドラコはほとんど疑っていなかった。ハーマイオニーなら、ドラコと対決しても充分に戦える可能性が高い。彼女は非常に力の強い魔女だ。ドラコは、彼女のことを対等な相手として見ていた。記憶にあるかぎり、ほかの誰に対しても下したことのない評価だ。彼女は、絶えずドラコの頭を曇らせた。いつのまにかドラコは、今まで考えもしなかった在り方を基準として行動しようとしていた。非情さとは無縁の基準。その基準のせいで、自分のおこないがもたらす結果について思考をめぐらせる羽目になった。ドラコはベッドの上に仰向けに横たわって天蓋を見上げ、考え込んだ。
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