2004/1/17

Their Room
(by aleximoon)

Translation by Nessa F.


第 12 章 ダンス・パーティ談義

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 グレンジャーは地面に膝をついて、犬をつないでいたロープの結び目をほどこうとしていた。彼女の手はつのる恐怖で震えており、指はロープの上を何度でも滑った。犬は完全に静止して首の周りの毛を逆立て、低い唸り声をあげていた。


「貸せ」
 ドラコは乱暴に言って、グレンジャーを脇に押しのけた。すぐに木からロープを外し、強い力で引いて犬の注意を促す。犬はドラコのほうを見上げてから、大きな茂みのほうに走っていこうとした。


「今は駄目よ、ファング!」
 グレンジャーが必死にささやいて、犬の首輪をつかんだ。


 ドラコはグレンジャーの腕を引っ張って立ち上がらせた。彼のすぐ右側にある茂みがガサガサと揺らいで、低い唸り声が聞こえた。跳ねまわるように進む犬を先頭に、二人は小道を走って引き返した。もう、まだ見ぬ相手が追いかけてくるつもりかどうかを確認する余裕もなかった。


 振り返ってみると、追ってくる獣の姿がかろうじて判別できた。厚く茂った木の葉になかば隠れてはいたものの、ちらりと見えた金茶色の毛皮とサソリの尾で、ドラコは追っ手の正体に関する自分の推測が正しかったことを悟った。捕まってしまうまでに、あとどれくらい走っていられるだろうかと考えていると、グレンジャーがいきなり、彼を左の方向へと強く引っ張った。よろめきながらなんとか転ぶ前に持ち直し、ドラコは彼女に導かれるまま、生い茂る木々の狭間を抜けていった。あまりにも唐突にグレンジャーが立ち止まったので、もう少しでぶつかるところだった。目の前にハグリッドの小屋があった。


 マンティコアが迅速に近づいてくる音がしていたが、マルフォイ家の者としてのプライドがまだ邪魔をしていた。


「ぼくはこんなところには足を踏み入れないぞ!」
 断固として、ドラコは言った。


 グレンジャーは肩越しにドラコを睨みつけ、力任せに部屋の中へぐいっと引っ張り込んだ。床に転がったドラコは素早く振り返ったが、マンティコアが大きく跳躍する姿がちらりと見えたそのとき、グレンジャーがドアをバタンと閉めた。一瞬の間があってから、ドアの向こう側にものすごい力で衝撃が加えられた。小屋全体が傾いた。ドラコは神経を尖らせて周囲を見回し、この小屋の強度はどれくらいだろうかと考えた。さらにもう一度大きな音がして小屋は揺れたが、崩壊することはなかった。


 二人は黙り込んだまま木のテーブルに着き、小屋のドアを見つめた。ファングは部屋の隅にうずくまって耳を平らに寝かせ、壁に向かって小さく唸り声をあげていた。


「いつまでここにいることになると思う?」
 やがてドラコは尋ねた。


「わたしに分かると思う? マルフォイ」
 グレンジャーは機嫌の悪い声で返答した。


「ああ。きみは、なんでもかんでも知っているのかと思ったからね、けがれ……グレンジャー」
 ドラコはつぶやくように言った。


 グレンジャーはドラコの口が滑ったことには気付いていないようだった。立ち上がって静かに窓の一つに近寄り、外を見渡していた。


「何も見えないわ。行っちゃったのかもよ?」
 ドラコのほうを振り向き、期待を込めて言う。


「何やってんだよ、グレンジャー。窓から離れろ。あいつを刺激するだけだぞ」


 グレンジャーは当てつけがましくドラコに背中を向けた。ドラコは立ち上がってそちらに行こうとしたが、ちょうどそのとき例の獣はふたたび小屋を攻撃してきた。マンティコアが窓に襲いかかってきたので、グレンジャーは短い悲鳴をあげた。大急ぎで椅子に戻って、乱れた呼吸を整えようとしている。


「ほら見ろ」
 ドラコは言った。


「ハグリッドはきっと、あれが入って来れないように小屋の壁に何か魔法の細工をしていると思うわ」
 ドラコの言葉を無視して、彼女は言った。


 グレンジャーは立ち上がって木製の戸棚のところに行き、どっしりとしたヤカンとニ客のティーカップを取り出した。火のそばでせっせとお茶の準備をする彼女の姿を、ドラコは眺めた。彼女は無意識のうちに色の濃い一筋の髪を華奢な耳のうしろに挟み、ヤカンを火にかけた。ドラコは、心の奥底から何かがねじれるような不思議な気持ちが湧き起こってくるのを感じた。一瞬、見ているのが辛いほどにきれいだと思ってしまったのだ。彼女は振り返ってこちらを見た。琥珀の瞳が炎の光を反射してきらめいていた。その目にはまだ怯えが残っていたが、何かを期待するような表情がそこをよぎり始めていた。突然、ドラコは口の中が乾くのを感じた。目をそらして、狭い小屋の中をぐるりと見渡す。


「よくまあ、こんなところに住めるやつがいるもんだな?」


「こぢんまりしてて、いいと思うわ」
 グレンジャーは意地を張るように言った。


「ああ、そうだった。忘れていたよ。きみは夏休みにウィーズリーのところに行っても楽しく過ごせるんだったな。こういうのがきみの好みにぴったりなんだろう」


 グレンジャーは顔を赤くして身を乗り出し、敵意のある低い声で言った。
「あなたって、かわいそうな人よね。居心地のいい家に暮らしたことなんて、ないんでしょ。冷えきったマルフォイ屋敷しか知らないのよね。あなたはあそこが大好きみたいだけど。いつかはあなたにも、お金や権力がいくらあったって自分の周囲が冷え切っていたら大して意味はないって、理解できるときが来るわ」


 彼女は湯気の立つお茶を二つのカップに注ぎわけて座った。唇に押し当てたカップを持つ指に力が入っている。ドラコはショックを受けて、彼女を見つめた。そう、彼女は正しい。それが問題だった。どうして彼女が言うことは、何でもかんでも核心をついて来るのだろう。ただ単にドラコを見ているだけで、どうしてそこまで分かってしまえるのだろう。マルフォイ屋敷は、ドラコが心の底から大事に思う唯一のものだった。いつかは彼が相続することになる、大きな古い館。彼が生まれ育った家。それでも彼女は正しかった。屋敷での暮らしは、いつも冷え冷えとしていた。


「ご……ごめんなさい、マルフォイ。言ってはいけないことだったわ」


 驚いて、ドラコは顔を上げた。グレンジャーは落ち着かなさげにテーブルの縁を指先でこすっていた。
「あんなことを言うべきではなかったわ」
 ドラコが馬鹿にしたように笑うと彼女は呆れ顔になって、さらに続けた。
「そうよ。たとえ相手があなたでもね」


 ドラコは木の椅子の背もたれに身体を預けた。座り心地は悪くないということは、認めざるを得なかった。さらに冷笑をあからさまにして、ドラコは言った。


「そういえばグレンジャー、ポッターとのデートは楽しみか?」


 グレンジャーはお茶を喉に詰まらせてむせ、驚愕の表情でドラコを見た。


「いったい全体、なんのことなの、マルフォイ?」


「クリスマスのダンス・パーティだよ、グレンジャー。人の話をちゃんと聞けよ」
 皮肉を込めてドラコは答えた。


「ハリーはわたしのパートナーじゃないわ」


「なんだって? 本気でウィーズリーの申し込みを受けたのか? あんなろくでなしと付き合ってなんの得があるんだよ。だって、去年あいつが着ていたドレスローブを覚えているか?」
 ドラコはまくしたてた。グレンジャーの相手がポッターであるほうが、ウィーズリーであるよりはドラコにとっては納得のいく話だった。少なくともポッターは有名人だ。


「ご参考までに言っておくとね、ロンでもハリーでもないのよ」


「まだ相手が決まってないってことか?」
 ドラコは自分の声ににじみ出た驚きを隠すことができなかった。たとえグリフィンドール生ではあっても、彼女は見た目はまあまあいいほうだし、喋っていてもけっこう面白いのに。


「実は、パーティにはディーンと一緒に出るの」
 グレンジャーはそう言って目をそらした。


 ドラコは素早く記憶を探って、ディーンというのが誰だったか思い出そうとした。魔法薬学の教室を背景にした背の高い少年の姿が思い浮かんだ。


「トーマス? トーマスがパートナー? きみより少なくともニフィートは背があるぞ。きっとダンスだって下手だ。恐ろしくひょろひょろしてるじゃないか」


「わたし、ディーンのこと好きよ。彼、ひょろひょろなんかしてないわ」
 グレンジャーは棘のある声で言った。
「大体、あなたこそ、誰と一緒に出るの?」


「ぼくは……」
 ほんのわずかな一瞬。ドラコの脳裏に、大広間への戸口をくぐる自分自身の姿が浮かんだ。彼の腕に手を置いているのは、晴れやかに笑う茶色い髪の少女だ。薄手の軽やかなローブが身体の線に沿って波うっている。少女がドラコを見上げて微笑みかけてくると、暖かい琥珀色の瞳がドラコの心の奥の何かを溶かしていく。
「パンジーだ。ぼくはパンジーと一緒に行く」


「そう」
 グレンジャーは言った。その顔になんとなく気落ちした表情が浮かんだようにも思えたが、それはあっという間に消え去ってしまったので、確証は持てなかった。


 その後は、二人とも黙り込んだ。ドラコは、ダンス・パーティのパートナーとしてグレンジャーを思い浮かべてしまった意味はなんなのだろうと考え込んでいた。パンジーと一緒に行くというのは嘘ではなかった。あの愚鈍な少女は、ダンブルドアがパーティの開催を発表した日、彼が大広間を出た瞬間に走り寄ってきたのだ。パンジーをダンスに連れて行くことを、ドラコは承諾した。彼女はスリザリン寮では一番魅力的だし、ドラコの自負心をくすぐることを好んでもいた。それはドラコにとっても、非常に心地よい関係だった。しかしグレンジャーにパートナーが誰なのかと訊かれたとき、彼の頭に浮かんだのはグレンジャーだったのだ。それは、とても普通なこと、自然なこと、正しいことであるように感じられた。