2004/1/9

Their Room
(by aleximoon)

Translation by Nessa F.


第 11 章 悪ガキ

(page 2/3)

 ハーマイオニーは大広間を出て、静まり返った階段を上って行った。薄暗い廊下の角を曲がるたびに、にぎやかな喧騒がかすかになっていく。我ながらいったい、何を考えているんだろうと、一度ならず思っていた。ひとけのない場所でマルフォイに会うことを承諾するなんて。胃の中で、蝶々があてどもなくひらひらと舞っているような気分だった。


「マルフォイの馬鹿」
 低い声で、つぶやく。


 マルフォイと二人きりになることは怖かったが、それでも誘いをはね付けることはできなかった。あのスリザリンの少年の身に何が起ころうと気にすることはない、彼がホグワーツを出て行くつもりだと知ったときのあの圧倒的な不安など忘れてしまおうと、どれだけ繰り返して自分に言い聞かせても。ホグスミードで彼と父親とのあいだに何があったのかを、ハーマイオニーは聞かされていなかった。しかし勘の鋭い彼女は、ルシウス・マルフォイが息子を探していたときの憤怒の表情を見て、血も凍るほどの思いをしたのだった。


(もしまだダンブルドア先生に何も言ってなかったら、とにかくむりやりにでも先生のところに行かせなくちゃ!)
 断固として、ハーマイオニーは考えた。


 マルフォイがルシウスのもとに戻りたがってはいないということを、ハーマイオニーは確信していた。彼は、デスイーターにはなりたくないのだ。ハーマイオニーにとっては、これ以上ないほどの驚きだったが。いや、あれがこれ以上ないほどの驚きだった、というのは本当じゃない――またしてもハーマイオニーはあのときの感覚がよみがえってくるのを、押さえつけなければならなかった。マルフォイが頬に手を触れたあのとき、ハーマイオニーを自分のほうに引き寄せて、そして………。


「やめなさい! 考えちゃ駄目」
 廊下の角をもう一つ曲がって図書館を目指しながら、ハーマイオニーは自分を叱りつけた。


 マルフォイがしたことを、自分からもしてしまったことを、好ましく思っているわけではない。ただ、とにかく頭の中から追いやることができないだけだ。そして、図書館のドアにたどりつく頃には、ハーマイオニーは「マルフォイなんか好きじゃない、ちっとも好きじゃない」と自分を説得することに、何度目かの成功を収めていた。




 例の部屋の前でハーマイオニーはいったん足を止め、深呼吸して気持ちを落ち着けてからドアを開いた。暖炉の火床では暖かい炎が陽気に燃えさかり、大きな机の傍らの椅子に、マルフォイが腰掛けていた。彼が顔を上げたとき、ほんの一瞬だけその灰色の瞳に何かがひらめいたのを、ハーマイオニーは感じ取った。暖かく、歓迎するような表情。しかしひらめいたのと同じくらいの素早さで、それは突如として消え去っており、気が付くとハーマイオニーは、いつもの大嫌いなドラコ・マルフォイに向き合っていたのだった。


「本当に来るかどうかは怪しいものだと思っていたんだよ、グレンジャー。きっといつまでもポッターとウィーズリーに引き止められたままだろうとね」
 いつもと同じけだるい喋り方で、マルフォイは言った。


「あのねえ、わたしにメモを渡すだけの用事のために、わざわざあの二人が処罰を受けるように仕向ける必要はないでしょ、マルフォイ」
 室内に入ってドアを閉めながら、ハーマイオニーは応じた。


「真理だな。しかし、絶好の機会を逃す手はないだろう?」
 マルフォイはニヤリと笑った。


「あなたって時々、ほんとに馬鹿みたいね!」
 ハーマイオニーはぴしゃりと言い返した。


 ハーマイオニーはぎこちなく、マルフォイの向かい側の椅子に座った。二人のあいだに机一個分の距離があるのが、かなりありがたかった。マルフォイは黙ったまま、こちらを見つめてきていた。淡いブロンドの前髪が、顔にかぶさっている。ハーマイオニーは、身を乗り出してその髪の毛をうしろにどけたいという衝動を押し殺した。その銀色に近い金の髪に自分の指先を通すことを想像すると、ほんのわずかだけ、身体が震えた。


 落ち着かなさげに座っているハーマイオニーをマルフォイが黙って観察するなか、室内の沈黙は数分間も続いた。マルフォイにじっと見つめられ続けて、ハーマイオニーは手のひらに汗がにじみはじめ、顔が赤くなっていくのを自覚した。


「それで?」
 実際よりも冷静なように聞こえることを願いながら、尋ねる。


「それで?」
 マルフォイが応じた。考え事に没頭しているようだった。


「それで、ダンブルドア先生にはお話ししたの?」
 それはハーマイオニーにとって、答えを知りたくてたまらない問いであると同時に、答えを聞くのが怖くてたまらない問いでもあった。


 マルフォイは、ハーマイオニーがどれだけ強い気持ちで答えを待っているかを見て取ったらしく、だるそうな素振りで伸びをしてから、窓の外を見た。


「気持ちのいい夜だな。今夜の月はなかなかだと思わないか、グレンジャー?」
 そう言って、横柄な作り笑いを深める。


「まったくもう、マルフォイ。もし校長先生に何も言ってないんだったら、引きずってでも連れて行くわよ!」
 ハーマイオニーは目をらんらんとさせて立ち上がった。


「へえ……それはそれで面白いかもなあ。そう思わないか?」
 マルフォイはふたたびハーマイオニーのほうを見た。


 ハーマイオニーは握りこぶしを固めて、机を見下ろした。まったく思い通りに話が進まないのが、忌々しかった。自分が心配していること、恐ろしいほどに心配していることが、忌々しかった。マルフォイなんかのために。


 マルフォイがそっとため息をついたので、ハーマイオニーは目を上げてそちらを見た。さっきまでの冷たい作り笑いは消え去っていた。彼のそのようすは突然、ホグスミードの裏路地で出会ったあの、幼い迷子のような少年をほうふつとさせた。


「ダンブルドアには話をした。ぼくはここに残ることになった。校長がルシウスに何を言う気なのかは知らない。きっとルシウスは激怒するだろうけどな。でも、ダンブルドアにとっては、どうってことないんじゃないだろうか。今は魔法省とも手を切っているんだろう?」
 降参したような声で、彼は静かに言った。


 ハーマイオニーはうなずいた。
「ええ、そうよ。ファッジが、ヴォルデモート復活の事実を認めようとしないから」


「じゃあ、わざわざ戦う意味さえないんじゃないか?」
 マルフォイは髪に手を差し入れて、ハーマイオニーがここに入ってきて以来ずっと苛々させられていた、あの前髪を押し上げた。
「ダンブルドアと魔法省が決裂してしまったら、ヴォルデモート相手に、いったいどんな勝ち目がある?」


 押し上げられた前髪の下からマルフォイの目の周りにできた青痣があらわになったので、ハーマイオニーは目を見開いた。思わず顔に微笑みが広がるのを、抑えることができなかった。マルフォイは好奇心をそそられた顔でハーマイオニーを見た。


「何がおかしいんだよ、グレンジャー?」


「別に。あなたも無傷ではすまなかったって分かって、嬉しいだけよ」
 そう言った彼女の顔には、暖かい笑みが浮かんでいた。


「偶然当たっただけさ」


 ハーマイオニーには、マルフォイが微笑み返してきたとほとんど確信できた。


「ねえ、いつもいつもほかの人に対して、あんな嫌な態度を取らなくてもいいんじゃないの」
 ハーマイオニーは静かに言った。


「もちろん、取らなくちゃいけないさ。ポッターとウィーズリーを増長させないようにする人間が必要だろ」
 マルフォイは機嫌よく応えた。


「マルフォイ、あのとき何をされたの? あなたのお父さん、どうしてホグスミードで、あなたのことを探してたの?」


 その言葉は、思いとどまる余裕もないうちに、口からこぼれ出ていた。あの出来事があって以来ずっと知りたかったのだが、訊くのがはばかられていたのだ。しかし、とりあえずマルフォイが身の破滅に向かって追いやられることはなくなったと分かった今は、安堵のあまり少々強気になっていた。


「ルシウスとは、ぼくの将来の計画について、ちょっとした話し合いをしただけだ」
 マルフォイの声は冷静で、なんの感情も表れていなかった。


「マルフォイ……」
 ハーマイオニーは低い声でささやきかけた。


「なあ、グレンジャー。何を言わせたいんだ? なんだよ、本気で聞きたいのか? ぼくの父親はヴォルデモートに命令されれば喜んでぼくを殺すだろうとか、きみの大好きな校長先生が何を言おうと、ルシウスは多分どっちにしてもぼくを殺す気だろうとか、そういう話を? ぼくに何を言わせたいんだ?」
 マルフォイの灰色の目が物騒なかんじに色合いを濃くしていった。それから彼は言葉を切って、目をそらした。


 マルフォイはふたたび髪を手でかき乱したあと、机の上に肘をついて両手で顔を覆った。ハーマイオニーは机の上から手を伸ばして、そっと彼の手に触れた。彼はビクっとして顔を上げ、凝視してきた。ハーマイオニーは即座に手を引っ込めて、自分の席に深く座りなおし、心もち身をこわばらせた。顔が赤くなりそうなのを、必死に抑えようとしていた。


「マルフォイ、大丈夫だと思うわ。ダンブルドア先生が守っているホグワーツにいれば、安全よ」
 どうにか声が出せるようになると、ハーマイオニーは言った。


 マルフォイは嘲るような笑い声をあげた。
「ああ、そうだろうとも。ダンブルドアはポッターのことだって、危険に晒すことのないよう立派に守ってきたものな!」


 ハーマイオニーの顔から血の気が引いた。ハリーがどんなにしょっちゅう危険な目にあっているかなんて、マルフォイに思い出させられなくても重々承知しているのに。すでにもう、自由に使える時間のほとんどを、ハーマイオニーはハリーとロンを心配することに費やしているというのに。束の間、これからはマルフォイのことまで常に心配し続けることになってしまうのだろうかという思いが頭をかすめた。下唇を噛んで、二人を隔てるテーブルの側面に彫り付けられている、複雑な文様をじっと見る。相手の視線を感じて、ハーマイオニーは顔を上げた。マルフォイの顔に浮かんだ表情は非常に読み取りにくかったが、一瞬、気遣いのようなものがちらりと垣間見えたような気がした。そして、これまでにマルフォイとのあいだで起こった出来事のいくつかが映像となって脳裏をよぎっていった。ハーマイオニーはいきなり、もう少しで椅子を倒してしまいそうなほどの勢いで立ち上がった。


「そろそろ図書館が閉まる時間よ」
 わずかに声が上ずっているのが、相手に気付かれないことを祈りつつ、彼女は言った。


「今までもきみは、定時後に出歩くことには断固として反対の立場をとっていたものなあ、グレンジャー」


「ねえ、わたし厄介なことになるのは嫌なのよ、マルフォイ」


 ハーマイオニーは手近なところにあった木箱の中を物色して、談話室で作業をするためにいくつかの巻き物を引っ張り出した。ドアまで歩いてから、振り返ってマルフォイのほうを見る。彼はまったく身動きしていなかった。しばらく目を合わせてから、彼はふたたび視線を暖炉の火に戻した。


「わたし……わたし、あなたが学校に残ることになってよかったと思う」
 ハーマイオニーは静かに言った。こんな言葉を口にする日が来るとは、自分でも驚きだった。


 マルフォイは何も言わず、その両目は暖炉の中で踊る炎から、決して離れることはなかった。