2003/12/27

Their Room
(by aleximoon)

Translation by Nessa F.


第 10 章 余波

(page 2/2)

 ドラコはベッドの端に腰を下ろして、荷造り途中のトランクに目をやった。どうしてわざわざ荷造りなどしているのかは、自分でもよく分からない。ルシウスの怒りの激しさによっては、きっと自分の持ち物などあっても仕方ない状況だろう。ため息をついて、頭の中でクィディッチのイメージ・トレーニングを始める。クィディッチに意識を集中していると、差し迫った問題から気をそらしていることができた。まもなく、気が付くと一番最近のゲームを脳内で再生していた。どこに間違いがあったのかを突き止めようとしていたのだが、やがて記憶の中のゲームの進行はどんどん速くなっていった。最終的にどこに収束しようとしているのかが、ドラコには分かっていた。頭の中であの瞬間が繰り返されるのを避けようとしたときには、もう手遅れだった。気遣いと困惑に満ちた暖かい茶色の目を、ありありと思い浮かべていた。キスをしたのは、腹が立っていたからだ。ポッターへの怒り、あと少しのところまで追い詰めたスニッチをまたしても "神童" に奪われてしまう状況をもたらした、この世界そのものへの怒り。ポッターを、傷つけてやりたかった。ポッターのものを奪って、自分のものにしてやりたかった。だから、きつく口づけた。あいつのガールフレンドにドラコが何をしているのかを、見せ付けてやれたらと思って。それから、すべてが一転した。怒りは消え失せて、意識にはただ彼女の存在だけがあった。そしていきなり、彼女は自分のほうからもキスをしてきた。そのとき初めてドラコは、彼女がポッターのものなんかではないのかもしれないと気付いたのだった。ほんのわずかな一瞬、彼女が何者であるのかさえ、忘れ去っていた。しかしほどなくして、ドラコは押し返された。よくもそんなことを。信じられなかった。このドラコ・マルフォイを押し返すなんて。ドラコは自分の容姿や魅力を自覚していた。そしてグレンジャーは……そう、グレンジャーはただの穢れた血だ。なのに厚かましくも、彼女はドラコを押し返したのだ。すべてが終わってしまうと、ドラコはほとんど即座に自分の犯した間違いを悟った。ボサボサ髪の知ったかぶりやグレンジャーに、キスされてしまったのだ。ドラコはグレンジャーに対しても自分自身に対しても、怒り狂っていた。


「ちくしょう、穢れた血め。大嫌いだ」
 ドラコはつぶやいた。


 グレンジャーのことが、嫌いだった。いつだって彼女が友人たちと一緒にいるところに出くわすたびに。やたらと大勢のニコニコしたグリフィンドール生に囲まれているのを見ると、本当にむかついた。あいつらが揃いも揃っていかにも幸せそうな顔をしているのを見ていると、彼女につかみかかって揺さぶってやりたくなった。なのに今、彼女の顔が見たいと思ってしまうのは、なぜだろう。


「ただの、穢れた血じゃないか」


 まっすぐに座りなおしたドラコはトランクを蹴飛ばして閉め、寮の外に出た。クラッブとゴイルがどこにいるのかは分からなかったが、あまり気にはならなかった。どこへというあてもなく適当に廊下を進んでいく。いつのまにか図書館の扉の前にいた。様々な書架のあいだを縫って歩いていると、久しぶりに平穏な気持ちになった。ここにはデスイーターもいない、しもべを募集中のヴォルデモートもいない、もちろんルシウスもいない。そしてまた、グレンジャーもいないのだ。


 いつもの小部屋に入り、まっすぐな背もたれの付いた椅子にかけて、ドラコはいくつもの山に分けて積み上げられた数表を見渡した。まだまだ、たくさんの作業が残っている。たくさんありすぎて、もう自分の手で終わらせることはできない。グレンジャーが今でも規則正しくここに来ていることは分かっていたが、それがいつなのかは、探り出せずにいた。いつ来ても、巻き物の置き場所などが、前回ドラコが来たときとは少し変わっていた。暖炉の格子の中に、まだ新しい灰がある。昨晩も来ていたようだ。でも、それはあり得ない話だった。ドラコも昨晩はここで過ごしていたのだから。そしてそのときには、暖炉に火を入れずに作業していた。


(と、いうことは。グレンジャーがここに来て火をおこしたのは、いったいいつだ?)
 考え込みながら、ドラコは立ち上がって暖炉を覗き込んだ。


 黒っぽい灰を眺めて、楽しげなパチパチという音を立てながら燃えさかる炎を想像してみる。机の前にグレンジャーが座って、一心不乱になるあまり眉間に皺を寄せているようすが目に浮かんだ。それから、別の光景がよみがえった。ドラコの正面に座るグレンジャー。部屋じゅうをぐるぐる見回して、こちらと目を合わせないようにしている。ドラコがポッターのマントに言及すると、シナモン色の目は視線を暖炉のほうへと固定させた。


「そうか、マントだ」


 今まで思い至らなかったなんて信じられない。グレンジャーは、図書館が閉まったあとになってから、こっそり忍び込んでいるのに違いない。つじつまは合う。グレンジャーにそこまで度胸があるとは思ってもみなかったが、担当分の作業をこなせているからには、それしかあるまい。腕時計を見た。大広間で夕食が片付けられてから、二時間が経過しているはずだ。このまま待っていればいい。




 部屋のドアが静かに開いたのは、真夜中だった。姿は見えなかったが、グレンジャーがそこにいるのが感じ取れた。ドラコは戸口に背を向けて、背もたれの高い椅子に座っていた。室内は暗かったので、向こうはこっちがいることに気付いていない。じっと動かず、相手が近づいてくるのを待ち受ける。グレンジャーの背後でドアが閉まり、カチッと小さな音がして、鍵がかかったことが分かった。暗い部屋の中で、彼女が用心深く木箱の周囲を動いているのが物音で判断できた。それから彼女は暖炉の前に膝をつき、小声で呪文を唱えた。すぐに元気よく燃える炎が現れ、部屋の内部を照らし出した。グレンジャーはホッとしたように息を吐き、うしろを振り返り、そしてドラコに気付いた。彼女は目を見開いて緊張の色を見せたが、その時点でもうドラコは椅子から立ち上がっていた。相手が一歩しか退けないでいるうちに、ドラコはその両腕をつかんで暖炉から引き離した。暖炉の火に照らし出されて、何かこの世のものではないような雰囲気で立ち尽くしたまま、怪物でも見るような視線をこちらに向けて来くるグレンジャーを前にしていると、ものすごい怒りが込み上げてきたのだ。ぐいぐいと引っ張って行って、無理やり椅子に座らせる。グレンジャーは小さくあえぐような声をもらしたが、悲鳴をあげることはしなかった。ドラコが手を放すと、彼女は椅子に沈み込むように深く腰掛けた。ドラコはその椅子の両側の肘掛をつかみ、睨みつけながらグレンジャーのほうに身を乗り出した。グレンジャーは椅子の中でさらにうしろに下がり、大きく見開いた目に怯えた表情を浮かべて、何も言わず見つめ返してきた。


「そんな目で見るな」
 怒りを込めて、ドラコはささやいた。グレンジャーからこんなふうに見られるのが、嫌だった。なんとなく気に障った。


「だったら、怖がらせないで」
 ほとんどささやくようにグレンジャーは応じて、小さく身震いした。


 ドラコは身をこわばらせ、椅子から手を放した。向かい側の椅子にどさりと座って、自分の額を撫で上げる。むりやり引き止めていなければ逃げて行こうとするだろうと思ったが、グレンジャーは座ったまま動かなかった。


「どうやってぼくに気付かせずに作業を進めているのか、なかなか見抜けなかったよ」
 ドラコは静かに言った。


「あなたに会いたくなかったの」
 先ほどと同じささやくような声を震わせながら、グレンジャーは応えた。


 グレンジャーはようやく立ち上がって、ドラコに腕をつかまれたときに床に落としたバッグを拾いに行った。ドラコは、彼女がバッグに向かって伸ばした手が震えているように見えることを、気にしないように努めた。


「そうかよ。ぼくだって、会いたくなんかなかったさ」
 ドラコは喧嘩腰で言い返した。自分でも、なぜここにいるのか分からなかった。会いたくなかったのは本当だ。なのに今、ここにいる。理解ができなかった。


「愚かな穢れた血だ」
 ドラコはつぶやいた。


 グレンジャーは顔を上げた。怯えの浮かんでいた目には、急速に怒りに満ちた輝きが生じ始めていた。激怒のあまり膨れ上がらんばかりになった彼女は、本の入ったバッグをまっすぐにドラコに向かって投げつけた。仰天したドラコは、なんとか間に合うよう身をかがめてかわすことしかできなかった。


「よくもそんなことを言えるわね? あなた、何様のつもり?」
 グレンジャーは両手を握りしめて、憤りでぶるぶると震えていた。


「ぼくがなんだって!?」
 ドラコは、バッグをよけてしゃがみ込んでいた体勢から、即座に立ち上がった。
「穢れた血とむりやり一緒にされたのは、ぼくのほうなんだぞ!」


 グレンジャーの目に光が走ったかと思うと、彼女はこちらに向かって突進してきた。思いも寄らぬほどの速さだった。まったく反応もできずにいるうちに、平手打ちをされていた。ドラコはぽかんと口を開けて、驚愕の表情で相手を見たが、もう一度叩かれそうになったので、気を引き締めた。ドラコはグレンジャーの手をつかんで、彼女を強く揺すった。


「その呼び方、大嫌い! 本当に大嫌い! よくもわたしのこと、そんなふうに呼べるわね? 汚いものみたいに。自分だって、デスイーターになる一歩手前のくせに。その呼び方、大嫌い。あなたなんか大嫌い!」
 グレンジャーは必死にもがいたが、ドラコはしっかりと彼女の腕をつかんだまま、前かがみになって身体を近づけた。


「まあでも、これからはもう我慢しなくてよくなるぞ、グレンジャー」
 脅しつけるように、ささやきかける。


「まさか、わたしの夢が本当にかなったなんて、言わないわよね?」
 グレンジャーは噛み付くように言い返してきた。


「家に戻ることになったのさ、グレンジャー。屋敷へ。ルシウスのもとへ」
 刺々しい声で、ドラコは答えた。


「えっ? そ……そんなの駄目よ。家に戻るなんて。あんなことをされたのに」
 さっきまで怒り狂っていた目には、ふたたびあの、心を動かされずにはいられないような、気遣いに満ちた暖かさがあった。彼女はもがくのをやめて、ただそこに立ったまま、ドラコをまじまじと見つめていた。


「ルシウスがぼくに何をしたのか、知りもしないくせに」
 ドラコはそう言って、彼女の腕から手を放した。遠ざかって、暖炉の火を見つめる。突然、疲労感が押し寄せてきていた。


「あら、でも見当はつくわ。いいことじゃないのはたしかよ。帰っちゃ駄目」
 鋭い声で、グレンジャーは言った。


「呼び戻されたんだ。選択の余地はない。数日後にはロンドンへ発つ」
 彼女のほうを見ていなかったドラコは、肩に手が触れたので非常に驚いた。近づいてくる足音が聞こえなかったのだ。


「ダンブルドア先生に話すのよ。何が起こったのか。先生なら信頼できるわ。帰りたくないって言えば、お父さんがあなたを連れて行ったりできないようにしてくれる」
 琥珀色の両目は、しっかりとドラコの目に合わせられていた。


「いかれた爺さんに何ができる」
 ドラコはつっけんどんに言った。


「いかれてなんかないわ、先生は素晴らしいかたよ!」
 グレンジャーの目は一瞬、怒ったように光ったが、次の瞬間にはふたたびとても心配そうなものになった。
「ドラコ、戻ってはいけないわ。あなたは、彼らの仲間じゃないんだから」


 名前で呼ばれて、ドラコはハッとした。突然、よみがえった記憶があった。今まで忘れていたこと。
(ドラコ、おねがい……)
 以前にも、グレンジャーにドラコと呼ばれたことがあった。マンティコアに襲われたあとのことだ。彼女にそう呼ばれることには、不思議と違和感がなかった。


「どうして、ぼくがやつらの仲間でないと分かる?」
 ドラコはそっと尋ねた。


「あなたがわたしにそう言ったから。そしてわたしはそれを信じているから」
 彼女はささやき声で答えた。


 ドラコはそれを聞いて、目を見開いた。彼女の目に浮かぶ信頼を、ドラコは見て取ることができた。彼は片手を上げて、彼女のポニーテールからほつれ出ていた一筋の髪の毛を、耳のうしろに撫でつけた。グレンジャーは手が触れると身を固くしたが、逃げなかった。ドラコは彼女の頬にそっと手をやり、指で慎重に顎骨のあたりをなぞった。グレンジャーは、ごくわずかに震えた。どうしてそんなことをしているのか、自分でも理解できないまま身をかがめたドラコは、自分の唇でそっと彼女の唇をかすめた。指はいつのまにかグレンジャーの首のうしろに回され、巻き毛を撫で付けていた。ドラコはグレンジャーの顔を見た。彼女の目は自然に閉じられて、口づけを待っている。すべてのためらいを押しやって、ドラコは彼女の髪をつかんでいた手に力を込め、キスをした。彼女はもたれかかってきて、その華奢な手を彼の肩に置いた。ドラコはキスを深めた。グレンジャーにキスをすることが、ほかの誰かとのキスと比べて、なぜこんなに快いのだろうかと不思議に思いながら。さらに引き寄せて唇を強く押し付け、舌の先で彼女の唇をたどった。肩に置かれていた、ほっそりとした手がドラコのローブの上でこわばり、いきなりドラコを押し返した。


「わ……わたし、行かなくちゃ」
 かすれた声でささやいて、グレンジャーはドラコから身を遠ざけた。
「ダンブルドア先生に、ちゃんと話してね。分かった?」


 ドラコはうなずいて見せた。むりやりに大きく息を吸って、落ち着こうとする。わけが分からなかった。少なくとも前回キスしたときには、理由があった。しかし今回は、理由がない。口実がない。グレンジャーは銀色に光るマントをバッグから引っ張り出して、するりと身を包んだ。ちらりとこちらを見てから、頭まで覆い隠す。ドアが開いて、閉じた。そして彼女はいなくなった。ドラコは、自分がグレンジャーとのキスを好ましく思っていたことに気付いた。そしてさらに厄介なことには、心の片隅では、もっとキスしたいと考えているのだった。