2003/11/29

Their Room
(by aleximoon)

Translation by Nessa F.


第 6 章 ふたりの小部屋

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 ドラコは図書館の一番奥の隅で机の上に足を投げ出して座っていた。膝には開いた本が載っている。ここへは、クラッブとゴイルから逃げてきたのだった。ドラコがマンティコアの餌食にはならなかったことを知って以来、あの二人はへらへらと笑いながらドラコに付きまとっていた。ドラコを見殺しにしたことを咎める気はないと告げると、嬉しそうにしていた。そして独力であの獣を撃退したというドラコの話を頭から信じたのだった。しかし彼らのへつらうような態度が段々とカンに障るようになってきていたことは事実だ。絶え間ない謝罪の言葉をしばらく聞きたくなくて、ドラコは図書館に駆け込んだ。ここなら、彼らはついては来ない。自分を置いて逃げたことについて、彼らを責める気がないのは本当だった。自分だって、立場が逆ならそうしただろうと思う。これは真の友人を持たないでいる利点の一つだ――相手に責任を感じなくていいということ。ドラコは、せっかく図書館に来たからには、この機会を活かしてマンティコアについて調べてみることにしたのだった。今、ドラコの前の机には、あの獣に言及のある本が、発見できたかぎりですべて並んでいる。無造作に手に持っている大きな学術書には、膨大な情報が掲載されていた。マンティコアが極めて非凡な生物であることは認めざるを得ない。ドラコはページをめくって、読み始めた。



 マンティコアは獰猛で極めて危険な獣であり、ギリシャおよびその周辺の諸島に生息することが知られている。一部はさらに南に下り中東地域に移動したことが判明しているが、そこから西に向かいアフリカに進入しようとする動きはエジプトにおけるスフィンクスの存在のため阻止されている。(マンティコアとスフィンクスは永年にわたり天敵同士である。)残忍な性質、強い魔力、および人肉嗜好性を理由に、イギリス諸島においてはこの獣を所有することが法律によって禁じられているため、イギリス国内に生息するマンティコアはいない。



 この最後の一文のところで、ドラコは一瞬だけ思案して、陰気な表情でクッと笑った。
「今、一匹いるけどな」



 マンティコアは、獲物と定めた対象を御しやすくするためにその心を和らげるという特異な魔力を有する。この獣は獲物の求めるものを見抜き、該当する感情や思いを獲物に向かって発することが可能である。(精神感応という面から見ると、まね妖怪〔ボガート〕に非常に似通っている。ボガートの詳細については 120 ページを参照。)



 ドラコはいったん読むのを止めた。頭の中で、段々と理解が固まってきていた。あの事件があってからの数日間、彼はなぜ自分が檻を開けてしまったのかということを考えていた。あの獣がなんであるのかも、その危険性も、疑問の余地なく分かっていた。それなのに、あの目を覗き込んだとき、平穏がドラコの心を満たしたのだった。あのとき不自然なほどの発作的な信頼を感じる状態に誘い込まれたのは、単にあの怪物が、ドラコの求めるものを見てとることができたせいなのだ。しかし、あの獣がドラコに提示した感情は、温もりと親愛の情だった。そのような馬鹿げたものは、ドラコにとってはどうでもいいもののはずだ。ドラコが求めているのは、力だった。闇の帝王に関する要素のなかで、唯一の救いと言える点だ。闇の帝王には力がある。そのことに対してだけは、敬意を払ってもいいと考えていた。


 いつのまにか書物にすっかり引き込まれてしまっていたが、ふと誰かが、ドラコが使っている机の近くの通路内をゆっくりと移動していることに気付いた。ページから目を上げて、書棚の隙間からうかがってみる。人影は、ドラコがマンティコアに関する本を見つけた一画で立ち止まった。ドラコはその人影の正体を悟って、げんなりとした気分になった。なんとなくムッとした顔で通路から姿を現したのは、グレンジャーだった。


「探していたのはこれか、穢れた血?」
 けだるい声で言って、ドラコは自分の前に並んでいる本を指した。


 グレンジャーは陰鬱な視線を向けてきた。
「いいえ。ベクトル先生を待ってるだけよ」


 ドラコはさりげなく腕時計を見た。
「一時間半も早く? きみが本気で図書館に住みついていたとは知らなかったな。まあでも考えてみれば、どこだってグリフィンドール生でいっぱいの談話室と比べればマシなんだろうね」


「あなたのほうが早く来てた」
 グレンジャーは淡々と言った。


 ドラコはグレンジャーを見た。こちらの冷やかしに反応することを拒否している。少々、残念なことではあった。グレンジャーと喧嘩をするのは、けっこう面白いから。しかし今、よく観察してみると、ドラコは彼女が非常に疲れたようすをしていることに気付いた。普段は暖かさをたたえている茶色の目が、どことなくぼんやりと気落ちしていた。


「ほら」
 ドラコは自分が読んでいたページにしおりを挟んで、本を差し出した。


 グレンジャーはいぶかしげにドラコのほうを見てから本を受け取ろうとしたが、ふと手を止めた。


「グレンジャー。図書館の本に呪いをかけたりはしない」
 いったん、グレンジャーに本を譲っている自分に気付いたときの最初のショックを克服してしまうと、これはなかなか愉快な状況だった。そしてさらに意外なことに、ドラコは自分がニヤリと笑いそうになっているのを感じた。


 グレンジャーは驚きで目を丸くしたが、結局、本を受け取った。


「ありがとう」
 そうつぶやいて、立ち去っていく。本棚のあいだの通路に戻っていく前に彼女は立ち止まり、ドラコのほうに向かって困惑したような視線を投げかけた。それから、姿を消した。




 大きなアーチ形の窓から外を見ると、空が暗くなってきていた。さっきまで色鮮やかだった夕焼けのわずかな残照が、黄昏時の空に溶け込んでいく。時計をちらりと見ると、もうベクトル先生を探しにいく頃合だった。ゆっくりと立ち上がって銀色がかったブロンドをうしろに撫でつけ、通路を歩いていく。少しばかり通路に突き出した書棚を避けて、急な方向転換をしたとき、誰かと正面衝突してしまった。


「気をつけろよ」
 転ぶ前になんとか体勢を立て直し、ドラコは非難がましくささやいた。


「あなたこそ」
 嫌になるほど聞き覚えのある声が言い返してきた。


「穢れた血」
 ドラコはささやいて見下ろした。


 グレンジャーはバランスを保ち損ねて、目の前の床の上に不恰好に倒れていた。うしろでまとめた髪から幾房もの巻き毛がほつれ出て、うんざりした表情の顔を縁取っている。グレンジャーは立ち上がって、バッグを肩に引っ張り上げた。それをしながら、彼女が身をこわばらせたことに、ドラコは気付いた。マンティコアに襲われたときの傷が痛むのだろうか、とドラコは一瞬、不思議に思った。ドラコの傷は、マダム・ポンフリーの手にかかれば極めて簡単に治療可能だったのだ。また、グレンジャーが自分もあっさりと殺されるかもしれなかったにもかかわらず、ドラコを助けた理由も謎だった。さらに繰り返し浮上している疑問は、彼女が見返りとして何を求めているのかということだ。しかしグレンジャーは何も言わず、一冊の本を近くの書棚に戻してから、不機嫌な顔でドラコを睨みつけただけだった。それからくるりとうしろを向き、先生を探しに行く。ドラコも、そのあとに着いていく以外、選択肢はあまりなかった。


 ベクトル先生はわくわくした表情で、マダム・ピンスの机のそばに立っていた。二人に気付くと、先生は暖かい笑みを浮かべていそいそと近づいてきた。その姿を見るなり、ドラコは先生がいつもより少しドレスアップしていることに気付いた。それに、ほのかな香水の匂いがしている。


「よかった、二人とも時間どおりね。急いでちょうだい。歩きながら説明するわ。あまり時間がないの」
 先生はふたたび、輝くような笑顔で二人を見た。ドラコはただ、苦い顔で見返しただけだった。この先生の熱血した言動に、ドラコはそこはかとない不快感を覚えることがしばしばあった。
「さて」
 どんどん早足になっていく先生のうしろを、ドラコとグレンジャーが懸命についていくと、説明が始まった。
「あなたがたには、図書館内の小さな準備室を使用していただきます。それぞれに鍵を渡しておくわ。あなたがた以外、誰にも使わせないようにしてくださいね。周りで人が行ったり来たりしていないほうが作業がしやすいし、いつも静かな場所にいられたほうがいいでしょう。ああ、ここよ」


 ベクトル先生は二人を連れて、図書館の奥から狭い螺旋階段を上り、いくつかの閉じたドアが並んでいる通路に入った。グレンジャーがわずかに息を切らしているのに気付いて、ドラコは冷笑を浮かべた。三人は事実上、ここまで走ってきたようなものだったが、ドラコのほうは、脈拍が早くなることさえなかった。ベクトル先生は通路に入って二つ目のドアの前で足を止め、キーホルダーを取り出して小さな銀色の鍵を錠前に差し込んだ。ドアが開くと、ドラコは驚嘆あるいは感嘆を顔に出さないように、ルシウスから伝授されたすべての技を駆使しなければならなかった。予想していたよりも広い部屋だ。奥の壁に窓が並び、暖炉にはすでに火が入って陽気に燃えさかっていた。大きな机と数脚の椅子があった。比較的、広い部屋であるにもかかわらず、歩き回れる空間は大してなかった。そこいらじゅうに大きな木箱や古いトランクが積み上げられている。そのうちの一つが開いていたので、古色蒼然とした羊皮紙の巻物や、表紙のはげた分厚い書物、糸で束ねられた文書などが詰まっていることが見てとれた。


「さて、先ほど説明したように、これらの文献はすべて、およそ五百年前に生きていたある魔法使いのものです。およそ、と言ったのははっきりしたことは誰にも分かっていないからなの。アイルランドの荒野のどこかで、僧侶のような生活をしていた魔法使いのことは、長年のあいだ噂では知られていました。ダンブルドア教授がこれだけたくさんの文献を、どうやって見つけ出したのかは分からないのだけれど、見てのとおりよ。魔法使いの名前は、グレゴリウス・オリアリー」
 ベクトル先生は喋りながら、部屋の中をぐるぐると回って箱を確認していた。
「多くの文献は数占いと、それが人々にどのような影響を与えるかについて記したものです。ダンブルドア先生によれば、この魔法使いは数占いの基礎となっている数値パターンが、ほかの大半の魔法についても根幹を成していると信じていたらしいの。彼はその生涯のほとんどを、数占いのパターンを記録することに費やしました」


 グレンジャーが室内に数歩、足を踏み入れたのを、ドラコはちらりと見た。さっきまでは疲れきったようだった瞳が、今は興奮に輝いている。両手を固く握り合わせて、できるだけ多くのものを目に入れようと、周囲を見回していた。グレンジャーには、感情を胸の内に閉まっておくということが、まったくできないらしかった。ドラコは小馬鹿にしたような低い笑い声をもらしたが、グレンジャーはそれを無視した。ドラコも本当は木箱を引き開けてどんなものがあるのか見てみたくてうずうずしていたが、冷静に戸口に立ったまま胸の前で腕を組み、少しだけ退屈したような表情で眉を寄せていた。


 ベクトル先生は小さな腕時計を確認してから、ふたたび喋り始めた。少し早口になっている。
「あなたがたにやっていただきたいのは、この魔法使いの書いたものに目を通して、彼が発見した内容を検討し、基礎的な数占いパターンとそれ以外の何かのあいだに、本当につながりが存在するかどうかを調べることです。あなたがたには、禁制図書セクションへの立ち入りも許可されます。校長先生が、この研究になんらかの形で役立つ可能性があるとお考えなので。毎週、進捗状況のレポートを作成していただきます。それから、トラブルは起こさないようにしてね。校長先生とわたしは、あなたがた二人に責任重大な作業をお任せしているのよ」
 先生は再度そわそわと時計に目をやってから、窓の一つに映る自分の姿を見つめた。ドラコは、先生が化粧の具合を確認しているに違いないと思った。
「そうね、こんなところかしら。何か質問があったら、遠慮なく明日尋ねてちょうだいね。今は本当にもう行かなくちゃいけないの。これが鍵よ。では、幸運を祈るわ!」
 そしてベクトル先生は、ほとんど走るようにして退室していった。