2003/11/9

Their Room
(by aleximoon)

Translation by Nessa F.


第 3 章 森へ

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 クラッブとゴイルは、ほとんどパニック状態だった。何とか先に声を出せるようになったのは、ゴイルのほうだった。
「あれを外に出すのは、あんまりいい考えじゃないよな、ドラコ? ハグリッドを追い出す方法なら、絶対もっとほかにあるよ。おれたちだって危ないと思わないか?」
 ゴイルはマルフォイに頼み込まんばかりだったが、金髪の少年は振り向かなかった。


「あれがぼくたちに危害を加えるとは思わない」
 マルフォイは返答した。ハーマイオニーは、ショックを受けてマルフォイを見つめた。彼は気でも狂ったのだろうか? マンティコアは、野生の状態で見られる生物のなかでも最も凶暴なものに数えられているのに。見ているうちにも、マルフォイはフェンスをよじ登っていった。ハーマイオニーは、マンティコアについて本で読んだことを何もかも思い出そうと記憶をたどった。彼らは長いあいだ、スフィンクスと同じものであると考えられてきたが、近年の研究によって、スフィンクスはマンティコアのように邪悪な勢力にくみしてはいないということが証明された。マンティコアには、危険な歯が三列も並んでおり、サソリの尾の先の逆棘には、致死量の毒が含まれている。まだしも幸運なことに、このマンティコアは子供だった。若いマンティコアは四つん這いのときには地面から頭まで四フィートしかない。成獣になると、十フィートにもなるのだ。


「ドラコ……」
 クラッブとゴイルは、自分たちのリーダーが格子のあいだから手を差し入れて、この生き物の濃い茶色の毛皮に触れるのを見て、声をそろえて警告を発した。


「ほら」
 マルフォイはけだるげな、相手をなだめるような声で言った。クラッブとゴイルにというよりは、むしろマンティコアに向けられた声だった。
「言っただろう、こいつはぼくたちには危害を加えないって」


 ハーマイオニーは、マルフォイが手を引っ込めて鍵のほうに顔を向けたのを見て、ぞっとした。マルフォイの目には、奇妙な輝きがあった。杖を取り出して、彼はある一つの言葉をささやいた。


「アロホモラ!」


 檻の扉が勢いよく開き、マルフォイがマンティコアに背を向けてクラッブとゴイルのほうに向くのを、ハーマイオニーは恐ろしく気持ちが沈みこむような思いで見守った。クラッブとゴイルは二人とも、何歩かうしろに下がっている。頭の片隅の遠いところで、ハーマイオニーはこの二人の意外な知能の高さに驚いていた。その後に起こったことは、あまりにもあっという間で、ほとんど把握できないくらいだった。たった今、マルフォイは勝ち誇ったように檻の扉の前に立っていたと思ったのに、次の瞬間には、マンティコアが彼に襲いかかかっていたのだ。マルフォイは地面に突き倒され、その手から杖が転がり落ちた。マンティコアは彼の肩に深々と歯を突き刺して、咥えたその身体を地面から持ち上げたが、それはふたたび地面に叩きつけるために過ぎなかった。マルフォイの上に乗ったマンティコアは、長い尾を自らの頭よりも高いところから短剣のように振り下ろし、マルフォイの太腿に突き刺した。マルフォイはショックと苦痛に満ちた短い悲鳴を一度だけあげたが、その後はまったく声を立てなくなった。クラッブとゴイルはうつ伏せになった自分たちの英雄に視線を向けていたが、やがてきびすを返し、マルフォイを獣のもとに残したまま、空き地から走り去っていった。


 ハーマイオニーは悲鳴をこらえるために、唇を噛みしめていた。クラッブとゴイルが逃げていくのを、恐ろしい思いで見送った。今、彼女は怪物とマルフォイを見つめながら、立ち尽くしていた。時間が止まったかと思うほど、一秒一秒がのろのろと過ぎていった。意識の裏側で、もう一人の自分がささやいていた。
(うしろを向いて、ここから立ち去るのよ。逃げなさい。自分を守らなきゃ。もし逆の立場だったら、あいつは絶対に助けてなんかくれないわ。あいつは自分から危険を冒したのよ。当然の報いだわ)
 その声が徐々に小さくなって消えていくなか、ハーマイオニーは大きく身震いをした。そして、うしろを向いて逃げかけたが、そこで足が止まった。
「たとえ誰にとってでも、これが当然だなんてあり得ない」
 きっぱりとそう言って、杖と勇気を振りかざし、彼女は怪物に向かって叫んだ。


「エクスペリアームス!」


 マンティコアはマルフォイを激しい勢いで取り落として、ハーマイオニーのほうを見た。アーモンド形の目が心の奥まで見通してくるような気がして、身体が震えた。怖気づいてしまわないうちにと、彼女はもう一度、別の呪文を叫んだ。


「ステューピファイ!」


 しかしマンティコアは、動きを止めることはなかった。筋肉を収縮させて、今にも跳躍しようとしている。ハーマイオニーはすすり泣きを漏らし、去年ハリーが三校対抗試合の課題に備えて学ぶのを手伝ったありとあらゆる呪文を思い出そうとしたが、使えそうなものは思い当たらなかった。マンティコアは空気を切り裂いてこちらに突進してきた。近づいてくるにつれ、その毛皮を風がすごい勢いで通り過ぎていくのが分かった。


「おねがい……止まらせて……ステューピファイ!」
 ハーマイオニーは力の限り叫び、杖の先を獣の胸にまっすぐに向けた。反動で地面の上に倒れていくとき、遠くのほうでおぞましいバリバリという音が聞こえた。のしかかってきた怪物の下敷きになって動けないまま、ハーマイオニーは焼きつくような痛みが襲ってくるのを覚悟した。しかし手首と胸がかすかにズキズキするのを除けば何事も起こらず、獣はただじっと静止して横たわっていた。震えながらしゃくりあげて、ハーマイオニーは自分の身体の上から獣を押しのけた。とんでもなく重かったが、なんとかその下から這い出すことができた。あとになってから、ハーマイオニーはその時点での自分がある種のショック状態だったに違いないと思ったのものだ。なぜならそのとき、彼女は過剰なほどに、ハリーのマントを血で汚さないようにしなければということが気になっていたからだ。注意深くマントを脱ぐと、ハーマイオニーはそれをバッグに押し込んだ。マンティコアを見下ろして、いつまで意識を失っていてくれるだろうかと考える。突然、マルフォイのことを思い出した。駆け寄って、彼のそばに膝をつく。マルフォイの姿を目にしたハーマイオニーは、身震いをした。彼女は決して怖がりなタイプではなかったが、どうしていいのか分からないくらいのひどい状態だったのだ。普段から青白い少年の皮膚は、今はほとんど色味が失せてしまって、ただ赤だけが目についた。噛まれた肩には大きな裂傷ができ、脚には大きな穴があいている。深紅の血だまりがその身体の周囲に広がりつつある一方で、奇妙な色合いの物質が、脚の上で徐々に膨らんできていた。きっと、毒素だ。ハーマイオニーは絶望的な気持ちでバッグの中を探ってハンカチを出し、傷口に押し当てて、流血が止まることを祈った。


「マルフォイ」
 意識を戻らせようと、ささやき声で呼びかける。うつ伏せになった少年からは、なんの反応もなかった。しかし、呼吸をしていることは分かった。


「マルフォイ、起きて!」
 ハーマイオニーは、背後の獣のほうをうかがいながら、必死にささやいた。獣は、不穏にもいきなりビクっと動いた。恐怖が込み上げてくるのを感じながら、彼女はそちらをじっと見た。そもそも、呪文が効力を発揮したのは、怪物が不意をつかれたせいに過ぎないのだということが、ハーマイオニーには分かっていた。今度目を覚ましたら、もう驚くこともなく、ただ怒り狂うばかりだろう。逃げたくてたまらなかったが、ここにマルフォイを残して死なせるわけにはいかなかった。


「ドラコ、おねがい……」
 目に涙を浮かべて、彼女は懇願した。マルフォイが死ぬのを見たくはなかった。たとえ、どんなに嫌いなやつでも。名前を呼んだのが功を奏したのか、深い灰色の目が開いてハーマイオニーを見上げてきた。


「ぼくの名前を呼んだな、グレンジャー」
 低い声で、彼はささやいた。それから状況を把握し始めて、突然、その目にパニックした表情が浮かんだ。
「マンティコア」
 そう叫びながら、マルフォイは上半身を起こした。


 ハーマイオニーは、心底ホッとすると同時に、ヒステリーを起こしそうになったが、これ以上おたおたしている暇はないということも分かっていた。
「今は意識を失っているけど、いつまで持つかは不明よ」
 マンティコアは再度ビクっとして、喉から妙な音を発した。ハーマイオニーは立ち上がると、マルフォイのほうを向いて、その手をつかんだ。彼は怪我をした足にあまり体重をかけられなかったので、ハーマイオニーは自分の肩に彼の腕を回させ、大急ぎでひょこひょこと空き地を後にした。


 広大な緑の芝生を突っ切って、二人はできるだけ急いで城までの道のりを半分ほど進んだ。よろよろとした進み方だった。マルフォイは血を流し続けていて、ほどんどまともには歩けなかった。ハーマイオニーは、手首の痛みを段々と強く感じ始めていた。ちらりと見下ろすと、かなりおかしな角度で曲がっている。また手首よりもさらに気になるのは、胸のあたりのなんとも言いようのない圧迫感だった。もともと苦しかった呼吸が、どんどん困難になってくる。そしてこのような状況にもかかわらず、二人ともが本来の怒りっぽさを取り戻し始めていた。


「ねえ、マルフォイ。たった今、わたしはあなたの命を救ってあげたのよ。これって、わたしたちのあいだに、特別な絆みたいなものが生まれたってことにならないかしら?」
 ハーマイオニーがそう問いかけたのは、穢れた血との絆などと考えただけでマルフォイが発狂しそうになるだろうと、重々承知してのことだった。


「黙れよ。このことを誰かに言ってみろ、後悔させてやるからな」
 食いしばった歯のあいだから、マルフォイはささやいた。彼は自分が発している言葉に意識の焦点をあわせるだけのことにも、非常な努力を必要としていた。脚から始まった痛みは断続的に上方に送り出されて、今では胸にまで到達していた。


「分かってる? 死にそうなほど血が出てる人にそういうこと言われても、あんまり迫力ないのよ」
 ハーマイオニーは言い返したが、突如として、もう少しで彼をあそこに残して死なせるところだったことを思い出し、後ろめたい気持ちになった。そして一瞬、やはり彼は死んでしまうのではないかと恐れた。マルフォイの怪我は本当にひどい。ハーマイオニーの手首の痛みも、耐えがたいほどになってきていた。また、最初のショックが薄れてきた今、胸にも刺すような痛みが走っている。ホグワーツの入り口にたどり着くと、二人は最後の力を振り絞って扉を押し開けた。前方につんのめるようにして玄関ホールに入り、そこで立ち止まる。マルフォイはもうこれ以上進むことができず、ハーマイオニーから手を離して床に崩れ落ちた。毒素のせいで身体が動かなくなっていた。ハーマイオニーは少しのあいだ、おぼつかなげに立ち尽くしていた。ここで止まるわけにはいかない、マルフォイを医務室につれていかなければならないのだ。
(彼が死んだら、わたしのせいだわ。わたしがもっと早く行動できていれば)
 ふらつきながら、ハーマイオニーは惨めな気持ちで考えた。突然、階段の一番上に光が現れた。


「いったい何事ですか。こんな夜更けに生徒が外に出ているな……」
 言いながら階段を下りてきたマクゴナガル先生の声が途切れた。
「ミス・グレンジャー!?」
 先生は残りの階段を走り下りて、ハーマイオニーのもとに急いだ。しかしハーマイオニーは、先生がたどり着くまで待っていることができず、苦痛に身体を切り刻まれるように感じながら、マルフォイの隣に崩れるように倒れた。呼吸ができなくなってきていた。マクゴナガル先生が何か叫んでいるのが分かったが、頭の中が暗闇で満たされていくうちに、それも段々と聞こえなくなっていった。