2004/12/20


Be Of Good Cheer (3)



 昼休みが終わって午後に入っても、ドラコはほぼずっと落ち込んだままだった。ウィーズリーの変わらぬ快活さも、気分を浮上させてくれるにはほど遠かった。ソーソンがいつもより丸々一時間も早く仕事を切り上げてよいと言い出したときすら、不機嫌なままだった。帰ったって誰もいない屋敷で一人寂しく夕食をとるだけなのだから。ウィーズリーの嬉しそうな別れのあいさつに、うなるような声で適当に返事をすると、ドラコは姿現わしで帰宅した。しんとした表玄関に現れながら、どうしたものかと考えていた。彼女があのつまらないけちな恋人と一緒に過ごすに違いない楽しい夜のことをうだうだと考え続けて、自分で自分を本気で救いようのないどん底の気分に追い詰めるのは、果たして得策だろうか。


 屋敷の中はひっそりと暗かった。どこまでも続く静寂を破る者は、誰もいない。召使や屋敷しもべ妖精ですら。戦いが終わってからの家運の傾きは、深刻だったのだ。石壁の廊下やじめじめした木の羽目板に覆われた部屋たちが、その空虚さそのものによって、ドラコを嘲笑っているように思われた。図書室を抜けて父が使っていた書斎に入り、部屋の中心を占める大きな樫材の机の傍らで足を止める。かつて、この上は父のメモや書類で埋まっていた。今はもう何も置かれていない。この机もまた、ドラコの現在の生活の空虚さを連想させた。ドラコは重苦しいため息をつくと、きびすを返して足音がこだまする廊下を進み、厨房に向かった。サンドウィッチでも作ろう。



 まるで洞穴のような厨房で、ドラコは細長い木のテーブルに着き、職場から持ち帰った報告書をめくって考え込みつつサンドウィッチを咀嚼していた。本当のところ、少々無意味な努力だ。仕事に必要な資料のほとんどは、オフィスに置いてあるのだから。もちろん、家にいなければいけない理由も、さほどないのだが。むしろオフィスのほうがよほど……まあ、なんというか。よほど、クリスマスらしい。ドラコは思わず微笑んだ。ウィーズリーのデコレーションで飾り立てられたあの小さな部屋のようすが脳裏に浮かんだのだ。静かで平和で……くつろげる。それに、古めかしい屋敷の重々しい雰囲気が、ずっしりとした毛布のように自分にまとわりついているのを感じながらここにいるよりも、向こうへ行ったほうが、仕事もずっとはかどるだろう。


 魔法省に戻ろう。そのほうが落ち着いて仕事ができるし、必要な資料もすべて揃っている。さらに付け加えるなら、環境も快適だ。ドラコは羽根ペンの先でとんとんとテーブルを叩きながら思案していたが、やがてきっぱりとうなずいた。ここにいたって意味がない。夜食を用意してオフィスに戻るのだ。心が決まると、ドラコは食べ物を見繕って書類を束ね、荷物を抱えて姿現わしで魔法省に戻った。



 オフィスの灯りが点いている――階段を上りながら、ドラコは気付いた。照明の消えた廊下に、ささやかな金色の光が扇のように広がっている。ドラコは意外に思って、眉を上げた。妙だ。こんな時間に、ほかにも来ている者がいるとは考えがたい。今夜はパーティーがあるのだから。ドラコは、光が届いているところにあと少しでたどり着くというあたりで足を止めると、室内を覗き込んだ。ウィーズリーがいる。部屋の真ん中でマントを振り広げているところだ。どうやら、ちょうど到着したばかりのようだ。


 ドラコは前に出ると、戸口の枠にもたれかかるようにして声をかけた。
「やあ」


「あら!」
 ウィーズリーは飛び上がって振り返った。片方の手が心臓の上を押えている。
「ドラコ! 戻って来てるとは思わなかったわ」
 彼女が暖かく微笑んだので、ドラコも思い切って小さく微笑んで見せた。


「どうしたんだ、こんなところで?」
 ドラコは尋ねた。彼女がこんなところにいるなんておかしい。しかも、こんな服装で。
「パーティ会場が魔法省だとは思わなかった」

 そう言うと、銀の鈴を転がしたような笑い声が返ってきた。
「ええ、違うわ。ここでコリンと待ち合わせしてるだけ。わたしのローブ、どうかしら?」
 彼女は小さくくるりと回った――ローブはクリーム・ホワイトで、身体の曲線がはっきりと分かるぴったりしたデザインだったが、飾り気のないシンプルなものだ。顔の周りの赤毛はうしろに流してある。肩をつたい下りる髪は、生命を宿した炎のようだった。小さな白い花が、髪のあちこちに飾られていた。彼女は、まるで天使のように見えた。


「きれいだ」
 ドラコは正直に言った。彼女の顔がぱっと明るくなったのを見て、なんとなく嬉しかった。


「まあ、ありがとう、ドラコ。あなたもなかなか素敵よ」
 ウィーズリーの返事を聞いて、ドラコは皮肉っぽく片方の眉を上げた。ドラコは仕事着のままなのだ。
「あなたもパーティに行くの?」


「いいや」
 ドラコは答えた。自分で意図したよりもきつい声になってしまっていた。身をひるがえして机の前に座ると、控え帳の上に積み上げられた報告書をパラパラとめくる。
「一晩中、立ちっぱなしでうろうろして、どうでもいい意見しか言わないやつらと世間話をするなんてことに興味はないね。きみは、どうしてここにいるんだ、ウィーズリー? クリービーはきみの家まで迎えに行くのかと思ったんだが」


 ウィーズリーは、片方の肩をすくめた。
「彼はそうするって言ったんだけど、わたしその前にちょっと、ここでやることがあったの。それで、ここで待ち合わせることにしたの」
 彼女の声は冷静だったが、どこか……うまく言えないが、彼女の活気、のようなものに、変調をきたしたかんじがあった。心配事でもあるのかと思ってしまうほど、普段以上にそわそわと落ち着きがない。


 ドラコは眉を上げた。
「クリスマス・イヴに仕事か?」


 彼女はそわそわするのをやめて、まっすぐにドラコの顔を見た。
「あなたもでしょ」


 どう説明すればいいのだろう? ドラコがここにいるのは、オフィスのほうが自宅よりも明るく暖かいからなのだ、とか。屋敷で冷たい灰色の壁と向き合っているより、ウィーズリーがオフィスの自分の側のスペースにはびこらせているツリー類を眺めながら、のんびり報告書に目を通していたほうがマシなのだ、とか。ドラコは荒々しく咳払いをした。
「祝日をおセンチに過ごすのに多大なる楽しみを見出しているらしい、ある種の人々とは違って、ぼくにはもっといろいろ、頭を使わないといけない大事なことがあるんだ」


 ウィーズリーはしょんぼりした顔になった。
「クリスマスを家族や好きな人たちと過ごすより仕事のほうが大事だなんて、そんなことってあるの?」
 と、問いかけてくる。


 この女はどこまで馬鹿なんだろう? ドラコはウィーズリーと目を合わせ、片眉を上げた。ドラコの家族の居場所を思い出して彼女が赤面すると、ちょっと溜飲が下がった。相手がまだ何か言いたそうにしていたので、ドラコはうつむいて羽根ペンを手に取った。彼女が苛立ったようにため息をつき、自分も紙の上に羽根ペンを走らせ始めた音が聞こえた。


 数分のあいだ、二人は無言で座ったまま、それぞれの仕事を着々と進めていた。やがてドラコは、窓ガラスを引っ掻くかすかな音を耳にして顔を上げた。
「フクロウだ」
 ドラコがぼそりと言うと、ウィーズリーが立ち上がってフクロウを中に入れた。彼女がフクロウの足から羊皮紙を取り外しているあいだに、ドラコは下を向いて仕事に戻った。しかしすぐあとにウィーズリーが、悲嘆にくれたような声を、ひそやかにもらしたので、またしても視線を上げることになった。顔が反対側に向いていたので彼女の表情は見えなかったが、手紙の用件がなんであれ、よい話ではなかったのだろう。ふたたび、もしかしたらすすり泣きの声だったかもしれない小さな音が聞こえたかと思うと、ウィーズリーは部屋の外へと飛び出して行った。手紙は机の上に残されている。


「アクシオ、手紙」
 ドラコがそっと呪文を唱えると、紙片が手元に飛んできた。さっと目を通したドラコは、眉をひそめた。



ジニー


直前の連絡になってしまってすまないのだけれど、きみをパーティに連れて行くことができなくなりました。従妹のフローラ(フローラのことはもちろん覚えているよね)に、一緒に行ってほしいと頼まれてしまって、断れなかったのです。彼女は家族同然なので。分かってくれるよね。今度、何かで埋め合わせをします。


愛を込めて、コリン



 これが意味することはつまり。あのけちな卑劣漢は、彼女との約束を反故にすることにしたというわけか。そしてあの馬鹿な娘は、そんなロクでもない男を思って泣きじゃくるために走り出て行ったのだろう。ドラコは手紙をぐしゃりと握りつぶした。まったく、愚かなことだ。


 ウィーズリーの名誉のために言っておくと、彼女はそれほど長いあいだトイレにこもっていたわけではなかった。数分後には戻ってきて、注意深くドラコのほうを見ないようにしながら自分の席に着き、心ここにあらずといったかんじで机の上の書類をめくっていた。少しのあいだ、ドラコは彼女を見つめていた。頬が紅潮しているようすや、下唇を噛んで呼吸を乱さないように頑張っているようすが目についた。ドラコは、深々とため息をついた。立ち上がると自分の机の反対側に回り込んで、ウィーズリーの机の横に行く。
「クリービーは来ないのか」
 質問らしく聞こえるように心がけるべきだったのかもしれないが、そんなことは無意味だ。


「分かっちゃった?」
 彼女は鼻をくすんと鳴らしながら小声で尋ねた。ドラコは無言で、手に持った手紙を振った。ウィーズリーは――ああ、ちくちょう。子守女の役割を果たすつもりなら、ファースト・ネームで呼んだほうがいいのだろうか。ジニーはため息をついて、机の上に顔を伏せた。控え帳に頭がぶつかったとき、小さくことんという音がした。
「こんな仕打ちを受けるなんて信じられない。っていうか、フローラのことは知ってたの。いつかこんなことになるんじゃないかって思ってた。でも、こんなやり方をされるとは思わなかった」
 彼女は片手を振って、手紙を指し示した。
「それにわたし、パーティには本当に行きたかったの」
 悄然とした声だった。


「やつは大馬鹿だ」
 ドラコはつぶやいた。彼女の頭のすぐ横に手紙を置くと、机の縁にもたれかかり、両手をズボンのポケットの奥に突っ込む。


「そんなことない」
 控え帳に顔をつけたまま、ジニーは反論した。


「馬鹿だよ」


「違うってば!」


「違わない」


「どうしてわたしの言うことを否定するの?」
 ジニーは、まだらになった顔を机から上げて詰問した。やっぱり彼女は、泣くべきじゃない。泣いたせいで顔面が恐ろしい色になっている。


「なぜ、あいつをかばう?」
 ドラコはぴしゃりと言い返した。
「きみは、何週間も前から楽しみにしていたパーティまであと二時間というときになって、どこかのあばずれ女のために置いてけぼりにされたんだぞ。ぼくでもそんなことはやらない。少なくとも、きみに対しては」
 ジニーは、目をぱちくりさせてドラコの顔を見た。口がぽかんと開いている。そのときになってようやく頭が追いついて、ドラコは自分が何を口走ってしまったのかを認識した。
「今のは、つまり――」
 彼女にまじまじと見つめられるうちに、傍目にも明らかに違いないほど頬に血が上ってくるのが分かった。くそっ。


 突然、すっきりとした表情になって、彼女は座ったまま背筋を伸ばした。
「一緒に行きましょう」


「嫌だね」


 ジニーは苛立ったように息を吐いた。
「たった今、自分なら行くって言ったじゃない。だから行きましょう」


「そんなことは言わない。ぼくは、二時間前になって約束した相手を捨て置いたりはしないと言ったんだ」
 ドラコは気まずく立ち位置をずらして目をそらした。
「この二つは、意味が違う」


「そう、じゃあ……わたし捨てられちゃったから、拾わない?」


「まさか。それでクリービーの次点か? 遠慮する」


 ジニーが睨みつけてくるのが感じられた。
「何もかもが、点取り競争ってわけじゃないのよ」


「論点はそこじゃない。きみのためにぼくがクリービーの代わりを演じる理由はないということだ」
 ドラコは彼女の机を押しやって身体を引き離し、窓際に行ってむっつりと外の雪景色を見やった。


「ドラコ。あなたは、誰の代わりでもないわ」
 彼女の声は静かだった。その声に含まれた何かが、ドラコを振り向かせた。彼女は一心にドラコを見つめていたが、その瞳に宿る感情は読み取れなかった。
「駄目?」


「分かったよ」
 気がつくと、口から勝手に返事が出ていた。なぜジニー・ウィーズリーと一緒に出かけたりしてはいけないのかという、一万個もあるはずの理由のうちどれか一つが、頭の中で言語化される前に。ジニーの顔が晴れやかな微笑みでぱっと明るくなるのを見ながら、ドラコは内心で悪態をついた。きっと、後悔するに違いないのだ。