2003/10/20

ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜

Dracordia (by LittleMaggie)

Translation by Nessa F.


第 24 章 エピローグ

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 数秒のあいだ、ジニーはその絵を見つめていた。身体の内側から、力が抜けていくようだ。突然、目を見開いて、ジニーは絵を下に置いた。突然、何もかもが不確かなものに感じられた。物の輪郭はぼやけ、頭の中でさまざまな人々の顔がぐるぐると回った。いろんな出来事が散り散りになってパズルのピースがバラバラになり、それからまたつながり、そしてまた離れていった。すでに半分ほど切ってしまった髪の毛を手で梳きながら、突如として、自分は馬鹿だと、とんでもない馬鹿だと思った。


 ジニーは一人、苦々しい笑い声をもらした。微笑みを伴わない、ただ苦く響くだけの笑い声。絵の中の指輪を、ジニーは指でたどった。彼がジニーと結婚したいと思ったのは、いつだったのだろう。いつ、どんなことを思って? どうして、自身の机の上に置かれてあったキャンバスを確認してみようとも思わないほど、自分は間が抜けていたのだろう?


 どんどん雪が勢いを増しはじめている、窓の外を見た。このまま出て行ってドラコのアパートまで走っていくには、向かない夜だ。かといって、フルー・パウダーなんて使えない。暖炉から飛び出したら、彼は死ぬほど驚くだろう。あるいは、もう着替えて寝る準備をしているところに出て行ってしまうかも。ますます駄目だ。


 手が震えていたが、大急ぎで髪の毛を切りおえて、肩につくかつかないかの長さにそろえた。苛々しながら部屋中を走り回って、何か手に取れるものはないか、何か外に出て行くのに向いた衣類はないかと探す。


 結局諦めて、ジニーはレインコートを着込み、ナイトガウンを隠すために身体に巻きつけた。それからソックスと古いテニスシューズを履いた。鏡を見ると、髪の毛はめちゃくちゃだし、まるで病院から脱走してきた患者のようないでたちだ。雪の中で、あまり人目を引かずに済むことを祈るばかりだ。


 階段を駆け下りて台所に入り、ジニーは裏口のドアに向かった。しかしテーブルのところにまだロンが座っていて、自分用に林檎の皮をむいていた。目を上げたロンは、ジニーの乱雑な服装を見るなり、眉をひそめた。


「嘘だろう。本気であいつのあとを追うつもりか」
 ロンはため息をついた。


「兄さんにはわからないのよ。彼、わたしと結婚したいって」
 ジニーは言った。


「結婚?」
 ロンは思わず訊き返した。
「あいつの言ったことをどれだけ長いあいだ分析していたのか知らないけど、ぼくが保証するよ。あいつは絶対にプロポーズなんか……」


「ああ、兄さん。兄さんにはわかってなかったの。わたし――兄さんに説明してる時間がないわ」
 ジニーは勢いよくドアを開けた。
「わたし、行かなくちゃ!」


「気でも狂ったか?」
 ロンは飛び上がって、ドアをぴしゃりと閉めた。
「あいつのところへ行くなんて許さない。あんな仕打ちを受けたあとなのに!」


「彼は……」
 ジニーは首を振った。
「あとで、ぜんぶ説明するから」
 そう言うと、コートを着て雪の中に飛び出していく。


 目の前が真っ白になるほどの吹雪は、ふつうの場合なら怖気づいて足を止めるに充分なものだったが、ジニーは今すぐにすべてを解決しておかねばと思った。ドラコに、ちゃんと言わなくては。たしかに、あのときはふたりとも酔っていたのかもしれない。でもジニーがドラコをただ見捨てるなどということは、あり得ない。そしてドラコが結婚を望んでいるということを確信していなければ、ジニーは今こんなこと、していない。


 雪の中をすり抜けるようにして、ジニーは駆けていった。戸口から、ロンがジニーの名を叫んでいた。
「ごめんなさい、ロン!」
 ジニーは、まばたきして目に入った雪片を払った。
「これは、わたし自身のために、必要なことなの。まず自分が幸せじゃなくちゃ、ほかの人たちの心配なんてできないもの!」




 ドラコは手に持ったマグカップから、ホット・コーヒーをすすった。アルコールの代わりにはならないが、どういうわけだか、今夜はワインを飲む気もしない。もっと些細なことで動揺して、眠りにつくためにアルコールの力を借りなければならないことが、今まで何度もあった。でも今夜は飲みたくない。今夜はコーヒーを飲んで限界まで起きているつもりだった。気持ちの整理をするために。


 人生のターニング・ポイントだ、とドラコは結論づけた。物事は、表面だけでは判断できない。


 ジニーが自分に好意を持っていたことを、ドラコは確信していた。一緒にがんばろう、できるだけ一緒にいよう、互いを結びつけて、周囲の人々にふたりのことを別個の存在ではなく一組として受け入れさせよう――という、彼女自身のこれ見よがしな働きかけ。でもあれは、ロマンス小説にかぶれた女の子の、たわいない言葉にすぎなかったのだ。


 結局のところ、真剣な感情ではなかったのだ。長い夜を語り合いながら過ごしたときの、涙と驚嘆に満ちた、明るいチョコレート・ブラウンの瞳。波打ちながら流れ落ちていく、赤い巻き毛。一気に受け入れるには、あまりにも耐えがたかった。この世界の中での自分の位置付けを突如として実感したドラコは、打ちのめされていた。


 ジニーが真剣なわけ、ないじゃないか。十八歳で、学校を卒業して一年しか経っておらず、人生を味わいはじめたばかりで。いきなり結婚する気になんか、なるはずがない。親しい友人ではいたかったのだろう。ジニーに誠意があったことは、ドラコにもわかっていた。ただ、そこに恋愛感情は含まれていなかった。あっても軽い恋心くらいのものだ。失望を重ねていくうちに押し流されていってしまうような、ふわふわとした気持ち。失望なら、ドラコは今までたっぷりとジニーに味あわせてきた。


 それを思うと心が押しつぶされそうに、気が咎めた。今の自分の気持ちを表現する言葉が、思いつかない。あえて言うならば、胸郭の中で心臓が鋭い爪によって切り裂かれていくようだ。やがてその心臓が、自ら流した血に溺れて沈黙するまで。死んだほうがずっとマシなような気がした。死よりも重く、苦しい気持ち。


 しかしそれでも、マルフォイ家の者は自殺などしない。世界中の人間が死に絶えても生き残ろうとするのが、マルフォイ一族だ。たとえどんなに耐えがたい状況下でも。マルフォイたる者、状況によって死に至らしめられることはあっても、自ら生を手放すことはない。


 室内の冷気に、ドラコは身を縮めた。想像を絶する寒さだ。
(よくもまあ、ポッターはこんな部屋を我慢できたものだな)
 即座にドラコの脳は回転しなおして、この考えを次のように修正した。
(ポッターがここにいた頃も眠れないほどの寒さだったことを願おう)


 両手の指をこすり合わせて、窓のほうを見た。カーテンがわずかに波打っている。これはかなり変だ。歩み寄ってカーテンを開けると、窓が開いていた――寒かったのも無理はない! 呆れ顔で、ドラコは窓を閉めた。ぐらぐらになった木の窓枠は、かろうじてガラスを押さえているに過ぎない状態だったので、慎重に閉めるよう心がけた。


 窓の外を見つめる。腹立たしいほど刺激的な蛍光オレンジ色のコートを着た人影があった。まばたきして、ドラコは窓に顔を押しつけ、網のように視界を覆う雪片の向こう側をうかがった。女の子が、行ったり来たりしている。
(ジニー)
 心の中で、ドラコは叫んだ。しかしよく見てみると、その顔に影を落としている明るい色のフードの下からふんわりと覗いているのは、色の暗い肩までの長さの髪だった。短すぎる。


 窓から身を離したが、ドラコは目をそらすことができずにいた。何かが、どうも気になっていた。女の子はドアマンに話しかけていたが、ドアマンは首を横に振って拒絶の意を表明していた。ドラコには、どういうやり取りが行われているのかがわかった。このアパートでは、九時以降は訪問者を入れない決まりになっているのだ。哀れみは、おそらくドラコの中に唯一、他人に向けることができるくらいに残っている感情だった。自分自身と、他者に対する哀れみ。人間そのものに対する、哀れみ。


 女の子は泣いていた。歩きまわりながら、泣きながら、必死になって何かを訴えていた。ドアマンは申し訳なさそうに首を振っていた。このまま粘っても、きっとあの子は歩きまわりすぎて墓穴ほどにも大きな穴を地面に穿ってしまうだけだ。ドラコはため息をついた。たまには、善意の行動をとってみるのもいいかもしれない。