2003/8/24

ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜

Dracordia (by LittleMaggie)

Translation by Nessa F.


第 16 章 臆病者

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 その夜、すすり泣くようなルシウスの低い声が、ジニーの耳に届いた。ジニーはベッドから飛び起きて、ルシウスの部屋に駆け込んだ。ルシウスは目を瞑ったまま、掛け布団の下でしきりに寝返りをうっていた。何か恐ろしい悪夢を見ているのかもしれない。ジニーはベッドに走り寄って、引き出しから小さな薬壜を取り出した。


 暗闇の中で、薬をスプーンですくう手が震えた。かさかさになったルシウスの唇を、指でゆっくりとこじ開けると、うめき声がして、喉の奥からぜいぜいと呼吸の音が聞こえた。ルシウスの口にスプーンの先端を入れると、くすんだ茶色の液体がこの亡霊ののたうちまわるように動く舌をつたい、食道を滑り落ちていった。


「おやすみなさい」
 ルシウスに向かってこうささやき、ジニーは立ち去ろうとした。しかしその瞬間、手首をひんやりとした指でつかまれた。
「きゃっ!」
 ジニーは息を呑んでくるりと振り向いた。


 背後に立っていたのは、ドラコだった。
「一緒に来てくれ……何もしない」
 ささやき声で言う。


 ジニーはドラコの手から自分の手を引き抜き、思いっきり平手打ちをしてやりたいと思った。こんなふうに黙って近付いてくる権利は、ドラコにはない。あんなことがあったあとなのに。しかしお腹や心臓や脳から湧き上がってくる感覚は、何か別のことを伝えてきており、ジニーの身体は千々に乱れる感情の渦を無視してただ直感に従い、ドラコについて行った。


「そろそろ、見せておくべきだと思ったんだ」
 と、ドラコは言った。


 どこへ連れて行かれているのか、最初はよくわからなかったが、やがてガーゴイルの石像が見えてきた。ドラコは杖でガーゴイルを軽く叩き、完全に消失させた。
「ここに残しておいても意味がない。明日には、ぼくたちはこの家から出て行ってしまうんだからな」


 ジニーはドラコの後につづいて、北の棟に向かった。ドラコはあの禁じられた部屋に入って行き、ジニーもそっと足を踏み入れた。室内は、屋敷の秘密めいた通路よりもさらにずっと暗かったが、しばらくしてジニーは、床に小さく反射する月明かりを目に留めた。光は、窓から射していた。ただ一つの窓で、牢屋のように縦格子がついていた。


 見たかぎりでは、延々と本棚がつづくばかりの部屋だった。しかし目が慣れてくると、ジニーははっとした。壁から、拷問器具や武器がぶらさがっている。また、呪術に使う禁制の材料の入った壜がいくつもいくつも並んでいた。ぎっしりと本棚に詰まっているのは、闇の魔術に関する書物だ。棚には、たくさんの毒薬も置かれていた。


 ドラコの顔を見ると、何かを思い返しているようすだった。


 そして部屋の隅では、デスイーターの装束が二人分、ガラスのケースに入れて置かれていた。ジニーはたじろいで身を引き、光の射しているところに立った。身体が震えていた。
「これって……」
 ささやき声で、ジニーは言った。


 ドラコはジニーのほうに向きなおった。影の中に身を置いたままだったが、鼻と顔の輪郭が光に照らし出されていた。
「ここでぼくは、父から訓練を受けた。毎年、夏休みになると、ここで教えを授けられたんだ。ここではよく、デスイーターたちの会合も行われていた」


 ジニーはうなずいた。


「怖いか?」
 ドラコが尋ねた。


 ジニーはもう一度うなずいた。


「怖がらなくていい」
 ドラコは言った。
「もう死んでしまっているんだ。闇の魔術は、死に絶えたわざだ」


「今でも恐ろしいわ」
 ジニーは、デスイーターのローブについている大きな闇の印をちらりと見ることすら、できずにいた。


「本当に恐ろしいことのやり方を、ぼくはここで学んだ。デスイーターたちが時々、マグルを捕らえて死ぬほどの拷問にかけたりしていたことは知っているだろう。ここでもたまに、そういうことが行われたんだ。入信の儀式として、ぼくはそれをしなければならなかった。つまり、自分から拷問を開始することができるように、ならなければいけなかった」


 ジニーは苦しげに呼吸をした。
「あなた……あなたが、そんなことを?」


 突然、ドラコがどことなく悪魔のように見えはじめた。突然、その眉の傾斜具合が悪魔の角を模しているように、陰気なしかめ面が悪意に満ちた嘲笑に変わっていくように思われた。


「しなければならなかったんだ。それが間違っているという感覚さえ、なかった。ぼくは……ぼくは、それを相手に苦痛をもたらすこととしては、捉えていなかった。自分自身を強くするための行為として捉えていたんだ」


「ひどいわ」
 ジニーは息を詰まらせながら言って、さらに壁際のほうに向かって後ずさった。その姿が、月明かりに照らし出された。
「そんなの……そんなのって。まともじゃない」


 ドラコが近づいてきた。目に涙が浮かんで、かすかに光っていた。
「ずっと考えてたんだ。信じてくれ。今では、後悔していることもあるんだ。当時から、自分たちがやったこと何もかもについて誇らしく思ってたわけじゃない」


「今でも、力を得るための手段のようなものだったと思ってる?」
 ジニーは問いかけた。


「いいや」


「本当のことを言って」
 きつい口調で、ジニーは言った。目の中で涙が、焼けるように熱く感じられた。


「本当だ」
 ドラコは、ジニーの手を取った。彼の指は氷のように冷たくなっていた。
「本当に、後悔しているんだ。そう、きみがここに来る前に、まだ教えを信じていたことは認める。でも本当に、ここしばらくは多くのことについて、考えなおしているんだ。父が倒れたときのこと、ヴォルデモートのこと全般……」


「ドラコ……」


「ぼくは、臆病者だ」
 ドラコはささやいた。影になったその顔に、ひとすじの光が見えた。薄青色に光る一滴の涙が、彼の頬をつたっているのだった。
「ヴォルデモートを護って戦うのが、怖かった。でも、今はわかるような気がする。ぼくが恐ろしかったのは、ヴォルデモートだ。そして自分に課せられた任務も」


 ゆっくりと、ドラコはシャツのボタンを外し、片袖を脱いで肩をあらわにした。そこには、闇の印が刻み付けられていた。
「ぼくはデスイーターだった。シリウスが死んだとき、ぼくもそこにいた。すべてを目にしていた」


「話して」
 ようやくジニーは応じて、手を伸ばしドラコの肩の傷跡をたどった。意外にも、その肌は温かかった。氷のかけらのように冷たかった手とは違って。
「聞きたいの」


「本気か?」
 ドラコは尋ねた。
「ぼくは今でも、あのときの記憶に苦しみつづけている」


「あなたについて、知っていることが増えれば、わたしはもっと……理解できるようになるわ」


「ごめん……さっきのこと」
 ささやくように、ドラコは言った。
「ぼくは臆病者だ」


「臆病者が一生に味わう死の恐怖は数千回、勇者が経験する死はただ一回」
 ジニーはことわざを引用し、頭を振った。
「あなたのお母様、ここに来ていたのね」


「母はここに来て、この期に及んでも闇の魔術の呪文を練習していた。まあ、杖は持ってきていなかったから、何もできはしなかったんだが、それでも徘徊しては、この部屋に入ってきていた。朝になって確認すると、呪文の本が開いていたり、いろいろな材料がぐちゃぐちゃに混ぜられていたりすることがよくあった」
 ここでドラコは、いきなり微笑んだ。
「でも、きみにこういう話をしていると、気分がよくなってくるよ。きみがぼくを怖がっているのを見るのはいい気分だ。ひどいやつだろう、ぼくは?」


「いいえ」
 ジニーは嘘をついた。


「ひどい臆病者だ」
 ドラコは、自分を責めるようにささやいた。
「自分でもそう思うんだ。でもこれからは変わってみせるよ。きっと」


 ため息をついてジニーは応えた。
「そう希望するわ」


 ドラコはジニーの手をとった。
「ぼくもだ」