2003/8/16

ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜

Dracordia (by LittleMaggie)

Translation by Nessa F.


第 15 章 信頼

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 その後もしばらくあちこちを見てまわり、バスケットを食料でいっぱいにしてから、グリンゴッツに向かうことになった。ドラコが、週決めで受け取っている給料を口座に振り込みたいと言ったのだ。通りの角を曲がるなり、一瞬の静けさにつづいて、背後から一斉につぶやき声や怒涛のようなささやき声が聞こえはじめた。ドラコは「ほら言ったとおりだろう」というふうにジニーに目配せし、ふたりはグリンゴッツへの道を進んだ。


 銀行のガラス扉を勢いよく開けて中に入ると、小鬼(ゴブリン)が近付いてきた。
「ああ! マルフォイさん、ようやく来てくださったんですな?」


「なんだって?」
 ドラコは尋ね返した。


「先日、回収部門の担当者をそちらにうかがわせたのですが、応対したのが家政婦で……」
 ここまで言ったときに、ゴブリンはドラコの背後で木の葉のように震えているジニーを目に留めた。
「……おっと! 失礼、女のかたがご一緒だったとは」


 ドラコは首を振った。
「彼女の前で話してもらってかまわない。何が問題なんだ?」


「では、こちらへおいでください」
 ゴブリンは、わずかな緊張の色を見せながら言った。彼らは金庫に通じる入り口に行き、カートに乗り込んだ。ゴブリンが巨大なドアを閉めると、カートは曲がりくねったトンネルを下って、やがてマルフォイ家の金庫の前で停止した。


「お宅の口座からは、すでに著しく超過引出しがなされているのですよ」
 カートから這い降り、ゆっくりと金庫の鍵を開けながら、ゴブリンは言った。あなたのお父上は、あまり将来のことをお考えではなかったようですな? ほとんど貯金もなさらず、刹那的に生きておられた」
 ゴブリンは感心しないというふうに瞬きをした。
「ご婦人を上の待合室へお連れしたほうがよいのでは?」


「大丈夫だ。金庫を見せてくれ」
 ドラコは言い張った。


 ゴブリンはドラコが渡したささやかな金袋を手に持って、金庫の金属製のドアを引き開けた。
「これでは、マルフォイ家にすでにある借金の四分の一にも対応できませんよ」
 ゴブリンは警告してから、小さな袋を金庫の中央に置き、短くずんぐりとした脚をせわしなく引きずるようにして歩きながら、外に出てきた。


「お宅のお金のほとんどは、固定資産税に流れていっているんです、マルフォイさん」
 ゴブリンは、怒りに満ちた声でつぶやいた。
「残念ながら、次回は屋敷ごと押収させていただくことになるでしょう」


 ジニーはドラコのほうに目を向けた。静かな表情からは、まったく何の感情も見てとれなかった。背筋をまっすぐに伸ばし顎を上げて、その場に立ち尽くしたまま無関心なそぶりを保つべく痛いほど目に力を込めている長身の姿には、どこか殉教者を思わせるものがあった。
「これで用件は終わったようだな。世話をかけた」


 ゴブリンはうなずいた。そして来た道を戻って地上へ出るようにカートの準備をしながら、こっそりとつぶやいた。
「厄介者のマルフォイ家め」
 トンネルの暗がりの中へと滑り込んで行くとき、闇に閉ざされる直前のほんの一瞬だけ、ジニーの目はドラコの顔を捕えた。ドラコは、怒りの表情でひとしずくの涙をぬぐっていた。




 帰り道は徒歩で、もの思いにふけりながらのものとなった。せっかくの田園風景なのに、これまでのところ、ふたりのあいだにあるのは苦々しい沈黙と、地面を絨毯のように覆う赤や黄色の落ち葉を踏みしめることで生じている、かさかさと耳に響く足音ばかりだった。


 いきなり、ドラコがジニーのほうを向いた。襲われるのではとジニーが勘違いして硬直するほどの、唐突な動作だった。
「現実を見据えることにするよ。もう屋敷を維持していくのは無理だ」
 ドラコの目は冷たく、石のようだった。友好的なやりとりをする気力はまったくなさそうだった。ジニーには、ドラコの内心の殺気だった激情が感じとれた。


「きっと、なんとかなるわ」


「いいや、ならないね」
 ドラコはふたたび歩きはじめ、ジニーはその後を懸命に追いかけた。
「母はアパートを借りることなど、絶対に認めないだろう。ぼくたちがどんなに惨めな境遇に陥っているかということは、誰にも知られてはならないんだ。誰にもだ」
 ドラコは憤怒にまかせてこぶしを固めた。


 そのとき突然、ある考えがジニーの頭に湧き起こった。ドラコがどれほど気持ちを張りつめさせ、極度に憤っているかを見てとったジニーは、何かを――その気持ちを和らげることなら、何でも――したいと思ってしまったのだ。
「わたしの家へ来たらどうかしら」
 その言葉の重みに気付いたのは、口に出したあとだった。いったん言い出したからには、ここで止めるわけにはいかないと感じて、ジニーは口ごもりながらつづけた。
「その……つまり、ビルとチャーリーとパーシーはみんな家を出てほかで暮らしてるし、フレッドとジョージも最近、お店の二階の予備の部屋に引っ越したばかりなの。だから今は、空き部屋がたくさんあるのよ」


「とんでもない……」
 ドラコは真っ青になった。唇までもが、淡いピンク色がかった白にしか見えない。
「そんなことはできない」


「問題ないわ……」


ぼくにとっては、問題だよ!」


 ジニーは黙り込んで、周辺の落ち葉を蹴り散らしながら歩いた。ところどころで目に入るまだ緑色の葉っぱは、もう残り少なくなっていた。十二月が近付いてきており、もういつ雪が降ってもおかしくない。例年なら、今くらいの晩秋であればすでに初雪が降っているはずなのだ。


 ドラコはため息をついた。
「すまない。きみを傷つけるつもりで言ったんじゃないんだ。でも、これだけははっきりしている――マルフォイ家の者が、そこまで落ちぶれることはできない」


「そこまでって?」
 ジニーは叫んだ。頬が熱くなり、目には涙が宿って光っていた。単に傷ついたというレベルを超えて、侮辱されたと感じていた。
「わからないの? あなたたちはもう、わたしの家が一番貧乏だったときよりも、さらに困った状態なのよ!」


 ドラコは足元を見下ろし、地面の上で入り乱れている、さまざまな色彩を凝視した。


「それだけじゃないわ。あなた、すごく抑鬱されてしまってるもの――休息が必要よ」
 職業的な気遣いを示そうと、ジニーは付け加えた。


 ドラコは沈黙していた。


 ふたりはそのまま歩きつづけた。ジニーの長い黄色のスカーフが、蛇使いによって目覚めさせられた蛇のように、ふたりの周囲で舞い踊り、強風に煽られてはためき、くるくると向きを変えていた。


「考えてみる」
 ドラコが口を開いた。
「ほかに選択肢はないものな。そうだろう?」


「信じて……」


「でも母は気に入らないだろうな」
 ドラコはつづけた。


「わたしを信じてちょうだい」
 ジニーはもう一度、言いなおした。
「そんなにひどいことにはならないわ」


 ドラコはジニーを見た。
「きみを信じるよ」




 ふたたび夜になった。ジニーはルシウスに食事を摂らせ終えて、お茶を飲もうとドラコのいる台所に来ていた。ドラコはクラッブとゴイルへの手紙を書いているところだった。ジニーはまだ、ラベンダーへの返信をしたためる時間さえ取れずにいた。もっとも、マルフォイ家の秘密を暴露せずに書くことのできる話題も思いつかなかったのだが。


 ドラコが顔を上げてジニーを見た。
「"筆舌に尽くしがたい(イネファブル)" って、どう書くんだっけ?」


「I、n、e、f、f、a、b、l、e ……」


 感謝のしるしにうなずいて、ドラコはその単語を書き綴った。


 そのとき二階から連続して、何かを壊したり叩きつけたりしているような激しい音がした。ドラコは聞こえないふりをしていたが、ジニーは立ち上がった。
「あれは何?」


「さあ」
 と、ドラコは返答した。


「ミスター・マルフォイじゃないわ。だって……だってベッドから動けないもの」


「気にするな」


「何だったのかしら?」
 ジニーは二階に向かおうとした。
「例の、窓を開けまくっているやつだったらどうするのよ? わたし絶対に……」


 ドラコはがばっとジニーの手をつかみ、椅子に引き戻した。


「何するの?」
 ジニーは叫んだ。


「しばらくのあいだ、おとなしく座っていてくれ」
 ドラコは切羽詰まったようにささやいた。
「とにかく、ここにいろ」


 ドシン、ドシンという音がまた聞こえてきた。今度は、非常に大きな音だった。ドラコは恥ずかしさのあまり段々と赤くなってきていた。突然、窓が引き開けられる音がしはじめた。ジニーは目を丸くして、ドラコをじっと見た。
「あなた、犯人を知ってるのね! どうしてお母様に言ってくれなかったの?」


 ドラコは首を振った。
「きみは事情がわかっていないから」


「教えて」


 ドラコはため息をついた。
「きみを巻き込んでも、意味がないんだ」


「馬鹿みたいに窓を開けつづけて、毎日のようにわたしに濡れ衣を着せてきた無礼者の正体を、ぜひ知りたいわ」
 苛立ちもあらわに、ジニーは言った。


 ドラコは両手を組み合わせた。
「わかった。でもあとで聞きたくなかったとか言うなよ……」
 言葉をつづける前に、頼りなげに息を吸い込む。
「なんというかその、ぼくの母は……母は、夢遊病なんだ」