2003/8/16

ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜

Dracordia (by LittleMaggie)

Translation by Nessa F.


第 15 章 信頼

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 土曜日の深夜、ジニーは寝付くことができないまま、ドラコのことを考えていた。一晩のあいだに何か恐ろしいことが起こったに違いなかったが、それが何だったのかは、想像もつかない。天井に映る指のような形の影をじっと見つめて、答えを探す。窓の外で木々が揺らいで、その影が白い天井の上に伸びているのだ。


 胃が怒ったような音を立てた。一緒に買い出しに行くはずだったドラコは、一日中、陰鬱な放心状態といったかんじのものに落ち込んだままだった。いったい、彼の心の中からこんなに急速に悪魔を呼び出してしまう、どんな出来事があったのかは、いくら考えてもわからなかった。ほとんど楽しげと言ってもよかったほどの機嫌のよさが、あっさりと何かに取りつかれたような恐怖の混じった怒りの感情に変わってしまうなんて。結局、今日の夕食はナルシッサとふたりきりだったが、ナルシッサの険悪な冷たい視線がじっと自分に注がれるのを感じながらの食事は、一人で食べるよりも辛かった。


 そのとき、自室のドアがきしみながらゆっくりと開く音が聞こえて、ジニーは全身を硬直させ息を詰まらせた。まぶたを震わせながら、なんとか薄目を開いてようすをうかがってみる。戸口には、ナルシッサが立っていた。薄いアクアマリンのローブはねじれたように身体に巻きついており、前のボタンはぜんぶ、かけ違いになっていた。よほど急いで着替えてきたのだろう。


 不安のあまり、心臓が喉までせりあがってくるような気がした。ナルシッサは身体の向きを変えて、室内を見回していた。顔は影に隠れていた。銀色の筋の混じった髪の毛にさえぎられてその目を見ることができなかったので、視線がどこに向けられているのかも、よくわからなかった。


 ナルシッサはジニーの机に歩み寄り、置いてあった紙の束を指で押さえて広げた。片手は窓枠に伸ばして欄干に触れたあと、それを軽く押し上げる。窓に鍵をかけてあるかどうか確認しているのだろう、とジニーは思った。


 その後、ナルシッサは不満げな声をもらしながら、机の上の紙をパラパラとめくっているようだった。それからクローゼットのあるあたりに顔を向け、何かあるに違いないというふうにじっと見つめる。ジニーは、自分の心臓の音が大きくなるのを感じた。アルコール類はみんな、あそこに隠してあるのだ! ナルシッサに見つかったら、ジニーがマルフォイ家のお酒を盗んでいるのだと思われてしまう!


 マルフォイ夫人はさほど興味を引かれなかったらしく、無気力なため息をついて、わずかに足元をふらつかせながら部屋を出て行った。こんな夜更け――あるいは朝早くと言ったほうがいいかもしれない――に起きているなんて、きっと眠り薬のせいで、神経のどこかがおかしくなってしまっているのだろう。




 一夜明けて日曜日。ジニーとドラコは一緒にダイアゴン横丁の市場へ食料の調達をしに行くことになっていた。まぶたごしに光を感じながら、ジニーは仮病を使ってこのままベッドに留まるのと、ドラコに同行することで現実の危険に身を晒すのと、どちらのリスクを取るべきか検討してみた。


 結局ベッドから起き上がり、ていねいにシーツをたたんでからシンプルなミントグリーンのワンピースに着替えた。そして最後のひと仕上げとして、髪をうしろでまとめて黄色いバレッタで留めた。戸口に向かい、部屋を出て階段を下り、ついに台所にたどりつく。


 ドラコはすでに下りてきており、椅子に座って黒いブーツの靴紐を結んでいるところだった。
「用意はできたか?」
 ジニーの服装をちらりと見て、ドラコは尋ねた。


「できたわ」


 ドラコは立ち上がって杖を出した。
「姿あらわしでダイアゴン横丁まで行く。今日は大市が開かれているんだ」


「あら」
 ジニーは頬をほてらせた。
「歩いていかない? とってもいいお天気よ」


 ドラコはジニーの目を見た。灰色の虹彩の中央の真っ黒い瞳孔の部分がジニーをまっすぐに貫いて、その奥の意識を読み取るように思われた。
「きみ、姿あらわしができないんだ」


「だったらどうだっていうのよ?」
 ジニーはつっけんどんに問い返した。あまり愛想よくジョークで切り返すような気持ちにはなれなかった。このことでは卒業前の七年生のとき、クラスのみんなの前で何度も恥ずかしい思いをしてきたのだ。


「じゃあフルー・パウダーで行こうか」
 ドラコは提案した。


「いいわ」
 ジニーはうなずいた。
「そうしましょう」




 市場はさまざまな色彩、匂い、そして光景のるつぼだった。どこを見ても人がいたが、ほとんどが年老いた女性や使用人だった。日曜日だったので、多くの魔法使いたちは遅くまで寝ており、市場まで必要なものを買いにくるのは、各家庭のために働く者たちなのだ。ジニーが大きく息を吸うと、鼻からシナモンの香りが入ってきた。


「おや、気に入ったかい?」
 近くにいた女が、シナモン・スティックの入った壷を持ち上げて言った。
「部屋に置いておくといい香りがするよ」


「素敵ね」
 ワゴンの前で足を止めて、ジニーは返事をした。


 ジニーの連れが目に入ると、女は一歩うしろに退いた。どことなく周囲と距離を置いたような雰囲気を持つこの長身痩躯の若者は、ほかでもないドラコ・マルフォイではないか。たかだか市場に来るだけだというのに、立派な青いスーツの上に優雅な外套を着込んでいる。


 シナモン・スティックのワゴンから周辺のほかのワゴンへと、驚愕の表情が波及していくのを悟って、ドラコは暗くなった。そう経たないうちに、市場の人々のうち半数が、ドラコとジニーのほうを盗み見るようになっていた。値段の交渉や取り引きは続けられていたが、それらは控えめな打ち解けないようすで行われ、皆の目はちらちらとこの珍しいふたり連れのほうへ向けられるのだった。


「こっちにいらっしゃいな!」
 ふたりに向かってワゴンから呼びかけてくる女がいた。


「知り合いか?」
 ドラコはジニーに尋ねた。耳もとにドラコの息がかかるのを感じて、ジニーは落ち着かない気持ちになった。黄色いスカーフに顎を埋め込ませ、ジニーは首を横に振って否定した。


 その女のワゴンの前でふたりが立ち止まると、女は展示ケースにかけてあった大判のスカーフをゆっくりと外した。ケースの中では、幾列ものきらきらと輝く婚約指輪や結婚指輪が、石や金属の種類ごとに分けて並べられていた。女は考え深げにジニーをじろじろと見て、ドラコに問いかけた。
「マルフォイ家の人たちはあのお屋敷の中でいったい何をやっているんだろうと思ってたけど、実はこういうことだったの?」


 ドラコの声音は、ひどく冷たく凍てついていくように思われた。
「彼女は、ぼくのところで働いているんだ」
 どこまでも冷ややかな口調だった。


 ジニーは貶められたように感じて、自分でも付け足した。
「わたしはマルフォイ家の家庭内の事柄について責務を負っている者です。なんというか……家屋管理について信任を受けているんです」


「あら」
 女は自分の店の指輪をもう一度ちらりと見て、しぶとく言った。
「ねえ、どうなのよ、将来的にロマンスが生まれる可能性がまったくないって、本当に言い切れる?」
 ドラコに向かってウィンクする。
「ダイヤモンドを嵌め込んだルビーとゴールドの指輪は、若い娘さんたちに大人気なのよ……」


 ドラコは気色ばんだ。
「ウィーズリー家の者と?」
 それから、鼻で笑った。
「あり得ないね」
 そのまま、ちらりとジニーを見てついて来ていることを確認しつつワゴンを離れる。ジニーはそれに従う以外なかった。


 すぐ近くに、調味料類を積んだワゴンがあった。ドラコは砂糖を手に取って、ジニーが持っていたバスケットに入れた。ジニーはワゴンの狭い天井からぶらさがっている、糸でつないだ赤唐辛子にすっかり夢中だった。
「これはとっても辛いわよ。チリビーンズを作るときは、成功するのも失敗するのも、唐辛子が決め手なの」


 ドラコはジニーの顔を見た。
「作る気はあるのか? その、チリビーンズを」


「もちろん」


「一本分、買おう」
 ドラコは店主の老人に向かって言ってから、唐辛子をつないでいる糸に付いた値札を裏返して見た。とんでもなく高かった――ふつうの唐辛子が百個は買える値段だ。


「駄目だわ……」
 ジニーは声をあげた。


 ドラコは肩をすくめた。
「とにかく買うよ」
 唐辛子をワゴンの上に置いてドラコが店主にひとつかみのコインを手渡すと、ふたりはワゴンのそばを離れた。


「ねえ、どう感謝したらいいのか、わからないくらいよ」
 ジニーは正直に言った。顔が紅潮していた。


「じゃあ手始めに、その嬉しさを抑えるようにしてくれ」
 ドラコは肩越しに振り返ってうしろを見た。さっと顔を逸らした者が、少なくとも四十人はいた。
「ぼくたちがここを出た瞬間に、あのお喋りの爺さん婆さんどもは堰を切ったようにあれこれ言いはじめるぞ」