2003/8/8

ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜

Dracordia (by LittleMaggie)

Translation by Nessa F.


第 14 章 記憶

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《回想 〜ドラコ〜》


 彼らは退却していた。ヴォルデモートとルシウスはぴったりと寄り添っており、その動きは滑らかで調和がとれていた。ドラコのところからも、部屋の向こう側にいる彼らの姿が見えていた。ドラコたちはホグズミードの、ひとけのなくなった古い店の中に潜んでいた。杖と杖による戦闘や強力な呪文によって、店内の壁はボロボロになり、建物自体も崩壊してきていた。この見捨てられた泥だらけの古い場所、灰色の埃が立ち込めるずっしりとした空気の中で、彼らは語り合った。


 彼らの声は低くひそやかだった。ドラコはほかのデスイーターたちと一緒に、フードをしっかりとかぶって室内の暗闇の中で瞳を光らせながら座っていた。自分のなかにある恐怖の感情を認めることはしたくなかった。しかしヴォルデモートには見透かされていた。ヴォルデモートは、ドラコの恐れや臆病さを、ローブを貫いてまっすぐに見てとることができた。それを思うと、ドラコの心は痛んだ。彼のヒーロー、救世主。ドラコの力が、かの御方に最も必要とされている今このときになって――ドラコは、恐怖を覚えているのだ。


 この戦争の勝者を予測することは難しかった。どちらの側にもそれぞれ、損失と利得が生じていた。デスイーターたちは極めて有能に闇の魔術を操ることができたので、一人でふつうの魔法使い五人を相手にすることが可能だった。にもかかわらず、かつては巨大で不気味な大軍勢として通りを闊歩していたデスイーターたちが、今では徐々に数を減らしつつ肩を寄せ合う集団にすぎなくなっていた。それでも人々は狂乱のさなかにあった。病院の職員は過重労働にあえぎ、看護婦も不足していた。


 最初に感知したのは、ドラコだった。背筋に沿って産毛がそそりたつような、あるいは脚が麻痺していくような感覚――誰かが、近付いてきている。
「ご主人様……」
 ドラコは口を開いた。


 ヴォルデモートは振り向いて、その赤く輝く目をドラコに向けた。
「我も感じておる。ポッターだ」
 蛇がしゅうしゅうと息を吐き出すような声だった。その声を聞いただけで、ドラコは怒りに満ちた目に見えない手が自分を締め付けているような気持ちになった。


「あやつらを近づけないよう、呪文を唱えていろ。そのあいだに我々は攻撃に備える」
 ルシウス。ほかの者たちが自然とその顔を仰ぐ、勇敢なリーダー。ドラコは父に対して、心からの尊敬の念を抱いた。


 ハリー・ポッターとその仲間たちは、対抗呪文に取り組んでいた。それは数秒、数分、あるいは数時間でさえあったかもしれない。時間の流れはあまりにも遅く感じられ、実際のところはわからなかった。耳もとに届く自分の心臓からの、なだれを打って落ちてくる岩石のような轟音が何よりも速く感じられ、それがドラコには忌々しかった。ほかの者たちにも感づかれているに違いない。しかしドラコはまだ若いのだ。若手のデスイーターは、ほかの仲間たちよりも精神的に脆弱なところが残っていてもしかたがなかった。


 ロン、ハーマイオニー、ルーピン、そしてダンブルドアが勢いよく入ってきた。彼らを統率しているのは、ハリーだった。デスイーターたちが盲目的にヴォルデモートのうしろについて、全員がひとつの軍勢として行動することを選んだのに対して、敵方は効率的な少人数の集団に分かれることを選択したのだった。ほかの者たちに続いて、わずかに息を弾ませながら戸口に現われたハリー・ポッターを見て、ドラコは思わず拳を固めた。


 デスイーターたちは前方に飛び出していった。そのあとは、呪文に次ぐ呪文による、狂ったような戦いだった。最も強力だったのはヴォルデモートだ。まず彼はルーピンに意識を向けた。その闇の魔術に対する並外れた防衛力を知覚したのだ。ヴォルデモートの細長く痩せた指が杖を伸ばし、あの耳障りな息遣いが、部屋中に響きわたった。ルーピンは床に崩れ落ち、理性を失った目をしてぶるぶると震えた。それ以前から、脚を負傷してすでに弱ってはいたのだが。


 ドラコは微笑した。こちらの勝利だ。


「やめろ!」
 叫んだのは、シリウス・ブラックだった。堕落した犯罪者の座から英雄として返り咲いた男。彼が杖をヴォルデモートに突きつけると、何もかもが凍りついた。ヴォルデモートに真正面から立ち向かうというのは、無謀な攻撃だった。


 ルシウスが身を引き、ほかのデスイーターたちもそれに倣った。ハーマイオニーはロンにしがみつき、ダンブルドアは眉間に皺を寄せて、シリウスを助けるべきか、その他全員の安全をはかるべきかの判断をつけかねて激しく考えをめぐらせていた。結局、ダンブルドアは後方支援にまわり、同様に杖を上げた。


 シリウスはいくつかの呪文を繰り出したが、ヴォルデモートのほうがはるかに素早く、有能だった。これほどまでに滑らかな技を操るには、殺戮者の心がなければならない。あるじがさらに呪文を叫ぶ傍らで、ドラコは胸が張り裂けそうなほどの歓喜を覚えた。シリウスは床の上に倒れた。アバダケダブラの呪文だったことを、その場の全員が理解していた。


 誰も身動きしなかった。次の瞬間、ハリーが絶叫した。
「嘘だ!」


 ハーマイオニーの頬を涙が流れ落ちていた。デスイーターたちは襲撃者たちの一団を取り囲んだ。ドラコはそのうしろのほうで出遅れていた。ルシウスは最前列に立ち、ヴォルデモートはさらにその先で中核となって皆を率いていた。ハリーはシリウスの身体の傍らにひざまずいていたが、やがて顔を上げ、殺意を込めた怒りのまなざしを放った。


 ドラコはそのときにもまだ、自分の反応の遅さを嫌悪していた。瞬きする間もなく、あるいは一呼吸する間もなく、ハリーのまとうローブがはためきはじめ、奇妙な輝きが彼の身体を包んだ。デスイーターたちは怯えて後ずさった。


 ルシウスはしかし動じず、うしろを振り向いて苛立ったように同胞たちを睨みつけた。
「臆病者どもが! 攻撃しろ! これはまやかしだ!」
 吐き捨てるように、彼は言った。


 ヴォルデモートは愕然としていた。今回は、部屋の中のすべてのものが文字どおり凍りついた。脚が動かせないほど重く感じられ、ドラコはその場に釘付けになった。白色のオーラが蛇のように地面を這って、皆の足元にまとわりついた。まるで羽毛のような雲でできた、重さニトンの鎖。ハーマイオニーが、声をひそめて何かをささやいていた。ロンも何かを唱えていた。ふたりは自らの力をハリーに注ぎ込んでいたのだ。ダンブルドアでさえも、同じことをしていた。一致団結して協力しあう、実に楽しいグループではないか。


 ハリーはもう、あまりにも圧倒的な怒りに身をまかせていた。その身体を取り巻くオーラは渦巻く竜巻のようにうねり、周囲をたたきつけ、そこに力を結集させていった。ドラコは絶叫したくなったが、声をあげることのできる者はいなかった。この力は、なんだ? これが――愛だと? なんという笑止な芸当を!


 ドラコはふたたび、父親のほうを見た。ルシウスとヴォルデモートは共に、ハリーに手の届く距離に立っていた。ハーマイオニーがほかの者たちから離れて、デスイーターたちに魔法をかけはじめた。一人ずつ鎖で縛り上げ、そのままアズカバンに送り込めるように。


 ハリーとヴォルデモートはその前にも対戦していたが、そのときにはヴォルデモートが勝利を収め、ハリーを負傷させた。ただしその後、デスイーターたちは退却しなければならなかったのだった。そして今、ハリーは未知の異質な力を使って戦っていた。この力は、感情によって増幅されていた。


 ヴォルデモートもまた、彼自身のオーラを発していた。それは蛇を思わせる黒雲の形をとり、ハリーから発せられている白い輝きを、ゆっくりと貫きつつあった。ドラコの脚を縛り付けている鎖の重みが、ゆらゆらと増減するのがわかった。足を踏み出したかと思えば、いきなりまた引き戻されて、誰もが無為に動き回っていた。室内における、絶え間ない力の遷移によってドラコの頭の中はどくどくと脈打ち、ひどい痛みが生じていた。ほかの者たちも同様だということが見てとれた。敵たちでさえも。


 ドラコは身震いして尻込みし、さらに数歩、後方に引き戻そうとしてくる白色の力に身をまかせて退いた。ヴォルデモートの声が、耳の中で鳴り響くような気がした。
(臆病者め。攻撃するのだ)


 ドラコはのろのろと杖を持ち上げ、狙いを定め、対抗呪文を叫んだ。何か、単純なものだったはずだ――ステュピファイ。ハリーの頭のすぐ上のところのオーラに、黒い穴が穿たれた。


 ルシウスが叫んだ。
「今こそ最期だ、ポッター!」


 白い鎖の拘束が緩んだ一瞬を逃がさず、ルシウスはハリー・ポッターを攻撃すべく前方に突進していった。ドラコもまた前に走り出たが、しかしそれは本能的に、父の身体につかみかかってうしろに引き戻すためだった。空気の中に、何かおかしいところがあった。ハリーはただそこに立ち尽くしていた。目はうつろで、身体は発光していた。そのまま段々と消えてゆきそうにも見えた。


 それからハリーは顔をこちらに向けた。射殺すように目を赤く光らせて。視線はルシウスの上にあった。ヴォルデモートではなく。そして、大きな音が響きわたった。室内を端から端まで、巨大なナイフが切り裂いていくような音だった。白い光は圧倒的なものとなり、部屋全体を満たした。ドラコに見えたのは、太陽を直視しているのではないかと思えるほどの鋭い光だけだった。


 やがて、白い光は消え去った。身体中の力が抜けてしまったような気がした。ドラコは膝をついた。身体が鉛のように重かった。視線を下方に移すと、すぐそこに、父親が横たわっていた。ルシウスの眼球は裏返っていた。目と鼻から血液が細い筋となって漏れ、泡だった緋色の液体が口から流れ出していた。


 ヴォルデモートの姿は、どこにも見当たらなかった。ほかのデスイーターたちも、力を使い果たして床に横たわっていた。そしてハリーは、自分の行いの結果を凝視していた。その後、膝がゆらりと崩れてうしろに倒れ、ハーマイオニーとロンの腕に抱きとめられた。


 ふたたび、何もかもがスロー・モーションに感じられた。ドラコは父親の髪に手をうずめて自分の頭を下げ、ルシウスの額に触れ合わせた。ドラコの髪の生え際をかすめる、ルシウスのかすかな息遣いが耳に届いた。涙がこぼれ落ちて、流れ出た血を薄めていくなか、ドラコは声を絞り出した。
「ちちうえ……?」


*


 目を覚ましたドラコは、とっさに口に手をやっていた。自分が発した叫び声の残響が、まだ室内にこだましていた。
(父上!)


 ベッドから飛び起きて乱暴にローブを羽織り、一階に駆け下りた。台所に入って、コーヒーを淹れる。カップを唇に押し付けていても、どうしようもなく手が震えた。ため息をついて、ドラコはカップを下におろした。座り込んで、ずきずきと痛む頭を抱え、ゆっくりと呼吸を整えた。


 それからふたたび立ち上がり、戸口の横のいつもの戸棚を引き開けて、何かアルコールがないかと探した。何もなかった。すぐに、ジニーと馬鹿馬鹿しい賭けをしたことを思い出す。突如として、あのほんの一瞬だけはプライドなど飲み込んでしまえばよかったのだという後悔に襲われた。


「ミスター・マルフォイ?」


 顔を上げると、ドアのところにジニーが立っていた。


 ドラコは頭を振って、視線を下に向けた。
「砂糖を探していたんだ。その……コーヒーに入れようと思って」


 ジニーは怯えた表情をしていた。
「あなた、震えてるわ。ほんとに大丈夫?」


 ドラコはうなずき、ジニーの視線を避けて素早く目を逸らした。目を覗き込まれると、さっきまで自分が見ていたものをすべて読み取られてしまうような気がして怖かった。冷や汗がにじみでていた。


「あの……わたし、今日は家族のところに戻る日なんだけど」
 ジニーはまるで、まったく正気を失った人間を相手にしているように、ゆっくりと言った。


「じゃあ行けよ」
 そう応じたドラコの目が出て行こうとしていたジニーの目とかち合った。そのときジニーは、見てとった。ドラコの内側でふたたびよみがえった苦痛を。労わるようにドラコの腕に手をかけたが、ドラコはその腕をびくっと引っ込めた。


「行け」
 ドラコはささやいた。


 ジニーには、その言葉に逆らう勇気がなかった。