2003/8/8

ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜

Dracordia (by LittleMaggie)

Translation by Nessa F.


第 14 章 記憶

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 その後のある晩も、ドラコは黙々と厳粛にジニーの絵を描いていた。金曜だったので、翌日にはジニーは家族のもとに帰れることになっていた。ジニーはそのことと、またハリーにどんなふうに話をすべきかということについて、思いをめぐらせた。今のところ、めぼしい進展はまったくない。ドラコはまだ援助を申し出られても、それを受け入れることはしないだろう。ジニーがもっとドラコに近付いて、友達になることさえできれば! しかしドラコに近付くことは、自分の首を危うくすることでもあった。ジニーがナルシッサの不興を買っていることは確実なのだ。


 ドラコに使用人と呼ばれるのは、とりわけ、これまでの二倍の努力で友人、あるいは身内とさえ思ってもらえるように、最大限に働きかけたにもかかわらずそう呼ばれるのは、癪に障ることだった。


「おい、眉間に皺が寄ってるぞ」
 ドラコが、そっと声をかけてきた。


「ごめんなさい」
 ジニーは突き出していた唇をもとに戻し、眉の力を抜いた。


「嫌なことでもあったのか? ラベンダーが知らせてきたことか?」
 ドラコは尋ねた。純粋な好奇心で訊いているようにも思えたが、気にかけつつも敢えて数日間を空けたのではないかとも思えた。尋ねるにしても、もともとはどうでもよかったのだが、ふと思いついたのだという体裁を保つために。


「ううん、なんでもない」
 明るい笑顔を取り戻して、ジニーは答えた。


「なら、いいんだ」
 半開きの目で考え込みながら、ドラコは描きつづけた。そのうち首をまわして、マントルピース上の古い時計を見る。時間を確認できるように、自分の部屋から引っ張り出してきたものだ。すでに夜の九時二十四分になっていた。次の朝、ナルシッサが起きてくる前に屋根の状態をざっと見ておきたいと思っていたので、ドラコは早寝をするつもりだった。


 ふいにジニーは、自分のほうから心を開いて、ドラコに自分の抱えている問題や考えていること、物事に対する見解について話して聞かせたらどうだろうかと思いついた。それにこれまでの人生のこまごまとした出来事でさえ。そうすれば、ドラコはジニーとのあいだの距離を、否応なしに縮めることになる。それほどいろいろと知り尽くした相手のことを、拒絶できる人なんているだろうか。
「ラベンダーはね、ロンと付き合ってるの」


「彼に幸運を祈る」
 ドラコは応えて、深紅の絵の具の中で筆をぐるぐると動かした。


「ラベンダーは今、トレローニー先生のところで働いているの。在学中から、あの先生の授業が本当に好きだったのよ」
 もう少し実のある返答を期待して、ジニーはさらに言った。


「トレローニーのところで働くのは、ひどいものだろうな。明日の正午には転んで脚の骨を折るだの、来週には飼い犬がアイスピックで刺し殺されるだのと言われまくるに決まってる」
 イーゼルから目を離して、ドラコがこちらを向いた。


 ジニーはくすくす笑った。
「ラベンダーも予知をするのが段々うまくなってきてるの。でも扱うのはほとんどが愛の呪文とか、そういったもの」


「くだらない」
 ドラコの声音には、険しさがあった。
「愛? 安っぽい壜に入ったのを買ってきて自分に吹きかければいいような愛って、何だよ?」


 ジニーはうなずいて賛意を示した。
「わたしもそう思うの。魔法薬で得られるようなのは、本当の愛じゃないって。愛っていうのは、自分で得るものだわ」


 ドラコは、先ほどまでのものと比べるとかなり華奢なかんじの細筆を手に取って、ジニーの髪の自然な艶の部分を引き立たせるために明るい薄黄色を含ませた。今一度、彼は自らを会話から切り離したようだった。今までもドラコは、これをとても巧みにやってのけてきた。ちょっとした動作をするだけで、これ以上会話を続けたくないとほのめかすことができるのだ。そのはぐらかされたという事実で、ジニーは意地になった。


「どこかに出かけていって、素敵な女の子にめぐり合いたいと思ったりしないの?」
 ジニーは尋ねた。
「この屋敷と魔法省に自分を縛り付けておくのは、よくないわ。あなた、全然どこにも行かないんだもの」


「明日は買い出しに行く」


「そうじゃなくて、公園でぶらぶらするとか……」


「公園? いつ行ったって犬を散歩させているやつがいるじゃないか。犬どもが歩いた後の汚らしさといったら、信じられないよ」


「たとえばの話よ。カフェに行くのだっていいわ」


「いいか、ぼくは腕に女性をぶらさげていなくたって、生きていけるんだ」
 ドラコは言った。


「女のひとは、それだけのためにいるんじゃ……」


「わかったよ。じゃあ、女性は料理して掃除して、子供の面倒をみる」


「それは差別だわ!」
 ジニーは叫んだ。


「でもきみの母親はそうしてきただろう? ぼくの母も。同じなんだ。どんな母親も同じさ」
 ドラコは応えた。それから少し沈黙して、自分の言葉を反芻した。即座に、心の中に去来したさまざまな判断に照らし合わせて検討が行われた。やがて彼は付け加えた。
「ぼくときみの母親では、必ずしも同じとは言えないな……」


 ジニーは黙り込んだ。ドラコも五分ほどのあいだ、何も言わず絵を描きつづけた。厳かな沈黙は、これからどうするのかという思いによって重くなっていった。どちらが先に口を開くのか。何を言えばいいのか。どんな問いかけをする?


 とうとう、ジニーが口火を切った。
「あなたには、チャンスがたくさんあると思うの」


「ぼくと一緒にいて耐えられる女性なんかいない」


「あなたって、ひどい悲観主義者だわ」
 ジニーは、自分が座っているソファからほつれて飛び出している糸を引っ張りながらぼやいた。


「生きていればいろいろと悟ってくるものだ」
 ドラコは応じた。まだジニーが繰り出す主張や問いかけの一つ一つに気の利いた返答をする余裕は残っていたが、段々と難しくなってきていた。正直なところを言えば、今本当にやりたいのは、手を伸ばし巻き毛の一筋をそっとつまんでつんと引いてから放し、はじかれたようにもとに戻るさまを眺めること。


 ジニーの目を描きおわってはみたものの、ドラコは実際にその目がたたえている柔らかい暖かさを、あまり写し取れていないことに気付いた。代わりに、蜂蜜のような色調と小さなタンポポ色の斑点を加えて、少し明るめに描きなおした。髪はすでに仕上がっていたが、もう一度ジニーの髪を見つめる口実として、ドラコの筆は何度でもそこに戻って、文句のつけようのないカールの曲線の上をたどった。ジニーの目をじっくりと見るのは落ち着かなかった。さっさとその部分を仕上げてしまったのは、そのためだった。


「きみの一番いいところは、髪の毛だね」
 考え込みながらドラコは言い、赤い髪のあいだからちらりと覗いているだけの耳に取りかかった。


「それはありがとう」
 ジニーは初めて気付いたというふうに、自分の髪に指をくぐらせて楽しげにからめた。


 いきなり、ドラコは腕を伸ばしてその巻き毛を自分の手に取った。もはや我慢ができなかったのだ。ほんのりと色づいた指のひらの上で一本一本が見てとれるよう、つかんだ髪をゆっくりと広げる。健やかな赤、力強い茜色、ところどころに混じる金色の筋。目を上げると、ジニーの顔が真っ赤に染まっていた。


「触っていいか……?」
 少々遅ればせながら、ドラコは尋ねた。


 ジニーはうなずいた。


 ドラコは立ち上がってジニーの横に腰を下ろし、顔や首のまわりの髪には手を触れず、二人がけのソファの背もたれの上に奔放に落ちかかっていた髪を手中におさめて、ゆっくりと指を通した。


 ジニーは自分の頭のうしろに手を伸ばして、二つ縛りにするときのように髪を左右に分けた。そしてドラコに近いほうの髪の束を、まとめて手渡した。
「実地検証ね?」


 ドラコは、ジニーの髪を三つ編みにしはじめた。思い出の渦に捕われたドラコの顔に、陰が差した。
「子供の頃、よく母の髪を編んだ」
 やがて、端まで編んだ髪を見つめながら、ドラコは言った。こんなに早く編みおわってしまって、残念がっているような表情だった。
「でもある日、母は階段から転げ落ちた。首の部分を縫合するために、医者は母の髪を短く切らないといけなかった」


「まあ、それは大変だったわね! お気の毒だわ!」
 ジニーはささやいた。それから、ふと付け加えた。
「わたしもよく、母の髪をとかしてあげたわ」


 ふたたび、目が合った。ドラコは、何かを言いかけてやめたようすだった。
「まだ何かあったの?」
 ジニーは問いかけた。


 一呼吸置いて、ドラコはうなずいた。
「どうせきみにかかったら、聞き出されてしまうんだろうからな。母――母は階段から落ちたときお腹に子供がいたが、そのせいで亡くしてしまった。死産で……もう六ヶ月になっていた」
 ドラコは哀しげだった。
「ぼくはそのとき、七歳だった」


「本当にお気の毒だわ」
 ジニーには、ほかに言葉が見つからなかった。突然、たくさんの兄がいる自分に気が引けた。


「それから母はずっと子供を作る気になれなくて、そのあとは、欲しくてもできなかった。ぼくが甘やかされて育ったのは、たぶんそのせいだ」
 ドラコの目はとても哀しげで、いつもの無頓着さを装った仮面は脱げ落ちていた。
「ぼ……ぼくはもう行くよ」
 ドラコが立ち上がると、その手から三つ編みが落ちてジニーのわき腹に当たった。


「おやすみなさい」
 ジニーはその後姿に声をかけた。ドラコは振り返って応えた。
「おやすみ」