2003/7/16

ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜

Dracordia (by LittleMaggie)

Translation by Nessa F.


第 12 章 最愛の母

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 ルシウスは、ワシの鉤爪のように固く内側に曲げられた震える指をあげて、何かを指し示そうとするようにジニーのほうへ伸ばした。ジニーは自分の背後を振り返ったが別に何もなかったので、すぐにまたルシウスの世話に戻った。食事を摂らせる必要があったのだが、これは大変な仕事だった。何もかもを唇のあいだから押し込まねばならず、ルシウスは口を開いておくことについてはとても非協力的だった。


 指先がルシウスの手をかすめると、信じられないほど冷たくなっていた。ジニーは杖を取り出して、部屋を暖める魔法をかけてから揺り椅子に座り、半分ほど空になったオートミールのボウルをしっかりと持ち直した。ルシウスの静かな呼吸音が聞こえる。まぶたは閉じていたが、その下で眼球がうごめいていた。


「何かお話をしましょうか?」
 ジニーは声をかけた。返答がないだろうことは重々承知していたが、ルシウスの尊厳を守る意味で、とにかく返事があるものと想定して一呼吸置いた。
「そうですね、これはずっと前にあったことなんです。日記帳を見つけた、小さな女の子のお話」
 ジニーは、少女に取りついた巧妙な悪の力について語りはじめた。


 物語の導入部が半分ほど過ぎたところで、室内にほかの人間がいる気配を感じた。ドラコがそっと入ってきて、熱心に耳を傾けはじめたのだった。話が終わるのを待っているのだが、邪魔はしたくないというふうに。ジニーは気にしないことにして物語を先に進め、やがて少女がどのようにして、恐ろしい部屋を開いてしまったかという部分にたどりついた。


 ここで、ドラコが口を挟んだ。
「じゃあ、あれはきみだったのか」


 ジニーはきまり悪い思いでうなずいた。


 ドラコは心もちがっかりしているように見えた。
「ぼくも闇の帝王と個人的に言葉を交わしてみたかったなあ」


「どうして、闇の帝王のことをそんなに偉いと思うの? いったん頂点に上りつめたら、彼はあなたたちを裏切ったかもしれないって考えたりしない?」


「目指していたのは、マグルたちを我々のための労働者とすること。奴隷と言ってもいい。穢れた血は排除だ。そして、魔法族をふたたび我々純血の者たちで栄えさせるべく努めていく」
 ドラコは、まるで練習を重ねた演説のような喋り方をした。


 ジニーは震え上がった。
「あなたが四歳だった頃でも、あなたのお父様がしてくれるお話は、一つの種族を根絶やしにして別の種族を奴隷にするのが、どんなに素晴らしいかってことだったわけ? 寝る前のおとぎ話は、どこへ行っちゃったの?」


 返答するドラコは冷えきった操り人形のように見えた。
「あの御方はぼくたちの救世主であり、ヒーローだった」


「彼の追従者はみんな、入れ物にすぎなかったのよ。闇の帝王は頂点を極めたら、みんなを裏切ったでしょうね。だって、ほかのひとたちに権力を分け与えたりすると思う?」


「あの御方はぼくたちを裏切ったりなんかしない」


「そうするだけの邪悪さは持ち合わせていたわ」
 ジニーがこう言い返すと、ドラコは反論できなかった。




 その夜の食事はようやく、ある意味では一家そろってのものとなった。ナルシッサは階下に降りてきており、ドラコも仕事から早めに戻ってきていたのでナルシッサやジニーと一緒に食べることができた。ジニーは、ドラコとナルシッサを小さなテーブルに着かせてから、自分は隅のほうにちょこんと座り、なるべく音を立てないように心掛けた。ナルシッサは疲れて苛々しているようだったし、ドラコは今日も職場で厄介な一日を過ごしたらしかった。


「あなたが用意したキャンバスを見たわよ、ドラコ」
 ナルシッサが言った。


 少しの沈黙のあと、ナルシッサはさらに言った。
「なんて題名にするの?『ウィーズリー、ある田舎者の女房』?」


 ドラコは屈辱感に耳を火照らせたが、いつものように落ち着いた声音を保つ才能を発揮した。
「単なる腕ならしの習作だよ、母上」


「家族の肖像をもう一枚描いてもよかったのに。そのうちいなくなるとわかっている、よそ者の絵を描くなんて。ルシウスがよくなり次第、出て行ってもらう子なのよ」
 ジニーは、ナルシッサの目とドラコの目では色合いが異なっていることに気が付きはじめていた。どちらも灰色だったが、ナルシッサの瞳は非情だった。ドラコの哀しみを帯びた目とは違って、ナルシッサの目は意地が悪そうで、灰色の霧がかかっているように曇って見えた。


「父上はもう、よくはならないよ」
 ドラコの声は、消え入りそうだった。言葉にすることを恐れているかのようだった。


「馬鹿げたことを」
 ナルシッサはジニーのほうに顔を向けた。嫌悪に満ちた目が、ジニーの頭よりほんの少し上の空気を見つめていた。ちょうど、かつてイギリスの王族が決して下僕とは目を合わせなかったのと同じだ。
「こんなくだらない考えを息子に植え付けたのは、あなたなの?」


「いいえ奥様、わたしは……」


「きっと、あなたね」
 ナルシッサはナイフの切っ先をジニーに振り向けてから、皿の上に置いた。取り繕いもしない不快感を込めて鼻をすすり、付け加える。
「言わせていただければ、あなたはここに来て以来ずっと、家じゅうを好ましくないほうに感化させているわ。今までの健康的な朝食の代わりに、あのおぞましくて油っぽい食事を出したり……」
 その言葉を強調するように、ナルシッサは自分の皿を脇に押しやった。
「ドラコに、むりやり絵を描くことを再開させたり。この子の心の傷を思いやりもせず……」


「母上……」
 ドラコが言いはじめた。


 ナルシッサは大きな音をたててテーブルの上に手をついた。
「そしてあなたはドラコに色目を使って、わたくしをこの家の中で孤立させたのよ。わたくしに見てとれないとでも思っていたの? あなたがこの子を自分の味方につけようと画策しているのが? あなたのその、馬鹿馬鹿しい思いつきで? わたくしが祖父から受け継いだ白い絹のシーツは、先祖伝来の大切な品なのよ。それをお払い箱にして、あなたときたらドラコのベッドをあんなぞっとするような薄紫だの赤だのの寝具で飾り立てた」


「すぐに片付けます!」
 ジニーは反射的に言った。


「いいえ!」
 ナルシッサは鋭くささやいた。
「それだけじゃないわ。窓よ。家じゅうどこででも開けたり閉めたり開けたり閉めたり。わたくしの目は欺けないわ。あなたはいつも自分の部屋に風を通して居心地よくしておきたがっているわね」
 指をひらひらと動かして見せる。


「母上、おねがいだ。完全に論点がずれてる……」
 ドラコが立ち上がった。


「お座りなさい!」
 ナルシッサは息子に向かって言った。ドラコを相手に声を荒げたのは初めてのことだった。
「長年この家に暮らしてきて、ここまで故意に慣例にそむいた使用人は、ほかにはいなかった。あなたが来る前には、この家はうまく行っていたのに、今ではもうめちゃくちゃ」


「わたしはただ、お役に立ちたくて」
 ジニーは泣き出していた。


「役に立ちたいなら、一番いいのは、余計な口出しをせずに、呼ばれるまで自分の部屋にこもっていることよ」
 と、ナルシッサは言った。
「さあ、お行き!」


 ジニーは顔に手をやって泣きながら席を立ち、目からあふれ出る熱い涙を乱暴にぬぐった。そしてすぐに立ち去ろうときびすを返した。


「母上――ジニー。聞いてくれ。今はふたりとも頭に血がのぼっているだけで……」

 ドラコは完全に板挟みになっていた。


「それから、もうひとつ」
 すでにふらふらと戸口にたどり着いていたジニーに目をやって、ナルシッサは言った。


「はい、なんでしょう?」
 ジニーはささやいた。


「わたくしの息子に手を出さないで。このあばずれ女」