2003/7/19

ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜

Dracordia (by LittleMaggie)

Translation by Nessa F.


第 10 章 笑い声

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 ジニーはまぶたから煤をはらった。少しのあいだ、もくもくとした灰色と黒の煙塵しか見えなかったが、段々と目の焦点が室内に定まってきた。ハリーのアパートには、前にも来たことがあった。壁に貼られた大きなポスターが目に入って、ジニーはにっこり笑った。ポスターの中では、ハリーとハーマイオニーが幸せそうに踊っていた。目的地にたどり着いたことはたしかだった。


「いったいなんだよ?」
 ハリーがシャツのボタンを留めながら、勢いよく部屋の中に入ってきた。片方の肩の上にネクタイが引っ掛けられていた。喉のところには小さくちぎられたペーパータオルが、ぷつんと噴き出した血のしずくでくっついていた。


「ああ、ハリー!」
 ジニーは声をかけながら、騒々しく暖炉の中から這い上がった。まずヒールのある膝丈ブーツ、それから黄色に染められたジーンズをはいた脚。ジーンズは、灰色の煤でわずかに汚れていた。
「ほんとにごめんなさい。ずいぶん早い時間よね?」


「午前四時半だ」
 ハリーは半眼になってジニーを見た。眼鏡はかけていなかった。男の人にしては、ハリーはかなり睫毛が長く、目の周りで黒い毛がバサバサと空気を扇ぐように見えた。大体いつもは、眼鏡のおかげで雰囲気が和らいでいるのだけれど。
「何かあったの? 誰か亡くなったとか?」
 一瞬、ハリーの口調はほとんどそうであってほしいと言いだげだった。


「いいえ、そういうことじゃないのよ」
 ジニーはもごもごと答えた。恥ずかしさに顔が赤くなるのがわかった。
「とにかく、あなたが出勤しちゃう前につかまえたくて」


「なるほど、きみも朝一番のお出ましでご苦労様だね」
 ハリーはひねくれた笑顔を返した。今の彼は、かなり頑固な容赦のない結び目ができてしまっているネクタイをなんとかしようと格闘しはじめていた。


「ドラコのことでお話があるの。真剣な話し合いがしたいのよ。わたしのことは、依頼人として扱って。おねがい」
 ジニーは頼み込んだ。


 ハリーは首を振った。
「ジニー、わかっているはずだ。マルフォイは誰かが自分のために助けを求めるくらいなら、手の爪を剥がされたほうがマシだと思うやつだよ! あいつは本当のろくで……」


「ハリー!」
 ジニーは咎めるように言った。


「……ぼくはただ、きみに本音を言っているだけさ」
 ネクタイがきちんと落ち着いたので、手持ちぶさたになったハリーは本能的に手を上にあげて眼鏡をいじろうとしたが、耳にかぶさった髪の房に触れただけに終わった。眼鏡をいじるのは、ハリーが落ち着かない気持ちになったときの癖だ。手で何かをもてあそびたくなるのだ。
「キッチンにおいでよ」
 ハリーは招いた。


 キッチンに入ると、前の晩に切ったトマトのなごりでまだぐちゃぐちゃのまな板や汚れた皿が入ったままの流し台から、ドアノブに引っかけたハンガーで揺れている不運なピンストライプのスーツに至るまで、ありとあらゆるものが、ハリーが独身男性であることを指し示しているようだった。


 眼鏡を取り戻したハリーはすぐさまそれを鼻の上に乗せた。
「いいだろう、じゃあ率直に言うよ。きみに嘘はつきたくないからね。それに実際、嘘を考えている時間もない」
 ハリーは自分のジョークに微笑みを浮かべた。


 ジニーも感謝の意をこめて笑い返した。
「どうぞ、言って?」


「ドラコに関してぼくのところに届いている苦情を魔法省大臣に見せたら、連続で四回は卒倒するだろうね。苦情のファイルを大臣が読んだその瞬間、ドラコは確実にクビだ」
 ジニーの顔に浮かんだ心配そうな表情を見まいとして、ハリーの目はふたたび睫毛の向こうに隠れた。


「苦情?」


「たくさん来てる。ものすごい紙の山だ」


「ねえ、その報告は、遅らせることはできないの? 保証するわ、決して見込みがないわけじゃないと思うの。ときどきドラコは、なんていうか、まるで……」


「……人間みたい?」
 ハリーが言葉の先を推測して言った。


 ジニーは赤くなった。
「今までだってずっと人間だったわ」


 ハリーは苛々しているようだった。テーブルの上にあった溶けかけのバターの細長い塊に指を突っ込んでから、その指を引き出してまじまじと見る。自分でも何をやっているのかわかっていなかったのだ。いったん穴のあいたバターには当然、もう一つ穴が必要だ。というわけで、もう一度指を入れた。
「何がなんでも他人を許さないのは、人間らしいと言えるかな、ジニー? いつまでも憎しみの種を撒き散らし、育った不運を刈りとりつづけるのは? それはもう、死んでいるようなものじゃないか?」


 ジニーは眉をひそめた。
「ドラコは死んでなんかいないわ。ねえ、ハリー。内面は死んでないのよ。わたしにはわかるの。中から炎のようなものが……」


「炎? ドラコから?」
 ハリーがそう唸ると、その両目の下にそれぞれ、顔をしかめたことによる皺が刻まれた。
「今のあいつはもう灰より灰色でかさかさだ」
 ため息をつく。
「厄介なことにならないように気をつけるんだよ、ジニー」
 意味ありげな表情を向けて、ハリーは言った。


「厄介なことって何よ、ハリー?」
 ジニーは思わず言った。なんと、ハリーはジニーがドラコと関係を持とうとしていると非難しているのだ! 女の子が他人を気にかけたら、そういうふうに言われて当たり前だとでもいうのだろうか。


 ジニーはハリーの疑惑を一蹴した。
「わたしはただ、マルフォイ家の人たちの力になりたいだけ。ドラコはきっと行いを改めるようになるわ。とにかくもう少し時間をあげて。あの人たちが絶対に他人に助けを求めないことは知ってる。それくらいなら、あの屋敷の中で飢え死にするほうを選ぶ人たちなの。ねえ、ハリー、おねがい」


「しかたない。できるだけのことはしてみるよ」