ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜
Dracordia (by LittleMaggie)
Translation by Nessa F.
第 9 章 哀悼
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ジニーはふわふわしたオレンジ色と赤の毛糸で、セーターを編みはじめていた。カチカチと心地よい音を立ててぶつかり合う編棒から目を上げ、自分の正面の、大きな金属の歯が並んでいるような格子の向こうの炎に視線を向ける。暖炉の中の焚き木は、密やかな悲痛のうちにパチパチとひび割れてゆき、焔は苦しげに轟々と燃え盛っていた。空気中に緊張感がただよっている。最もそれが強く感じられるのは、向かい側のソファの上にいるドラコ・マルフォイが視界に入ったときだ。
ドラコは横向きに寝転んでうとうとしているように見えたが、それでも足は動いていた。身を守るように膝を折り曲げたかと思うと、また伸ばして寝そべったまま死体のようにじっと静止する。寝心地のいい体勢を決められずにいるのだった。
職場で何かあったのだろうということはわかっていたが、それが何なのかまでは、ジニーには推測できなかった。ドラコはまだアルコールには手を出していなかったが、気を引かれてはいるようだ。視線が、暖炉のマントルピースに置かれたワインの壜のほうにさまよいがちだから。そのすぐ上には、あの家族の肖像画がかかっている。
ジニーは、そろそろ沈黙を破ったほうがよさそうだと判断した。気持ちを和らげるには、お喋りが一番、手っ取り早くて安全だ。
「本当に絵が上手いのね」
ドラコは体の向きを変えてジニーを見ると、笑みを浮かべてうなずいた。
「ありがとう」
「誰に教わったの?」
何かを思い出したらしく、ドラコは黙り込んだ。しばらくして、言った。
「父が雇った絵の先生だ。年寄りで、いい教師だった。マルフォイ家の者はみんな、何らかの芸術的な才能があるんだ。父は――聞いて笑うなよ――木炭画のスケッチが得意だった。ぜんぶ屋根裏のどこかに残してあるよ」
ジニーは微笑んだ。
「かわいらしいと言ってもいいくらいね」
カチカチと音を立てながら二本目の編棒に糸をかけてくぐらせ、新しいループを作る。
「先生のことを聞かせて」
ドラコは懐かしげに微笑を返した。
「ヒュートン卿と言った。十二歳のときから、週三回のレッスンがあった。もちろん、夏のあいだだけだが」
「ずいぶん回数が多いのね。絵を描くの、好きだった?」
「好きで、それと同時に、大嫌いだった」
ドラコは言った。
「きみ、混乱してない?」
「してるわ」
ジニーは笑いながら認めた。
ドラコは上半身を起こして足を床につけ、ソファの上にまっすぐに腰掛けた。
「ぼくはあんまり上手くなかったから、ヒュートン卿は学校があるあいだも、ホグワーツの誰かを毎月スケッチするように言ったんだ。それが嫌だった。手近なところにいたのはパンジーとクラッブとゴイルだけだったし、あいつらは必ずしも素晴らしい人体美を誇っているというわけではないからな」
ドラコは寂しげな表情になっていた。
「でも、先生のことは好きだった。今でもよく覚えている」
「どんな人だった?」
興味を引かれて、ジニーは尋ねた。
「あなたにとって。言葉で描いてみせて」
「手が止まってる」
ドラコが指摘した。
ジニーは手元の毛糸を見下ろして、すぐに編物を再開した。編棒がこすれあう、絶え間のないやさしい音が、生じがちになってきた沈黙を緩和してくれた。沈黙の中には、口にされない言葉が埋まっていた。子供の顎の中の、歯が抜けた後の隙間のように。
「背が高くて、髪の毛は灰色で」
ドラコは話しはじめた。少し考えてから、つづける。
「あの目はちょっと気に障ったな。じっと見られると、こっちが思っていることを何もかも読まれているような気にさせられた。まったくね、もしかしたら本当にぜんぶお見通しだったのかもしれないな。ぼくが、描いた絵で何を伝えようとしていたのかも、いつも見抜かれていた」
「じゃあ、あなた全然下手じゃなかったんじゃない。絵で自分の言いたいことが表現できてたのなら」
ドラコは目を呆れたようにぐるっと動かした。
「どうだか……」
立ち上がって、マントルピースからワインを取る。ボトルのうしろには、彼の粗暴な呑みっぷりに対応できるよう、すでにグラスが用意されてあった。
「いや、単に先生のほうが、何かそういう魔力を持ってたんだと思う。ほら、純血だったし。家系を遡ればマーリンまで行ったんじゃないかな」
「あなたのお父様がつれてきた人なら、それは当然純血だったでしょうね」
ジニーはあいづちを打ちながら、オレンジ色の糸から出る綿毛が自分の着ているクリーム色のスカートにくっつかないよう、編みかけのセーターの位置をずらした。
「ほかへ気を逸らしたり、無用な間違いをしたりすると、ヒュートン卿はあの嫌な定規でぼくの手を叩くんだ」
ドラコは床に視線を落とした。床の上には、入り組んだ花の紋様が刻まれていた。暖炉の周辺ではその紋様はすべて、灰がこびりつき残り火の熱で色あせて、ほのかな淡い灰色になっていた。
「じゃあ、厳しい先生だったのね?」
「厳しかった。でもいい先生だった。指導されるのは嫌だったけど、同時に好きでもあった。彼に教えてもらわなければ、きっと今でも就学前の子供みたいな絵しか描けずにいただろう」
ドラコはワインのコルクを抜いた後、突然ラベルを凝視した。このとき初めて、アルコール度数を示す数字に気付いたらしかった。ジニーはドラコが壜を下に置くのではないかと期待をしながらセーターの下でこっそり指を交差させ、そのようすをうかがった。
「きみも飲むか?」
やがて、ドラコは言った。
「いいワインだ。この家にはたくさんあるんだ。祖父の代からのものがほとんどだから、かなり古い」
「いいえ、要らないわ」
「要らない?」
「わたし、お酒は飲まないの」
「誰でも飲むよ」
ドラコは親指と人差し指でつまんだコルクを前後に揺らしてもてあそんだ。
「誰でもさ」
自分に言い聞かせるように、さらに言う。この自分の言葉に後押しされて、ドラコはボトルを傾け、グラスを満たした。
ジニーには、ドラコにお説教をしようとしても無駄だということがわかっていた。
「絵のレッスンのことをもっと聞かせて」
「別に大したことは何もない」
ドラコは素早く言った。
「本当に、どれもこれも昔の思い出にすぎないんだ、どうせ。全然、面白くないよ」
そう言ってグラスに唇を付ける。
ワインから気を逸らさせようと、ジニーはあわてて口走った。
「おねがい、聞きたいの」
「しつこいな」
怒りっぽく、ドラコは言った。
「話を聞かせてくれるべきなのは、きみのほうじゃないのか? 使用人の仕事は雇い主を喜ばせることだろ。質問することじゃなく」
「自分のこと、使用人だなんて思ってないもの」
ジニーは言った。
「お友達をめざして実習中のつもりなの」
ドラコはつい微笑ってしまった。
「きみは、子供の本みたいだね。善良な考えと道徳心がつまってる」
グラスをジニーのほうに傾ける。
「乾杯」
ジニーはおざなりにうなずいた。
「たぶん、両親がそういうふうに育ててくれたんだわ」
「ヒュートン卿もそういう、主義にこだわる人だった」
ドラコはクッションに身をもたせかけて、ワインをすすりながらふたたび話しはじめた。
「ぼくのユーモアのセンスを嫌っていた。あまりにもダークで、意地が悪すぎるって」
「自分でもそう思った?」
「いいや。人間は変わらないものだからな。そうだろ? 特に、ぼくはね」
「どうして、特にあなたは、なの?」
ジニーは追求した。
グラスの中身は、半分ほどに減っていた。
「もう半分になってしまった」
はぐらかすように、ドラコは大きめの声で言った。
「でもヒュートン卿のことはかなり好きだったよ。あんな気取り屋でも。かったるくて絵を描く気になれないときは、何時間でも一緒にチェスをして過ごした」
「勝った?」
ジニーはさらに質問した。ドラコに、いろいろ喋らせたかった。答えてもらえる質問が多ければ多いほど、ドラコのことをもっとよく知ることができる。そうしたらそのうち、彼の考え方や生活態度が改善されるように手助けできるかどうか、試してみよう。
「いつも同点」
ドラコは答えた。
「いや、本当はそれだと正しくないか。チェスに同点(タイ)はないから。むしろ引き分け(ドロー)だな。最終的には、キングとキングしか残らないことがよくあった。ヒュートン卿はいつも自分のことを誇りに思っていた。それから、ぼくのことも。なんだか、祖父のようだった。本物の祖父は、ぼくにはいなかったけど」
「お祖父様を知らずに育ったの?」
「母の父親は、母がまだ若い頃に死んだ。父方の祖父は、ぼくが二歳のときだ。ヒュートン卿が亡くなったのは、ぼくが六年生のときだった」
「まあ、ごめんなさい……」
ドラコはグラスの中身を飲み干して、悲痛な声で言った。
「それも夏休みの真っ最中だった。どしゃ降りで。イギリスの天気は嫌だね。遺体を下ろした時点で、墓穴にはすでに深さ半フィートほどの水が溜まっていた」
記憶を反芻するドラコの下唇が震えた。
「みんなはバラの花弁を投げ入れていた。ぼくの手にあったやつは、雨で洗い流されてしまった」
ジニーは敬虔な気持ちで黙って聞いていた。
「……それでぼくは……ぼくは自分のアクリル絵の具を墓穴に入れた。ぜんぶ。大きな木の箱だった……それからは、色彩画を描くのをやめてしまった。描けなかったんだ」
ドラコはジニーのほうを見上げた。目が光っていた。
「きみなら理解してくれるかもしれないね? でも母にはわからなかった。ぼくが絵をやめてしまったことを怒っていた」
「わたし……」
「暖炉の上のところに絵があるだろう? あれはぼくが描いたものだ。先生が亡くなる一週間前に仕上げたんだ。後になって捨ててしまおうと思ったけど、母は飾ると言ってきかなかった」
ドラコは絵から顔をそむけた。
「あの絵は嫌いだ。先生の、血の気のない灰色の死に顔を思い出してしまうから。父のことも思い出すよ、あれを見ると。ポッターに人生をめちゃくちゃにされる前のね」
「ドラコ……」
「そうさ。ぼくが悪いんじゃない。みんな死んでしまったり、気が狂ってしまったりしたけど、ぼくがそう仕向けたわけじゃない……でも、ぼくのせいみたいな気がしたんだ。ヒュートン卿が亡くなった日、すごい言い争いをした。そうしたら、後になって心臓発作を……」
「あなたのせいじゃないわ。そういうこともあるわよ……」
「大好きだって、伝えることもできずじまいだった。心の中では、本当に祖父のように思っていたのに」
涙が外に出てくることを阻止するように、ドラコは早口で喋っていた。
「父にも、言わずじまいだった」
ジニーは編物を置いて、ドラコの傍らに座った。ドラコはジニーのほうに向いて話をつづけた。
「それからは絵の具を使った作品をまったく描かなくなった。モノクロ画はやっても、色彩画は全然」
しかし自分の髪が赤く塗られていたことを思い出したジニーは、反射的に三つ編みの赤毛に手を触れた。ドラコはジニーの言いたいことを見てとって説明した。
「訊きたいことはわかるよ……どうしてきみの髪には色を塗ったのか。そうだな、最初に、一番強い印象を受けたのが、その髪だったんだ。本当に赤いよね」
「赤毛の人間は、実は小さな悪魔らしいわよ。言い伝えによると」
「長いあいだで初めてこの屋敷の中に現われた、色鮮やかなものだったんだ」
ジニーは了解してうなずいた。
「ねえ、もうひとつ質問があるの。答えなくなければ、答えないで」
「何?」
「誰かを好きになったことある? 本当に好きな人はいた?」
「両親のことはいつも好きだった」
ドラコは答えた。
「たぶんヒュートン卿も。でも女の子ではいないな。そういう意味で訊いているんなら。つきあった相手はいたけど、恋愛だと思ったことはない。欲望、はあったかな。でも恋じゃない」
ジニーはうなずいた。
「きみは?」
「男の人に恋愛感情を持ったことがないの。同じよ」
ジニーは赤くなりながら告白した。
「大好きっていう気持ちは、しょっちゅう感じていたし、今でもそう。ほとんどどんな人にでも、どんなものにでも。でも、そういう意味での愛情ではなかったの」
ドラコはため息をついた。
「でも父には伝えておけばよかったと思うんだ、大好きだって。今となってはもう遅い――ぼくが何を言っても理解できないだろうから。ぼくが好きだったのは、あの亡霊じゃない。あれは父が残していった馬鹿げた抜け殻だよ。きっと父は、ぼくが父のことを好きだなんて、知らずじまいだったと思うんだ」
目にふたたび涙が浮かんだ。
「ちくちょう、ぼくはまた酔っているみたいだね」
ジニーは、笑顔がドラコの気を引き立てることを願って、微笑みかけた。しかしドラコは、自分だけの世界に閉じこもってしまったように見えた。ジニーはその手を取って、自分の小さな両手で暖めるように包み込み、ふたりはそのまま数分間、そこに座っていた。ドラコは、ジニーが自分の手に触れていることにすら気付かず、物思いにふけっていた。ジニーはもうとっくに部屋の外に出て行ってしまったと思っているのかもしれなかった。
やがてジニーは立ち上がり、ワインを抱えて部屋を去った。これ以上、自由に手の届く場所にこれを置いておくわけにはいかない。
(第 10 章につづく)
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