2003/7/11

ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜

Dracordia (by LittleMaggie)

Translation by Nessa F.


第 8 章 進歩

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 真夜中。屋敷の中は真っ暗だった。すべてのカーテンが閉ざされ、一呼吸ごとに息が詰まりそうなくらい空気が埃っぽい。かれこれ数年間、まったく新鮮な空気に触れていない部屋もあった。ムッとするような匂いが、カーテンから床板まで、そこいらじゅうから立ち上っていた。小さな赤ん坊がむずかるような、ルシウスの声が聞こえた。完全に、他人に依存しなければ生きていけない赤ん坊。ジニーは思わず目をつむり、ここまでの運命を受け入れなければならないほどの悪事とはどのようなものだろうかと考えた。


 かつて、天からのいかずちが、ことごとくマルフォイ家の人々の上に落とされればいいのにと思っていたこともあった。しかし今は、そんなことを考えた過去の自分をなかったことにしたいくらいの気持ちだった。ドラコの目に浮かんだ痛々しい表情、あるいはルシウスの虚ろな生気のない瞳を一度見てしまっただけで、マルフォイ家に悪しかれと願う感情は揺らぎはじめていた。


 まだ寝巻きにも着替えていなかったので、ジニーは躊躇なくそのままルシウスのもとへ向かった。ルシウスはベッドから床にずり落ちてうつ伏せに倒れており、分厚い羽毛布団で顔をふさがれてくぐもった声を出していた。
「ミスター・マルフォイ!」
 ジニーはルシウスの身体に手をかけて仰向けになるように回転させた。


 ルシウスは真っ白な眉をつり上げてに額に食い込ませ、死んだような目をジニーの目に合わせてきた。灰色の瞳の真ん中の深い影のような部分に、ジニーは自分の姿が映りこんでいるのを見た。ドラコと同じ目だ。あの不思議なきらめきはないけれど。ルシウスの目は、野生動物のそれだった。自分の理解の及ばない世界に放り出され、困惑と孤独にさいなまれ、何が起こっているのかも感じとれず、よくわかっていないままの。


「い、いやだ……いやだ、いやだ!」
 ルシウスは放心状態で、どもりながら言った。


 ジニーはルシウスの白髪をそっとうしろに撫でつけ、ベッドに連れ戻した。その身体はあまりにも軽くなっており、まるで藁でできた人形だった。ジニーのような、ぽっちゃりした少々疲れ気味の若い女性でも、容易に抱き上げることができた。


 ルシウスをベッドに落ち着かせ、ひんやりと滑らかな感触の布団をまっすぐに掛けなおすと、ジニーはベッドの向かい側の揺り椅子に腰掛け、ルシウスをじっと見つめた。呼吸が速くなっている。上下する肋骨の形が、衣服を通してもくっきりとわかった。幽霊そのものというかんじで、本当に恐ろしかった。


 自分と相手のささくれだった神経を鎮めるため、ジニーは話をしはじめた。前回よりも穏やかな物語を話す声には、ふたりともを落ち着かせる効果があった。物語の主人公は透明マントを手に入れた魔法使いの少年で、冒険に繰り出したある晩、魔法の鏡に遭遇し、その中に自らの心にあった最も強い望みを見ることになったのだった。


 目に涙を浮かべて、ジニーはささやいた。
「ミスター・マルフォイがその鏡を見ても、もう何も映らないんでしょうか? ご自分の姿すら、見えないのかもしれませんね。こんな身体の中にいるよりは、むしろ死んでしまいたいと……ああ、なんてことを考えてしまったの」
 ジニーは悲しげに、先端をスクエアに整えた自分の手の爪に目を落とした。
「じゃあドラコなら、何を見るのかしら? きっとその中では、ミスター・マルフォイは元気になっているに違いないわ」


 ルシウスは、細長い鼻孔をカッと開いて、ひゅうひゅうと音をさせながら息を出した。


「もしドラコの望みが、そんな純粋な罪のないものだとしたらハ……じゃなくて、お話の中の男の子と比べても、心の奥底では、それほど悪いひとではないのかもしれませんよね?」
 ジニーは声に出して問いかけながら、ルシウスの身体を布団でくるみこんだ。ルシウスはすでに、まどろみはじめていた。


 ジニーは立ち上がり、毛布をもう一枚、ルシウスの動きのなくなった身体にかけた。それから廊下に出て、自分の部屋に向かって歩きはじめた。ガーゴイルのそばを通ったとき、すぐそこにいたナルシッサが目に留まった。台所に行こうとしているらしい。いかに鼻が詰まって息苦しいかといったようなことを、しきりにつぶやいている。


「熱いお茶を飲まれるといいですよ。風邪のときにはすごくよく効くんです」
 ジニーはすれ違いながら、明るく声をかけた。ナルシッサの目は床に向けられており、まぶたはほとんど閉じられているように見えた。色の濃い睫毛が伏せられて、カーテンのようにジニーとナルシッサのあいだを隔てていた。


 ナルシッサはあまりにも冷え切っていたのかジニーに礼を言うこともせず、ただ口真似をするように「お茶」とささやき、ゆっくりと階段を下りて台所に入っていった。足元がわずかにふらついていた。目が覚めたばかりで、ジニーの存在を気に留める余裕もないくらいに、身体がだるいのかもしれない。


 ジニーが自分の部屋に戻ると、またしても窓が大きく開いているのが目に入った。スカーフは風に飛ばされて床の上に落ち、机の影で汚れた陰鬱な色合いに染まって見えた。