2003/6/4

ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜

Dracordia (by LittleMaggie)

Translation by Nessa F.


第 3 章 夕食

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 ジニーのほうに向き直ったナルシッサの声は、ふたたび穏やかさを失って冷たい怒りを帯びていた。
「さあ、あなた! 座ってないでお皿を片付けてちょうだい。モリー・ウィーズリーが、あなたに洗いもののやり方を教えるくらいの常識は持っていたならよいのだけれど」


「大丈夫です」
 ジニーの黄色いリボンは段々とほどけてきており、立ち上がってテーブルの上にかがみ込み汚れた銀器や皿を集めていると、真っ赤な三つ編みが肘のあたりでぶらぶら揺れた。ナルシッサは視界の片隅にそのようすをおさめたまま、やりかけの刺繍を手に取った。まるで、ジニーは社会の諸悪の根源なので、銀器の一つをくすねてポケットに隠したりしないように見張っているのだと言わんばかりの態度だった。


 ジニーは手早く皿を洗ってから、もとのように積み重ねて食器棚におさめる簡単な呪文を唱えた。
「じゃあ、おやすみなさい。わたしももう寝ますね」
 ドラコに対してしたように、ナルシッサが微笑んでうなずいてくれることを期待しつつ、ジニーは言った。


「付添婦というのは、付き添ってくれるのが仕事ではないの?」
 ナルシッサは怒りの声を上げた。


「でも、奥様は……」


「刺繍をしていると、手は忙しいけれど、頭はそうじゃないのよ。さて、あなた歌は歌える?」


「知ってる曲があんまりないんです」
 ジニーは赤い髪を耳のうしろに挟んで立ち上がった。
「でも、お話をすることはできます」
 ジニーの顔には、ふたたび血の気が戻ってきており、たちまち、彼女の快活さによって部屋に電気的な刺激が与えられたかのように、陰鬱な灰色のカーテンや平凡な調理台、タイルの磨り減った床が色彩を深め生き生きと見えはじめた。


「それでは、楽しませてちょうだいな」
 ナルシッサは命じた。


 そこでジニーはその夜を、ナルシッサのために宮廷道化師として過ごし、物語や面白おかしい逸話を低い声で語った。そのあいだナルシッサは手に持った小さな布に針を刺しては抜き、刺しては抜いて、縫い目を増やしつづけた。ぐいっとその手が動くたびに、ジニーは針が自分を貫くような気がして、身震いしそうになった。たっぷり三十分はそれを続けたあと、ようやくナルシッサは言った。
「もういいいわ」


 それまでずっと微笑んでいたナルシッサは、このときにはもう、こわばったしかめ面に戻っていた。
「寝てもかまわないわよ」


 解放されたことを悟り、ジニーはおじぎをしてすぐに部屋を出た。




 悲鳴が聞こえたのは、おそらく午前の一時か二時頃だったに違いない。ジニーの頭の中はふわふわと心地よい夢に満たされていて、彼女はすっかり自宅のベッドで寝ているつもりになっていた。部屋にはやたらとすきま風が入ってきたが、ジニーが持ち込んだ数々の備品で趣きが出て、今はどことなくとても居心地のよい雰囲気があった。はじめ、ジニーは反応しなかった。夢の中の叫び声をあげる牝牛は、実のところ怖いというよりもユーモラスだった。しかし次の瞬間、叫び声は夢の中から聞こえているのではなく、外部からのものだということに気付いた。


 慌てて嫌々ながらも目を開いて、まず直感的に思ったのは、ロンのフクロウがとうとう、一番新しい家族の一員である黒猫の罠に陥ったのかもしれないということだった。ところが目に入ったのは、戸口に立つドラコの、すっかり目を覚ました姿だった。
「起きろよ!」
 と、彼は言った。
「もうとっくに、向こうの部屋にいるものだと思っていた」


 もがきながらベッドから抜け出して、ジニーは殿方のお供として多少なりともマシなように寝巻きの乱れを整えた。ふたりは急いで廊下に出た。ドラコの言ったことで少なくともひとつは、本当だったわけだ――どういうことだか知らないがジニーが注意を向けるべき対象は、たしかに耳に届いたのだから。


 部屋に入ったときジニーが見たのは、悪夢を含めたあらゆる想像を絶するほどの、奇怪な姿だった。ルシウス、ドラコの父親。ただし二年間にわたるひどい病と動かない身体にさいなまれた後の。ベッドの中の青白くねじれ曲がった身体は、自分自身にシーツを巻きつけてミイラのようになっていた。


 そこから、人間離れした音声が発せられ、昇りつめ、また低くなった。まるでリハーサルもしていない聖歌隊がいちどきに金切り声を上げたようだった。ジニーは突然力が抜けるのを感じて、自身を支えるために一番手近にあったものにしがみついたが、ふと気がつくとそれはナルシッサだった。ナルシッサのほっそりとした血の気のない顔は、暗闇の中でかすかな月明かりに顔立ちを照らし出され、いっそう怒りっぽく、いっそう不吉に見えた。


「遅いわ」
 ナルシッサは腹立たしげに言った。
「主人が世話を必要としているときに遅れをとることは、もう二度と許しませんよ」


 ジニーは呆然とうなずき、これから何をすべきかについて実際的な指示を出してくれることを期待して、ドラコに顔を向けた。


「いつもの発作だ」
 ドラコは説明した。


「そんなの見ればわかるわ! 聞けばわかるの!」
 ジニーは感情的に言い返した。
「何をすればいい?」


「まずシーツをはがそう」
 ドラコは提案した。


 ふたりは暗がりの中で協力して、ぶるぶる震える身体をゆっくりとベッドの上で転がした。そのあいだにも悲鳴はあがりつづけ、いったん静まり、その後さらに大きくなって再開した。やがてジニーにもルシウスの顔が見えるようになったが、その顔は墓場からよみがえった化け物よりも恐ろしかった。なぜならこの顔は、とっくに死んでいてもおかしくない状態で生き延び、その生の一瞬一瞬が、一日たりとも休まることなく激しい苦痛に満たされたまま、二年の歳月を過ごしてきた人間の顔なのだ。


「ああ、なんてこと」
 ジニーは、食いしばった歯の間から声をもらした。
「このあとは、どうすれば?」


 ドラコの灰色の目には涙が込み上げつつあった。例のことがあって以来、よその者がルシウスを目にするのは、これが初めてだった。彼は十九歳、まだたったの十九歳なのに、もう内面は年老いてしまっている。毎日、毎日、病気の父親を世話しつづけて、もうボロボロだ。
「知るもんか」
 ドラコはしわがれた声で言った。
「付添婦はきみだろ」


 ジニーはうなずいた。
「そうよ、そうですとも!」
 彼女は怒りっぽく目元をぬぐった。
「でもわたし――まさか――こんなのって……」


「とにかく、さっさとどうにかしてちょうだい。わたくしは眠りたいの」
 ナルシッサが言い捨ててきびすを返し、ドアを閉めて立ち去った。


 ちょっとばかり息の合わない二重奏をやるようなかんじで、ドラコとジニーはルシウスから衣服をはがし、入浴させた。彼は人間とは思われないくらいに縮んで痩せこけていた。その顔と身体は歪み、あまりにも病的で、拒否感を覚えないようにすることは難しかった。その後、ジニーが震える声でそっと歌いかけるなか、ドラコがルシウスをもう一度寝かしつけようとした。


「ポッター! ポッターがいたぞ!」
 最後にルシウスは、ただ一度だけ、完全に意味をなす言葉を発した。そのとき、真っ暗闇のなかでさえ、ジニーはハリーの名が出た瞬間のドラコの表情を見てとることができた。そこにはあまりにも混じりけのない怨恨と憎悪があらわれており、ジニーの心は痛んだ。