2003/6/4

ドラコーディア 〜ドラゴンの心〜

Dracordia (by LittleMaggie)

Translation by Nessa F.


第 3 章 夕食

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 ベーコンと脂肪がフライパンの中でじゅうじゅうと焼ける音につられて、ジニーは一階に下りた。ここでの役割については、マルフォイ家での付添婦の仕事だということ以外、あまり知らされていなかった。最初に聞いたときはとっさに断ろうと思ったが、家族のためにはお金を稼ぐに越したことはない、というのもわかっていた。サミュエル氏は、まさにジニーのような、生き生きした快活な娘が必要なのだとことさらに強調していたし、この話を断ることは難しかった。


 マルフォイ家の噂は聞いていた。彼らががどういった類の事柄に手を染めていたかなどということは大して頭を使わずとも明白だったが、ヴォルデモート敗北後に、この一族が凋落して何もかも失ってしまうとは予想外だった。ロン、ハリー、ハーマイオニーをはじめとして多くの魔法使いたちが勝者として英雄視されるようになった一方で、完全に崩壊させられてしまった家系も多かったのだ。噂はさまざまだったが、ルシウスが精神を病んでいるらしいということは聞いていた。それから、ドラコが自殺未遂を起こし、昏睡状態のままマルフォイ屋敷に寝かされているという噂もあった。この噂は、シーツよりも白い顔色をしたドラコが毎日のように魔法省に出入りするのを目撃していると断言した人々がいたために立ち消えた。


 ジニーは長い赤毛の三つ編みをまとめ上げて、光沢のある黄色いリボンで留めた。自分のワンピースがナルシッサの眼鏡にかなうことを祈りつつ、彼女は台所に入った。立派な部屋を想像していたが、そこはウィーズリー家の台所と似たり寄ったりだった。ただ、部屋が広いので、すべてのものの周りにずいぶんと空間があった。魔法こんろの傍らではドラコが、ベーコンの入ったフライパンに杖を向けていた。彼はエプロンを着けていたが、紐を結ばないまま痩せ気味の身体にぶらさげてあるだけだった。


「こんばんは」
 ジニーはどうにか挨拶をした。


 ドラコは振りむいて彼女を見た。その顔の表情は解読しにくかった。恥ずかしさとも寂しさともつかないような。
「やあ」
 一瞬の間があった。それから、彼は通告によってその沈黙を埋めた。
「明日からは食事の支度もきみの役目だと考えていいか?」


 ジニーはうなずいた。
「やるわ」


 ドラコはそれで話を切り上げた。会話好きなほうではないらしい。ジニーはテーブルについて、彼の作業が終わるのをじっと待った。


「ドラコ」
 乾いた声が、ジニーの背後のドアの外から聞こえた。ジニーが席についたまま振り返ると、ナルシッサ・マルフォイがいた。女性にしてはやはり背が高いほうで、その顔は怒りの表情の一歩手前といいうところまで歪められていた。
「この子が付添婦ね?」


 ジニーはさっと立ち上がってナルシッサと握手をしようとしたが、ナルシッサは戸口のところから動こうともしなかった。
「あなた、おいくつ?」
 ナルシッサは尋ねた。


「十八歳です、奥様」


「そこそこ長い間ここにいてもらうつもりなのだけれど、わかっているわね? ホームシックになったり、寂しくなったとたんに家に飛んで帰ったりされるのでは困るわ」
 酷薄な笑みを浮かべて言う。


「わ、わたし、週末には家に戻りたいんですけど」
 ジニーは返答して、それからさらに付け加えた。
「今後のことについては、ドラコに……」


「この家で働くのであれば、彼のことは必ずミスター・マルフォイと呼ぶように。わたくしの夫についても同じく。初日からファースト・ネームで呼び合うような間柄になれると思っているのなら、残念だけどおかど違いよ」


「すみません」
 ジニーはそう答えるしかなかった。


 ドラコは、いつもどおりに黙っていた。こんろから下ろしたフライパンをテーブルの上に置き、用意してあった三枚の皿に薄切りのベーコンを素早く移した。


「どこの家の子?」
 ナルシッサは詰問した。


 ジニーは気まずい思いで自分の皿を見下ろした。
「わ、わたし……ウィーズリーです、奥様」


「なんてこと、魔法省はまともな手続きのひとつもできないの?」
 ナルシッサは怒りっぽく言って、ジニーの向かい側の席につき、テーブルの上の籠からパンを取った。


「面倒は起こしません、お約束します」
 ジニーは懸命に言った。ナルシッサが付添婦を求めているという報告書を見たハリーは、わざわざ親切にもジニーが職にありつけるよう手を回してくれたのだ。


 ナルシッサは、付添婦にどれほどの自由を認めるかという点については、あまり寛大になるつもりはなかった。週末に家族のもとに帰ることを許可するのは気がすすまなかった。しかしふと条件を天秤にかけて黙考しはじめた。これは、それほど大それた願いではない――週に一度ちょっと自宅に戻るくらいなら、ジニーにとってもナルシッサにとっても納得のいく、ほどよい外出時間と言えるのではないか。ジニーはマルフォイ家で自分に求められている役割を少しずつ理解しはじめていた。すぐに立ち上がって三客のティーカップを用意し、手早く熱湯を注ぐ。


「ティーバッグあります?」
 ドラコが手振りで魔法こんろの上方にある天井に作りつけのキャビネットを示した。ジニーはティーバッグを取り出し、せっせとお茶の準備をしはじめた。


「だれか付き合っている相手はいるの?」
 ナルシッサはさらに質問を続けた。
「この家の中を男の子がうろつくことは許しませんよ。わたくしたちに必要なのは勤勉な働き手であって、だらしのない色ぼけした娘ではありませんからね」


「いいえ、そんなひとはいません」
 ジニーは考え込みながら返答した。今この席で問いかけを受けて初めて、自分が恋人を作る可能性について思い至ったというかんじだった。頬を紅潮させて、彼女は付け加えた。
「今のところ、必要としてもいないと思います」


「厳しい時代ね。若い女性が結婚相手を探すことよりも仕事を選ぶなんて、まったく異常なことだわ」
 思い出にふけりはじめたナルシッサの声から辛辣さが薄れた。
「わたくしが若かった頃、父が少しのあいだ職を失ったことがあったの。ひどい屈辱だった。わたくしも実は二ヶ月間、働かなくてはいけなかったのよ――十七歳で! 想像できるかしら、ドラコ?」


 ここにいたるまでほとんど口をきいていなかったドラコは、ぱっと手元のティーカップから目を上げ、控えめな口調で答えた。
「いいえ、母上。そんな状況におかれた母上なんて想像できないな」


「ね、おわかり?」
 ナルシッサは銀のスプーンでカップの中身をかき混ぜてから、かすかな音を立てて受け皿の上に置いた。
「経済的なことで娘を当てにするような家庭は駄目よ」
 彼女はジニーに厳しい視線を向けた。
「たとえ、どんなに生活が苦しくてもね」


「あの、わたしは……」
 ジニーの言葉は、またしてもナルシッサの物憂げな声によって遮られた。


「それに、若い女性は年長者が話しているときには口をつぐんでいるものよ」
 ジニーはじっと黙ってカップの中でただよっているティーバッグに視線を注いだ。恥ずかしさが膨れあがり増殖して、心臓から血液が送り出されるのと同じように身体中の臓器や隅々の細胞まで行き渡るような、たまらない気分だった。


「でもわたくしの父はその後、前よりいい仕事に就いたのよ。自分の家族も養うことができないようでは、父親失格ですものね」
 ナルシッサはそう言ってから、慌てて付け加えた。
「長男でもいいのだけれど。ねえ、ドラコ?」


「うん」
 ドラコは明らかに聞いていなかったとわかる声で返事をした。


 ジニーはこのやり取りを聞いて笑みをもらし、ベーコンを味見しようとフォークを口の高さまで持ち上げた。しかしナルシッサは苛立たしげに指先でテーブルを叩いた。
「まあ、なんて行儀が悪いの。手も洗わずに」


 これでジニーは完全に侮辱された気持ちになった。彼女は席を立つなり流し台に駆けより、ものすごい勢いで手を洗った。屈辱感が心臓の鼓動と共に轟音を立て、頭に血液がのぼって頬をほてらせた。


「大変失礼しました」
 ジニーはテーブルに戻りながらささやいた。


 その頃にはドラコはすでに食事を終え、立ち上がるところだった。
「ぼくはもうこれで自分の部屋に下がるよ」
 母親のほうをちらりと見て承認を求めつつ、ドラコは言った。ナルシッサがうなずくと彼はその頬にキスをして退室した。