2003/5/6

my favorite fanfic

Draco Trilogy (Cassandra Claire)
Draco Dormiens / Draco Sinister / Draco Veritas
登録先:Fanfiction Alley (Link)
登録ジャンル:Drama
カップリング:ドラコ×ハーマイオニー、ハリー×ハーマイオニー、ドラコ×ジニー 他
分類:PG-13(一部 R)/長編(現時点で各 73,448、291,487、407,107 ワード、第 3 部連載中)

【設定】ハリーたちの 6 年生の終わりから 7 年生にかけての時期

【ストーリー】スネイプ先生の授業のポリジュース薬実習でハリーとドラコが入れ替わったまま元に戻らなくなってしまったことをきっかけに展開される、壮大な物語。ヴォルデモートの陰謀、親子の愛憎、予言の成就と運命への抗い、時間旅行、複雑にからまるロマンス、そしてハリーとドラコの間に育っていく稀有な絆などなど。盛りだくさん過ぎてあらすじなんか書けません。


【あれこれ】

 とにかくドラコを主役としたファンフィクを漁っていると、しょっちゅうこの作者さんの名前に遭遇するのです。メジャーなファンフィク・アーカイブ・サイトには大概、読者がコメントを投稿できるページがあるのですが、ちょっとスケールでかいなと思うようなお話の読者感想を見れば、必ずと言っていいほど誰かが「これは Cassandra Claire のフィクに似ている」、「私は Claire の作品よりこっちが好みだ」、「いや、Cassie のとはまたタイプが違うんじゃない?」、「とりあえず Cassie と比較する気になるくらいには面白いよ!」……というかんじでこの人の名前を引き合いに出している。


 そんな、多くの読者の“評価基準”となるような古典的作品が、アマチュア作家で構成されたファンフィクの世界にあるというのは、けっこう驚きでした。それほどすごいのなら、ぜひ読んでみなければ、とさっそく検索して発見。こんだけいろんなところで言及されているファンフィクだもん、面白いよね、面白くないはずないよね、面白くなかったら許さないよ!……という意気込みです。


 が、それからが長かった。どういうわけだか、とても読みづらくて。第 1 章だけでも何度挫折したことか。「どうも好みじゃないなあ」とブラウザのウィンドウを閉じたものの、しばらくして別のフィクの感想ページで Cassie の名前を目にして「やっぱり一度は目を通すべき?」と再びアクセスし、少しだけ読んで結局またウィンドウを閉じてしまう……というのを、少なくとも 5 回は繰り返したでしょうか。


 ところが、第 1 部の第 5 章あたりから(好みじゃないと言いつつそこまで読んだのか私は)突然「あれ、けっこう面白い?」と感じ始め、気が付いたら止まらなくなっていました。徹夜で第 1 部のラストまで読了し、その後はもう憑かれたように、自分の自由になる時間のほぼすべてを注ぎ込み、第 2 部および第 3 部の発表されているところまでを読み進みました。


 物語のスケール、張り巡らされた伏線、怒涛の展開。ディテールの書き込み。散りばめられたユーモア。各登場人物のキャラ立ちの鮮やかさ。いったんハマってしまえば、多くのファンがいるのも納得です。


 たぶん、初めのうち読みづらかったのは、私のなかの「ドラコ・マルフォイ」のイメージと、この物語でのドラコ像が、かなり大きく食い違っていたせいではないかと思います。一通り読み終わった今でも「ドラコ萌え」という観点から言うと、やっぱりこの物語のドラコは、非常に魅力的ではあれど、私がもともと好きな「ファンフィクにおけるドラコ像」とは微妙に違う。物語がある程度進んでからは特に。ただ、魅力的であることは否定できない。そして「ドラコ」であることも。ほんとにかっこいいんだって! そして、切ないんだって! 傲慢さと辛辣さの裏になんというか、あまりにも孤高で高潔でピュアな心を抱えていて。触れるのが怖いような美形で。どんなに追い詰められた状況でも、飄々と減らず口を叩いて。傷ついていても、心が開けなくて、周囲に助けを求められなくて。


 しかもハリーと一心同体で。実は、この「ハリーに無条件で惹かれていくドラコ」というのを受け入れるのが、最初のうちは一番難しかった。しかし、この「一心同体」がこのシリーズの「キモ」でもあるんだよな。


 タイトルだけ見ると完全にドラコの物語かと思ってしまいそうなのですが、実際にはどの話も、ハリーとドラコのダブル主演と考えるべきでしょう。で、ハリーにしてもドラコにしても、実際のラブシーンのお相手はハーマイオニーだったりジニーだったりさらに別の女の子だったりするのですが、それでもこの物語において最も濃厚に描かれる関係、精神的絆は、一貫してハリーとドラコの間のものなのです。ここでは、ハリーとドラコは、象徴的にも具体的にも、常に表裏一体の存在として描かれます。ヒロインたちは、まるでその濃密な絆の外部からの傍観者として配置されているかのよう(強いて言えば、ふたりに同時に惹かれている部分のあるハーマイオニーは、かなり巻き添えを食っていますが)。そしてその関係性は、とても「危うい」印象を与えます。だからこそ読者は惹き付けられ、息を呑んでその行方を見守るしかない。


 ドラコの側から見れば、これはアイデンティティ探しの物語と言えるかもしれません。世界を闇から救うヒーローとして、生まれたときに定められた自らの運命を受け入れるために苦しむのがハリーだとすれば、この物語のドラコは逆に、生まれる前から「運命」として定められた道をはねのけ、それに抵抗するために苦しみつづけています。しかし運命だと思ってきたものに抗い、自らのルーツであるものたちを拒絶するということは、「自分とは何者であるのか」という精神的基盤を失うことでもある。


「そなたは自らの魂、自分自身を失うことを恐れておる。しかしそなた自身とは何だ? そなたの父親から与えられたものか、そなたが友人と呼ぶ者たちから押し付けられたものか。そなたには自身のことすら理解できておらぬ」 ("Draco Sinister" 第 12 章)


 ハリーとの真の出会いをきっかけにルシウスやヴォルデモートの道具であることから抜け出しても、今度はハリーなしでは自我を成立させられなくなっていくドラコ。第 3 部に至っては、ハリーのために生きているかのようになっているドラコ。そして同じ気持ちを返すハリーとの間に育っていく、共依存。誰にも入り込めない世界を作り上げていくふたり。常に生命の危機に立たされている彼らが精神的双子(ただしネガとポジ)のような互いを得たことをハーマイオニーが救いと感じる一方で、唯一無二の親友に自分以外の大切な同性の友人ができたことに戸惑うロン。ふたりともを本当の息子のように包み込もうとするシリウスと、ふたりの精神の癒着がもたらす結末に危惧を覚えるスネイプ先生。危惧に加えて苛立ちと哀しみを感じるジニー。


「私に言えるのは、彼(ハリー)がいなくなってしまえば、あなたは自分が何者かもわからないということ。それがわかれば、ようやくあなたにも自分の欲しいものがわかるかもしれない、ドラコ。今は明らかにわかっていないようだから」 ("Draco Veritas" 第 11 章)


 第 1 部が切なさを残しつつもとりあえず明るめのエンディングを迎えたのに対し、第 2 部は今後の混乱を予感させたままの幕切れとなり、現在連載中の第 3 部 "Draco Veritas" に入ってからは、物語はどんどんダークに、複雑になってきています。2003 年 3 月にアップされた "Draco Veritas" 第 12 章の著者コメントによると、完結までにはあと 7 章が予定されているそうです。現在、主要登場人物は散り散りばらばらで、世界は闇に覆われつつあり、ぐっちゃぐちゃになっています。いったい、これからどうなってしまうのか。作者さんご自身が trilogy(3 部作)だと発言されているので、きっとその 7 章が全部書けたらシリーズ自体も完結してしまうのでしょう。今後の展開が楽しみな一方で、終わっちゃったらすっごく寂しいだろうなあ……。


(※ 2006年に完結後、作者さんの商業デビューに伴い、しばらくしてネット上から削除されました。)